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徒然草 ​

INFO

この文書は 徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳) を個人使用を目的として複製されたものです。

第一段 ​

さて人間は、この世に産み落とされたら、誰にだって「こういう風になりたい」という将来のビジョンが沢山あるようだ。

皇帝ともなるとあまりにも畏(おそれ)れ多いので語るまでもない。竹林で育った竹が、その先端まで竹であるのと同じで、皇帝の系譜は、その末端まで遺伝子を受け継ぐ。その遺伝子が人間を超越して、わけが分からないものになっているのは、とても神聖だ。政界のナンバーワンである摂政関白大臣の外見が尊いことも説明する必要がなく、それ以下のプチブル皇族を警備させていただける身分の人でさえも偉そうに見える。その人の子供や孫がその後、没落してしまったとしても、それはそれで魅力があるように思われる。もっと身分が低い人たちは、やはり身分相応で、たまたまラッキーなことが重って出世した分際で得意げな顔をして「偉くなったもんだ」と思っている人などは、他人からは、やはり「馬鹿だ」と思われている。

坊さんくらい、他人から見ると「あの様には成りたくない」と思われるものはない。「人から、その頼りなさに樹木の末端のように思われる」と清少納言が、『枕草子』に書いているが、まったくその通りだ。出世した坊さんが大きな態度で調子に乗っているのは、見た目にも立派ではない。蔵賀(ぞうが)先生も言っていたが「名誉や、人からどう思われるかなどに忙しくて、仏様のご意向に添えていない」と思ってしまう。それとは対極に、もうどうでもよくなってしまうまで世の中のことを捨ててしまった人は、なぜか輝かしい人生を歩んでいるように感じられる。

現実を生きている人としては、顔、スタイルが優れているのが一番よいに決まっている。そういう人は、何気なく何かを言ったとしても嫌みな感じがせず、魅力的だ。寡黙にいつまでも向かい合っていたい。

「立派な人かもしれない」と尊敬していても、その人の幻滅してしまうような本性を見つけてしまえばショックを受けるに違いない。「家柄が良い」とか「美形の遺伝子を受け継いだ」とか、そういうことは産んでくれた親と深く関わっているから仕方がないが、精神のことは努力して「スキルアップしよう」と思えば、達成できないこともない。見た目や性格が素敵な人でも、勉強が足りなければ、育ちが悪く生活態度が顔に滲み出ている連中に混ざって赤く染まってしまう。残念なことだ。

本当に大切な未来のビジョンは、アカデミックな学問の世界、漢詩の創作、短歌、音楽の心得、そして基本的な作法で、人々からお手本にされるようになったら言うことはない。習字なども優雅にすらすらと書けて、歌もうまくリズム感があり、はにかみながらお酌を断るのだけど、実は嫌いじゃないのが、真の美男子なのである。

原文

いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多かンめれ。

御門(みかど)の御位は、いともかしこし。竹の園生(そのふ)の、末葉(すゑば)まで人間の種ならぬぞ、やんごとなき。一(いち)の人の御有様はさらなり、たゞ人(びと)も、舎人(とねり)など給はるきはは、ゆゝしと見ゆ。その子・孫(むまご)までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下(しも)つかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。

法師ばかり羨(うらや)ましからぬものはあらじ。「人には木の端(はじ)のやうに思はるゝよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢まうに、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀(ぞうが)ひじりの言ひけんやうに、名聞(みやうもん)ぐるしく、仏の御教にたがふらんとぞ覚ゆる。ひたふるの世捨人は、なかなかあらまほしきかたもありなん。

人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ、物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬(あいぎやう)ありて、言葉多からぬこそ、飽(あ)かず向はまほしけれ。

めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性(ほんしやう)見えんこそ、口をしかるべけれ。しな・かたちこそ生れつきたらめ、心は、などか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、才(ざえ)なく成りぬれば、品下り、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意(ほい)なきわざなれ。

ありたき事は、まことしき文(ふみ)の道、作文(さくもん)・和歌・管絃(くわんげん)の道。また、有職(いうそく)に公事(くじ)の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙(つたな)からず走り書き、声をかしくて拍子(ひやうし)とり、いたましうするものから、下戸(げこ)ならぬこそ、男はよけれ。

第二段 ​

聖なる古き良き時代の時代の政治の方針を忘れてしまって、一般市民が困って嘆いていることや、国に内乱が起こりそうなことも知らないで、何もかも究極に豪華なものを用意して、自分のことを偉いと勘違いし「ここは狭くて窮屈だ」というような態度をしている人を見ると、気分が悪くなるし、自分のことしか考えていない厭な野郎だと思う。

「作業着やヘルメット、シャベルカーからダンプカーまで、すべて間に合わせで済ませよ、新品や最新機種を欲しがってはいけません」と、死んだ右大臣の遺言にもあったことだし、順徳院が宮中の決まり事を書いた『禁秘抄』という参考書にも「天皇のおべべはコンビニで買えばよい」と書いてある。

原文

いにしへのひじりの(みよ)の(まつりごと)をも忘れ、民の(うれ)へ、国のそこなはるゝをも知らず、(よろづ)にきよらを尽していみじと思ひ、所せきさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。

「(いくわん)より馬・車にいたるまで、あるにしたがひて用ゐよ。美麗を求むる事なかれ」とぞ、(くでうどの)の(ゆいかい)にも(はべ)る。順徳院の、禁中の事ども書かせ給へるにも、「おほやけの(たてまつ)り物は、おろそかなるをもってよしとす」とこそ侍れ。

第三段 ​

どんなことでも要領よくこなせる人だとしても、妄想したりエッチなことを考えない男の子は、穴が空いたクリスタルグラスからシャンパーニュがこぼれてしまうように、つまらないしドキドキしない。

明け方、水滴を身にまとい、よたよたと千鳥足で挙動不審に歩いたりして、おとうさん、おかあさんの言うことも聞かず、近所のひとに馬鹿にされても、何で馬鹿にされているのかも理解できず、どうしようもないことを妄想してばかりいるくせに、なぜだか間が悪く、むらむらして寝付けずに一人淋しく興奮する夜を過ごしたりすれば、得体の知れない快感に満たされる。

とはいっても、がむしゃらに恋に溺れるのではなくて、女の子からは「節操のない男の子だわ」と思われないように注意しておくのがミソである。

原文

(よろづ)にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の(さかづき)の(そこ)なき心地ぞすべき。

(つゆしも)にしほたれて、所定めずまどひ歩き、親の(いさ)め、世の(そし)りをつゝむに心の暇なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは、独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。

さりとて、ひたすらたはれたる(かた)にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。

第四段 ​

死んでしまった後のことをいつも心に忘れず、仏様の言うことに無関心でないのは素敵なことだ。

原文

(のち)の世の事、心に忘れず、(ほとけ)の道うとからぬ、心にくし。

第五段 ​

「自分は不幸な人間だ」などと悩んだり嘆いたりしている人が、頭の毛をカミソリでつるつるにするように、ものの弾みで悟りきってしまうのではなくて、ただ意味もなく、生きているというよりは死んでいないといった感じで、門を閉め切ってひきこもり、意味もなくだらだらと日々を漂っているのも、ある意味では理想的である。

(みなもとのあきもと)中納言が「罪を犯して流された島で見る月を無邪気な心で見つめていたい」と言ったことにもシンパシーを感じる。

原文

不幸に(うれへ)に沈める人の、(かしら)おろしなどふつゝかに思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに、(かど)さしこめて、待つこともなく(あか)し暮したる、さるかたにあらまほし。

(あきもとの)中納言の言ひけん、配所の月、罪なくて見ん事、さも覚えぬべし。

第六段 ​

自身の身分が世間的に高い人の場合はもちろんのことで、ましてや、死んでも何とも思われないような身分の人は、子供なんて作らない方がよい。

前の天皇の息子や政府長官、花園の長官は自分の一族が滅びてしまうことを望んでいた。染殿の長官にいたっては「子孫などはない方がよい。後々の子孫がグレて不良や暴走族になったら困るではないか」と言っていたと、世継ぎ物語の『大鏡』に書いてあった。聖徳太子は自分の墓を生前に建築して「ここを切り取って、あそこを塞いでしまえ、他には誰も入れないようにしろ。子孫などいらない」と言っていたらしい。

原文

わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子といふものなくてありなん。

(さき)の(ちゆうしよわう)・九条(だいじようだいじん)・(はなぞのさだいじん)、みな、(ぞう)絶えむことを願い給へり。(そめどののおとど)も、「子孫おはせぬぞよく(はべ)る。末のおくれ給へるは、わろき事なり」とぞ、(よつぎ)の(おきな)の物語には言へる。聖徳太子の、御墓をかねて(つ)かせ給ひける時も、「こゝを切れ。かしこを(た)て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。

第七段 ​

あだし野の墓地の露が消える瞬間がないように命は儚く、(とりべやま)の火葬場の煙が絶えないように命は蒸発していく。もし灰になった死体の煙のように命が永遠に漂っていたとすれば、もうそれは人間ではない。人生は幻のようで、未来は予想不能だから意味があるのだ。

この世に生きる生物を観察すると、人間みたくだらだらと生きているものも珍しい。かげろうは日が暮れるのを待って死に、夏を生きる蝉は春や秋を知らずに死んでしまう。そう考えると、暇をもてあまし一日中放心状態でいられることさえ、とてものんきなことに思えてくる。「人生に刺激がない」と思ったり「死にたくない」と思っていたら、千年生きても人生など夢遊病と変わらないだろう。永遠に存在することのできない世の中で、ただ口を開けて何かを待っていても、ろくな事など何もない。長く生きた分だけ恥をかく回数が多くなる。長生きをしたとしても、四十歳手前で死ぬのが見た目にもよい。

その年齢を過ぎてしまえば、無様な姿をさらしている自分を「恥ずかしい」とも思わず、人の集まる病院の待合室のような場所で「どうやって出しゃばろうか」と思い悩みむことに興味を持ちはじめる。没落する夕日の如く、すぐに死ぬ境遇だが、子供や孫を可愛がり「子供たちの晴れ姿を見届けるまで生きていたい」と思ったりして、現実世界に執着する。そんな、みみっちい精神が膨らむだけだ。そうなってしまったら「死ぬことの楽しさ」が理解できない、ただの肉の塊でしかない。

原文

あだし野の露消ゆる時なく、(とりべやま)の(けぶり)立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。

命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の(はるあき)を知らぬもあるぞかし。つくづくと(ひととせ)を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、(ちとせ)を(すぐ)すとも、(ひとよ)の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ(はぢ)多し。長くとも、(よそじ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。

そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出ヰで交らはん事を思ひ、夕べの(ひ)に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

第八段 ​

男の子を狂わせる事といえば、なんと言っても性欲がいちばん激しい。男心は節操がなく身につまされる。

香りなどはまやかしで、朝方に洗髪したシャンプーのにおいだとわかっていても、あのたまらなくいいにおいにはドキドキしないではいられない。「空飛ぶ術を身につけた仙人が、足で洗濯をしている女の子のふくらはぎを見て、仙人からただのイヤらしいおっさんになってしまい空から降ってきた」とかいう話がある。二の腕やふくらはぎが、きめ細やかでぷるぷるしているのは、女の子の生の可愛さだから妙に納得してしまう。

原文

世の人の心惑はす事、(しきよく)には如かず。人の心は(おろ)かなるものかな。

(にほ)ひなどは(かり)のものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。(くめ)の仙人の、物洗ふ女の(はぎ)の白きを見て、(つう)を失ひけんは、まことに、(てあし)・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。

第九段 ​

女の子の髪の毛はなんてハラショーなのだろう。男の子だったら、みんなが夢中になってしまう。けれども、女の子の性格だとか人柄は、障子やすだれ越しに少しお話しただけでもわかってしまうものだ。

ささいなことで女の子が無邪気に振る舞ったりしただけでも、男の子はメロメロになってしまう。そして女の子が、ほとんどぐっすりと眠ったりはしないで「わたしの体なんてどうなってもいいの」と思いながら普通なら辛抱たまらんことにも健気に対応しているのは一途に男の子への愛欲を想っているからなのである。

人を恋するということは、自分の意志で作り出しているものじゃないから、止まらない気持ちを抑えることはどうにもできない。人間には、見たい、聞きたい、匂いかぎたい、舐めたい、触りたい、妄想、という六つの欲望があるけれども、これらは、百歩ゆずれば我慢できなくもない。しかし、その中でもどうしても我慢できないことは、女の子を想って切なくなってしまうことである。死にそうな爺さんでも、青二才でも、知識人と呼ばれる人でも、コンビニにたむろしている人でも、なんら違いがないように思われる。

だから「女の子の髪の毛を編んで作った縄には、ぞうさんをしっかり繋いでおくことができ、女の子の足のにおいがする靴で作った笛の音には、秋に浮かれている鹿さんが、きっと寄ってくる」と言い伝えられているのだ。男の子が気をつけて「恐ろしい」と思い、身につまされなくちゃいけない事は、こういった恋愛や女の子の誘惑なのである。

原文

女は、髪のめでたからんこそ、人の目立つべかンめれ、人のほど・心ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、(ものご)しにも知らるれ。

ことにふれて、うちあるさまにも人の心を惑はし、すべて、女の、うちとけたる(い)も(ね)ず、身を(を)しとも思ひたらず、(た)ふべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ、色を思ふがゆゑなり。

まことに、(あいぢやく)の道、その根深く、(みなもと)とほし。(ろくぢん)の(げうよく)多しといへども、みな(えんり)しつべし。その中に、たゞ、かの(まど)ひのひとつ(や)めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる。

されば、女の髪すぢを縒れる綱には、(だいざう)もよく繋がれ、女のはける(あしだ)にて作れる笛には、秋の(しか)、(かなら)ず(よ)るとぞ言ひ伝へ(はべ)る。自ら戒めて、(おそ)るべく、(つつ)むべきは、この(まど)ひなり。

第十段 ​

住まいの建築様式は、バランスが理想的であってほしい。短い人生の仮寝の宿と知りつつも気になるものだ。

優良市民が閑静に住み続けている所は、降りそそぐ月光が、よりいっそう心に浸みる。流行の最先端を走っているわけでもなく、華美でもなく、植えてある木々が年代物で、自然に生い茂っている庭の草も趣味がよく、縁側の(す)の子や透かしてある板塀の案配もちょうどよく、その辺に転がっている道具類も昔から大事に使っている感じがするのは、大変上品である。

それに引き替え、大人数の大工が汗水たらしながら磨いた「メイド・イン・チャイナ」とか「メイド・イン・ジャパン」とか言う、珍品、貴重品などを陳列したり、植え込みの草木まで不自然で人工的に仕上げたものは、目を背けたくなるし、見ると気分が悪くなる。そこまでして細部にわたって拘って建築したとしても、いつまでも住んでいられるわけがない。「すぐに燃えてなくなってしまうだろう」と見た瞬間に想像させるだけの代物である。たいていの建築物は、住んでいる奴の品格が自然と滲み出てくるものだ。

後徳大寺で坊さんになった藤原実定が、ご本殿の屋根にトンビがクソを垂れないように縄を張っていた。それを西行が見て「トンビがとまってクソをまき散らしたとしても、何も問題はありません。ここの亭主のケツの穴といったら、だいたいこの程度のものでしょう」と、この家に近寄ることは無くなったと聞いた。綾小路宮が住んでいる小坂殿という建物に、いつだか縄が張ってあったので、後徳大寺の実定を思い出したのだが「カラスが群をなして池のカエルを食べてしまうのを綾小路宮が見て、可哀想に思ったから、こうしているのだ」と誰かが言っていた。何とも健気なことだと感心した。もしかしたら、後徳大寺にも何か特別な理由があったのかも知れない。

原文

(いえゐ)のつきづきしく、あらまほしきこそ、(かり)の(やど)りとは思へど、興あるものなれ。

よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も一きはしみじみと見ゆるぞかし。今めかしく、きらゝかならねど、木立もの古りて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、(すのこ)・(すいかい)のたよりをかしく、うちある調度も昔(おぼ)えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。

多くの(たくみ)の、心を尽してみがきたて、(から)の、(やまと)の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、(せんざい)の草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは長らへ住むべき。また、時の(ま)の(けぶり)ともなりなんとぞ、うち見るより思はるゝ。大方は、(いえゐ)にこそ、ことざまはおしはからるれ。

(ごとくだいじのおとど)の、(しんでん)に、(とび)ゐさせじとて(なは)を張られたりけるを、西行が見て、「(とび)のゐたらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそ」とて、その後は(まゐ)らざりけると聞き(はべ)るに、(あやのこうぢみや)の、おはします(こさかどの)の棟に、いつぞや縄をひかれたりしかば、かの(ためし)思ひ出でられ(はべ)りしに、「まことや、(からす)の(む)れゐて池の(かへる)をとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。徳大寺にも、いかなる(ゆゑ)か侍りけん。

第十一段 ​

神様たちが出雲へ会議に出かける頃、栗栖野というところを越えて、とある山奥を徘徊し、果てしない苔の小径を歩いて奥へと進み、落ち葉を踏みつぶして歩くと、一軒の火をつけたらすぐに全焼しそうなボロ屋があった。木の葉で隠れた、飲料水採取用の雨どいを流れる雫の音以外は、全く音が聞こえてこない。お供え物用の棚に、菊とか紅葉が飾ってあるから、信じられないけれど誰かが住んでいるのに違いない。

「まったく凄い奴がいるものだ、よくこんな生活水準で生きて行けるなあ」と心ひかれて覗き見をしたら、向こうの方の庭にばかでかいミカンの木がはえていて、枝が折れそうなぐらいミカンがたわわに実っているのを発見した。そのまわりは厳重にバリケードで警戒されていた。それを見たら、今まで感動していたことも馬鹿馬鹿しくなってしまい「こんな木はなくなってしまえ」とも思った。

原文

(かみなづき)の(ころ)、(くるすの)といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね(い)る事(はべ)りしに、(はる)かなる(こけ)の細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる(いほり)あり。木の葉に埋もるゝ(かけひ)のじづくならでは、つゆおとなふものなし。(あかだな)に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。

かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる(かうじ)の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしく(かこ)ひたりしこそ、(すこ)しことさめて、この木なからましかばと(おぼ)えしか。

第十二段 ​

自分と同じ心を持っている人がいれば、水入らずに語りあい、興味深い話題や、どうでもよいつまらない与太話でも、お互いに歯に衣を着せず話し、癒しあうことができて、こんなに嬉しいことはない。でも、そういう人は都合よくいるわけなく、たいていの場合は、相手を逆上させないように適当に相槌を打って話す羽目になる。すると鏡に向かって話しているような気分になり、虚しくなる。

同じ結論の話であれば「そうだね」と聞いてみる価値もあるけれど、違った意見であったならば「そんなことはない」と論争が勃発し「そうしたら、こうなるではないか」などと議論になる。それはそれで退屈な気持ちから解放されて良いのかもしれない。けれども本当は、小さな愚痴も受け止めてもらえない人と話していたら、とりとめのない話をしているうちは良いけれど、魂まで交流できる友達と比べたら宇宙の彼方にいる人と話しているようで、切ない気持ちになる。

原文

同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ(なぐさ)まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ(たが)はざらんと向ひゐたらんは、たゞひとりある心地やせん。

たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いさゝか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少し、かこつ方も我と等しからざらん人は、(おほかた)のよしなし事言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに(へだ)たる所のありぬべきぞ、わびしきや。

第十三段 ​

ひとり淋しく懐中電灯の下で本を広げて、昔の文筆家たちと友情関係を育むことは、安心できて、楽しさのあまり心臓が停止してしまうぐらいに心が穏やかになる。

読書では、昭明太子が選んだのめり込みそうな詩集たちや、白楽天の詩や、老子のありがたい言葉や、荘周の道徳本などがよい。ニッポンの偉い先生方が書いたものだと、古い時代に書かれたものであれば信頼できるものも多い。

原文

ひとり、(ともしび)のもとに(ふみ)をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

(ふみ)は、(もんぜん)のあはれなる巻々、(はくしもんじゆう)、老子のことば、(なんくわ)の篇。この国の(はかせ)どもの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。

第十四段 ​

短歌はとても面白いものである。他人から羨望を集めることのない人や、マタギのやることなども歌の歌詞にしたらポップな感じになるし、あんなに恐ろしいイノシシのことでも「イノシシが枯れ草を集めて作ったベッド」なんて言うと可愛らしいものになってしまう。

最近の短歌といえば、一部分は面白く着地できているものはあるけれど、古き良き時代のものと比べたらどうだろうか。言葉を超越した何かに満たされる歌はまずない。紀貫之が「糸によるものならなくに別れ路の心ぼそくも思ほゆるかな(糸のようにねじって細くするわけにもいかないので、一人の別れ道は細くなってしまう。そして一緒に心も細くなっていくことだ)」と歌った短歌は、古今和歌集の中では「クソだ」と言われているけれども、今の人が作れるレベルの短歌だとは思えない。この時代の短歌にはこういう格調や言葉の使い方のものが多い。どうして貫之の歌だけが「クソ」扱いされているのか理解不能である。この歌は『源氏物語』では「糸による物とはなしに」と、紫式部によって引用され、改造されている。新古今和歌集の「冬の来て山もあらはに木の葉降り残る松さへ峯にさびしき」と言う短歌も「クソ」呼ばわりされていて、まあそうかもしれない。けれども、歌合戦の時に「佳作である」と言うことになって「その後皇帝がありがたがり、勲章をもらったと」家長の日記に書いてあった。

「短歌は昔から何も変わっていない」という説もあるけど、それは違う。今でも短歌によく使われている単語や観光名所などは、昔の人が短歌に使った場合の意味とは全く異なるのである。昔の短歌は優しさがあり、流れるようにテンポが良く、スタイルが整っていて、美しい。

『梁塵秘抄』に載っている懐かしのメロディは、中身も具だくさんで内容がぎっしり詰まっている。昔々の人々は下水に流すような言葉を使ったとしても、言葉の意味が自由に響き合っていた。

原文

和歌こそ、なほをかしきものなれ。あやしのしづ・山がつのしわざも、言ひ出でつればおもしろく、おそろしき(ゐ)のししも、「ふす(ゐ)の(とこ)」と言へば、やさしくなりぬ。

この(ころ)の歌は、(ひと)ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外に、あはれに、けしき(おぼ)ゆるはなし。(つらゆき)が、「糸による物ならなくに」といへるは、古今集の中の(うたくづ)とかや言ひ伝へたれど、今の世の人の(よ)みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、姿・(ことば)、このたぐひのみ多し。この歌に限りてかく言いたてられたるも、知り難し。源氏物語には、「物とはなしに」とぞ書ける。新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」といへる歌をぞいふなるは、まことに、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。されど、この歌も、(しゆぎはん)の時、よろしきよし(さた)ありて、後にも、ことさらに感じ、仰せ下されけるよし、(いへなが)が日記には書けり。

歌の道のみいにしへに変らぬなどいふ事もあれど、いさや。今も詠みあへる同じ(ことば)・歌枕も、昔の人の(よ)めるは、さらに、同じものにあらず、やすく、すなほにして、姿もきよげに、あはれも深く見ゆ。

(りやうぢんひせう)の(えいきよく)の言葉こそ、また、あはれなる事は多かンめれ。昔の人は、たゞ、いかに言ひ捨てたることぐさも、みな、いみじく聞ゆるにや。

第十五段 ​

どんな場所でも、しばらく旅行をしていると目から鱗が落ちて新しい扉が開く。

旅先の周辺を「あっち、こっち」と見学して、田園や山里を歩けば、たくさんの未知との遭遇がある。それから、都心に送る絵はがきに「あれやこれを時間があるときにやっておくように」などと書き添えるのは格好がいい。

旅先の澄んだ空気を吸うと心のアンテナの精度が上がる。身につけているアクセサリーなども、よい物はよく見え、芸達者な人や男前な人や素敵なお姉さんは普段よりも輝いて見える。

お寺や、神社に内緒で引きこもっているのも、やはり渋い。

原文

いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。

そのわたり、こゝかしこ見ありき、(ゐなか)びたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多かる。都へ便り求めて(ふみ)やる、「その事、かの事、(びんぎ)に忘るな」など言ひやるこそをかしけれ。

さやうの所にてこそ、万に心づかひせらるれ。(も)てる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。

寺・社などに忍びて籠りたるもをかし。

第十六段 ​

宮中サロンの演奏会は優雅で心を揺さぶる。

よく響いて聞こえてくる音は、普通の笛と小さな竹笛の音色で、いつまでもずっと聴いていたいのは、琵琶や琴の音だ。

原文

(かぐら)こそ、なまめかしく、おもしろけれ。

第十七段 ​

山寺にこもって、ホトケ様をいたわっていると「ばかばかしい」と思った気持ちも消え失せて、脳みその汚れをゴシゴシと洗濯してもらっている気分がする。

原文

山寺にかきこもりて、仏に(つか)うまつるこそ、つれづれもなく、心の(にご)りも(きよ)まる心地すれ。

第十八段 ​

人は、無くても良い物を持ったりせず、欲張るのをやめて、貴金属も持たず、「他人が羨むようになりたい」などと考えないのが一番偉い。今日まで人格者が高額納税者になったなどという話は、お伽噺でしか聞いたことがない。

昔、中国に許由さんという人がいた。その人は身の回りの所持品がなかったから、水は手で(すく)って飲んでいた。それを見た人が、柄杓を買い与え、木の枝にかけておくという余計なお世話を焼いた。すると、柄杓は風に吹かれてカラカラと音を立てるので、許由さんは「うるせぇ」とおっしゃって、投げ捨ててしまった。そうして、また手で掬って水を飲んでいたそうな。きっと許由さんは、せいせいした気持ちだったに違いない。また、孫晨さんという人は、クソ寒い冬の季節にも、お布団がなかったので、納豆みたいに藁にくるまって寝て、朝が来ると藁を片づけたという。

昔々の中国人は、こんなことが伝説に値すると思ったから本に書いたのだろう。この近所に住んでいる人なら、こんな話は素通りして語り伝えたりはしない。

原文

人は、(おのれ)れをつゞまやかにし、(おご)りを退けて、(たから)を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の(と)めるは(まれ)なり。

(もろこし)に(きよいう)といひける人は、さらに、身にしたがへる(たくは)へもなくて、水をも手して(ささ)げて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝に懸けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に(むす)びてぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。(そんしん)は、冬の月に衾なくて、(わら)(ひとつか)ありけるを、夕べにはこれに(ふ)し、(あした)には(をさ)めけり。

(もろこし)の人は、これをいみじと思へばこそ、(しる)し止めて世にも伝へけめ、これらの人は、語りも伝ふべからず。

第十九段 ​

巡る季節に心が奪われてしまう。

「心が浮き立つのは秋が一番」と、誰でも言いそうで、そんな気もするが、心が空いっぱいに広がるのは春の瞬間だ。鳥の鳴き声は春めいて、ぽかぽかの太陽を浴びた花畑が発芽すれば、だんだん春も本番になる。霞のベールで包まれていた花々の蕾が少しずつ開きかけた刹那の雨風に花びらは彗星のように散っていく。桜が毒々しく青葉を広げる頃まで、様々なことにふわふわして切ない。「橘の花の香りは昔のことを思い出す」という短歌もあったが、やはり梅の香の方が、記憶をフラッシュバックさせ、恋しく切ない気持ちにさせる。山吹の花が青春時代のように咲き乱れ、藤の花がゆらゆらと消えそうに咲いているのを見ると、記憶を忘却すること自体もったいなく感じる。

「釈尊の誕生日の頃、それから葵祭りの頃、若葉の梢が涼しそうに茂っている頃になると、世界との関係を思って人恋しくなり心臓が破裂しそうだ」と誰かが言っていたが、本当にそうだと思う。端午の節句に菖蒲の花を屋根から下げる頃、田植えをする頃、クイナが戸を叩くように鳴き叫んだりして、心細くさせないものは何一つとしてない。六月、荒ら屋に夕顔の花が白く見え隠れする陰で、蚊取り線香の煙がゆらゆら揺れているのは、郷愁を誘う。六月の最後の日に水辺で神様に汚れた世間を掃除してもらう儀式は、不思議で面白い。

七夕祭りもゴージャスだ。だんだんと夜が寒くなる頃、雁が北の空から鳴きながら渡ってくる頃、萩の葉が赤く染まる頃、最初の稲を刈って天日干しにしたりして、心奪われることが一遍に過ぎ去っていくのは、秋の季節に多い。大地を切り裂く秋風の翌朝は、これも不思議な気分がする。このまま書き続ければ『源氏物語』や『枕草子』に書き尽くされた事の二番煎じになるだけだが「同じことを二回書いてはいけない」という掟はないのだから筆にまかせる。思ったことを言わないで我慢すれば、お腹がふくれて窒息してしまうに違いないからだ。筆が自動的に動いているだけで、ちっぽけな自慰のようなものであって、丸めてゴミ箱に捨ててしまうようなものだから、これは自分専用なのである。

ところで、冬の枯れ果てた風景だって、秋の景色に劣ることもない。池の水面にもみじの葉が敷きつめられ、霜柱が真っ白に生えている朝、庭に水を運ぶ水路から湯気が出ているのを見るとわくわくした気分になる。年が暮れてしまって、誰もが忙しそうにしている頃は、特別に煌びやかである。殺風景なものの象徴として、誰もが見向きもしない冬のお月様は、冷たく澄みわたった二十日過ぎの夜空で淋しそうに光っている。宮中での懺悔や断罪、墓参りの貢ぎ物が出発する姿は、心から頭が下がる。宮中の儀式が次から次へとあり、新春の準備もしなくてはいけないのは、大変そうだ。大晦日に鬼やらいをし、すぐに一般参賀が続くのも面白い。大晦日の夜、暗闇をライトアップして、朝まで他人の家の門を叩いて走り回り、何がしたいのかわからないけど、「ガー、ピー」と騒ぎ立て、蠅のように飛び回っている人たちも、夜明け前には疲れ果てて大人しくなり、年が去っていく淋しさを思わせる。精霊が降臨する夜だから鎮魂をするということも、もう都会では皆無だが、関東の田舎で続いているのだから感激だ。

こうして、元旦の夜明けは、見た目に普段の朝と変わりないが、状況がいつもと違うので特別な心地がする。表通りの様子も松の木を立てて、きらきらと嬉しそうに笑っているから、格別である。

原文

折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。

「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあんめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に(かきね)の草萌えいづる頃より、やや春深く霞みわたりて、花もやうやうけしきだつ程こそあれ、折しも、雨風うちつづきて、心あわたゝしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万に、ただ、心をのみぞ悩ます。(はなたちばな)は名にこそ負へれ、なほ、梅の(にほ)ひにぞ、古の事も、立ちかへり恋しう思ひ出でらるゝ。山吹の清げに、(ふぢ)のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。

「(くわんぶつ)の比、祭の比、若葉の、(こずゑ)涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。(さつき)、(あやめ)ふく比、(さなへ)とる(ころ)、(くひな)の叩くなど、心ぼそからぬかは。(みなづき)の(ころ)、あやしき家に(ゆうがほ)の白く見えて、(かやりび)ふすぶるも、あはれなり。(みなづきばらへ)、またをかし。

(たなばた)祭るこそなまめかしけれ。やうやう(よさむ)になるほど、(かり)鳴きてくる比、萩の(したば)色づくほど、(わさだ)(か)り(ほ)すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、(のわき)の(あした)こそをかしけれ。言ひつゞくれば、みな(げんじのものがたり)・(まくらざうし)などにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、かつ(や)り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。

さて、冬枯のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。(みぎは)の草に紅葉の散り止まりて、(しも)いと白うおける(あした)、(やりみず)より(けぶり)の立つこそをかしけれ。年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日余り空こそ、心ぼそきものなれ。(おぶつみやう)、(のさき)の(つかひ)立つなどぞ、あはれにやんごとなき。(くじ)ども繋く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるゝさまぞ、いみじきや。(ついな)より(しはうはい)に続くこそ(おもしろ)けれ。(つごもり)の夜、いたう(くら)きに、松どもともして、(よなか)過ぐるまで、人の、(かど)叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を(そら)に惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の(なごり)も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて(たま)祭るわざは、このごろ都にはなきを、(あづま)のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。

かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。(おほち)のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。

第二十段 ​

名もなき路上のアナーキストが「生きているのが馬鹿馬鹿しくなっちゃった僕でも、空を見て放心していると日々の移ろいに名残惜しいなんて思っちゃいます」と言っていたのは、そうだと思った。

原文

(なにがし)とかやいひし(よすてびと)の、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の(なごり)のみぞ(お)しき」と(い)ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。

第二十一段 ​

どんなに複雑な心境にあっても、月を見つめていれば心が落ち着く。ある人が「月みたいに感傷的なものはないよ」と言えば、別の人が「露のほうが、もっと味わい深い」と口論したのは興味深い。タイミングさえ合っていれば、どんなことだって素敵に変化していく。

月や花は当然だけど、風みたいに人の心をくすぐるものは、他にないだろう。それから、岩にしみいる水の流れは、いつ見ても輝いている。「沅水や湘水が、ひねもす東のほうに流れ去っていく。都会の生活を恋しく思う私のために、ほんの少しでも流れを止めたりしないで」という詩を見たときは鳥肌が立った。嵆康も「山や沢でピクニックをして、鳥や魚を見ていると、気分が解放される」と言っていたが、澄み切った水と草が生い茂る秘境を意味もなく徘徊すれば、心癒されるのは当然である。

原文

(よろづ)のことは、月見るにこそ、(なぐさ)むものなれ。ある人の、「月ばかり(おもしろ)きものはあらじ」と言ひしに、またひとり、「露こそなほあはれなれ」と争ひしこそ、をかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん。

月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ。「(げん)・(しやう)、日夜、(ひんがし)に流れ(さ)る。(しうじん)のために止まること(しばらく)もせず」といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。(けいかう)も、「(さんたく)に遊びて、(ぎよてう)を見れば、心楽しぶ」と言へり。人(とほ)く、水草(きよ)き所にさまよひありきたるばかり、心(なぐさ)むことはあらじ。

第二十二段 ​

何を考えるにしても、古き良き時代への憧れは募るばかりだ。最先端の流行は(みすぼ)らしく、野暮ったい。たんす職人の名工がつくった道具なども、伝統的なほうが存在感がある。

昔に書かれた手紙は、たとえチリ紙交換に出す物でも素晴らしい。日常生活で使う言葉なども、退化してしまったみたいだ。昔は「車を発車させてください」とか「電気をつけてください」と言っていたのに、最近では「発車!」とか「点灯!」などと言っている。照明係に「立ち上がり整列して灯りをともせ」と言えばよいものを「立ち上がって明るくしろ」と言うようになったり、世界平和を祈る儀式の特設会場に作った「大会委員本部席」を「本部」と略すようになったのは「誠に遺憾である」と頑固で古風な老人が言っていた。

原文

何事も、古き世のみぞ(した)はしき。(いまよう)は、(むげ)にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道の(たくみ)の造れる、うつくしき(うつは)も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。

(ふみ)の(ことば)などぞ、昔の(ほうご)どもはいみじき。たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。古は、「車もたげよ」、「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。「(とのもれう)、(にんじゆ)だて」と言ふべきを、「たちあかし、しろくせよ」と言ひ、(さいしようこう)の(みちやうもんじよ)なるをば「(ごこう)の(ろ)」とこそ言ふを、「(かうろ)」と言ふ。(くち)をしとぞ、古き人は(おほ)せられし。

第二十三段 ​

「やんぬるかな。世も末です」と、人は言うけれど、昔から受け継がれている宮中の行事は、浮世離れしていて、クラクラするほど煌びやかだ。

板張りを「露台」と呼んだり、天皇がおやつを食べる間を「朝餉」と言ったり、「なんとか殿」とか「かんとか門」などと曰くありげに名付けられていると、特別な感じがする。建て売り住宅によくありそうな小窓、板の間、扉ななども、皇居では眩しく輝いている。警備員が「夜勤の者、それぞれの受け持ちに灯りをつけなさい」と言えば、敬虔な気持ちにさえなってしまう。ましてや、天皇のベッドメイキングの際に「間接照明を早く灯せ」などと言うのは、格別である。隊長が司令部から指示を出す際は当たり前だが、実行部隊が神妙な顔をして、それらしく振る舞っているのも面白い。眠れないほど寒い夜なのに、あちこちで居眠りをしている人がいるのも、気になる。そう言えば「女官が温明殿に天皇が来たことを知らせる鈴の音は優雅に響き渡る」と、藤原公孝が言っていた。

原文

衰へたる末の世とはいへど、なほ、(ここのへ)の神さびたる有様こそ、世づかず、めでたきものなれ。

(ろだい)・(あさがれひ)・(なにどの)・何門などは、いみじとも聞ゆべし。あやしの所にもありぬべき(こじとみ)・(こいたじき)・(たかやりど)なども、めでたくこそ聞こゆれ。「陣に(よ)の(まうけ)せよ」と言ふこそいみじけれ。(よるのおとど)のをば、「かいともしとうよ」など言ふ、まためでたし。(しようけい)の、陣にて事行へるさまはさらなり、諸司の(しもびと)どもの、したり顔に馴れたるも、をかし。さばかり寒き夜もすがら、こゝ・かしこに(ねぶ)り居たるこそをかしけれ。「(ないしどころ)の(みすず)の音は、めでたく、(いう)なるものなり」とぞ、(とくだいじのおほきおとど)は(おほ)せられける。

第二十四段 ​

神に仕える斎宮が選定され、伊勢神宮に籠もる前に嵯峨野で身を清めている姿は世界一、優美であるに違いない。「お経」とか「仏様」という忌み言葉を使わず「染めた紙」とか「中子」などと呼び、縁起を担いでいるのは面白い。

どこでも神社というのは、素通りできないほど神がかっている。古びた森の姿が、ただ事ではない様子を呈しているところに、周りに塀を作って、榊の葉に白い布が掛けられている姿は、オーラを感じずにはいられない。そんな神社の中でも特におすすめスポットは、伊勢神宮、二つの賀茂神社、奈良の春日大社社、京都の平野神社、大阪の住吉大社、奈良県桜井市三輪町の大神神社、京都市の貴船神社、同じく吉田神社、大原野神社、松尾神社、梅宮神社、などである。

原文

(さいわう)の、(ののみや)におはしますありさまこそ、やさしく、面白き事の限りとは覚えしか。「(きやう)」「(ほとけ)」など忌みて、「なかご」「(そめがみ)」など言ふなるもをかし。

すべて、神の(やしろ)こそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。もの古りたる森のけしきもたゞならぬに、(たまがき)しわたして、(さかき)に(ゆふ)(か)けたるなど、いみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢・賀茂・(かすが)・平野・住吉・三輪・(きぶね)・吉田・(おおはらの)・(まつのを)・(うめのみや)。

第二十五段 ​

気ままに流れる飛鳥川は、昨日まで深かった場所が、翌日には浅瀬になっている。人の生きる世界も永遠に今の状態で続くことはない。時は過ぎ、始まりは終わりになり、喜びや悲しみも過ぎ去る。繁華街も整地されて原野となり、古民家の住人も過去に住んだ人とは違う。昔から咲いているのは、桃やスモモの木だけだ。彼らはコミュニケーション能力を持たないから、昔日の繁栄を語り継ぐ術を持たない。だから、見たこともない太古の大遺跡は、あぶくと一緒だ。

京極殿や法成寺の廃墟を見ると、施工主の願いが叶わず、都市計画の跡形さえないので、心に淋しい風を立てる。藤原道長がデベロッパーとなり、土地を転がし、複合施設を建設してピカピカに磨き上げた。当時は「自分の肉親だけが天皇を食い物にして、いつまでもこんな日が続きますように」と願っていただけに、どんな世界になろうとも、ここまでメチャクチャになるとは想像さえしなかっただろう。寺院の門や、本殿は最近まで残っていたが、花園天皇の時代に南の門が火災にあった。本殿も地震で倒壊し、復旧計画は無い。阿弥陀堂だけは現存しており、五メートル弱の仏像が九体並び「我関せず」と他人事のように安置されている。達筆な藤原行成が書いた額縁や、源兼行が書いた扉の文字が鮮やかに残っている光景は、異様なほど虚しい。仏道修行をする建物もまだ残っているが、そのうち燃えて無くなるだろう。このような伝説さえなく、建物の基礎だけある場所などは、知る人もなく、いかなる物か謎だけが残る。

この例からも、自分の死後、見ることが不可能な世界のことを思って、何かを計画するのは、森羅万象、無駄であり意味がない。

原文

(あすかがは)の(ふちせ)、常ならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人改まりぬ。(たうり)もの言はねば、(たれ)とともにか昔を語らん。まして、見ぬ古のやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。

(きやうごくどの)・(ほふじやうじ)など見るこそ、志(とど)まり、事変じにけるさまはあはれなれ。(みだうどの)の作り磨かせ給ひて、(しやうゑん)多く寄せられ、我が(おんぞう)のみ、(みかど)の(おんうしろみ)、世の固めにて、行末までとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。(だいもん)、(こんだう)など近くまでありしかど、(しやうわ)の(ころ)、南門は焼けぬ。金堂は、その後、倒れ伏したるまゝにて、とり立つるわざもなし。(むりやうじゆゐん)ばかりぞ、その形とて残りたる。(ぢやうろく)の仏九体、いと(たふと)くて並びおはします。(かうぜいの)大納言の額、(かねゆき)が書ける(とびら)、なほ鮮かに見ゆるぞあはれなる。(ほつけだう)なども、未だ侍るめり。これもまた、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき所々は、おのづから、あやしき(いしづゑ)ばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。

されば、万に、見ざらん世までを思ひ(おき)てんこそ、はかなかるべけれ。

第二十六段 ​

恋の花片が風の吹き去る前に、ひらひらと散っていく。懐かしい初恋の一ページをめくれば、ドキドキして聞いた言葉の一つ一つが、今になっても忘れられない。サヨナラだけが人生だけど、人の心移りは、死に別れより淋しいものだ。

だから、白い糸を見ると「黄ばんでしまう」と悲しんで、一本道を見れば、別れ道を連想して絶望する人もいたのだろう。昔、歌人が百首づつ、堀川天皇に進呈した和歌に、

恋人の垣根はいつか荒れ果てて野草の中ですみれ咲くだけ

という歌があった。

好きだった人を思い出し、荒廃した景色を見ながら放心する姿が目に浮かぶ。

原文

風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月を思へば、あはれと聞きし(こと)の葉ごとに忘れぬものから、我が世の(ほか)になりゆくならひこそ、(な)き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。

されば、白き(いと)の(そ)まんことを(かな)しび、路のちまたの分れんことを嘆く人もありけんかし。(ほりかはのゐん)の百首の歌の中に、

昔見し(いも)が(かきね)は荒れにけり(つ)(ばな)まじりの(すみれ)のみして

さびしきけしき、さる事侍りけん。

第二十七段 ​

新しい皇帝が即位する儀式が行われ、三種の神器の「草薙剣」と「八坂瓊勾玉」と「八咫鏡」が譲渡される瞬間には、強い不安に襲われてしまう。

皇帝を辞めて新院になる花園上皇が、その春に詠んだ歌。

誰彼も他人になった春の日は 掃除のなき庭 花の絨毯

みんな、新しい皇帝につきっきりで、上皇のところに遊びに行く人もいないのだろうが、やっぱり淋しそうだ。こんなときに人は本性を現す。

原文

(みくに)(ゆづ)りの(せちゑ)行はれて、(けん)・(じ)・(ないしところ)渡し奉らるるほどこそ、限りなう心ぼそけれ。

新院の、おりゐさせ給ひての春、詠ませ給ひけるとかや。

(とのもり)のとものみやつこよそにして掃はぬ庭に花ぞ散りしく

今の世のこと繁きにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。かゝる折にぞ、人の心もあらはれぬべき。

第二十八段 ​

皇帝が父母の喪に服している一年間より、乾いた北風みたく淋しい気持ちになることは無いだろう。

喪に服すために籠もる部屋は、床板を下げて、安物のカーテンを垂らし、貧乏くさい布をかぶせる。家具なども手短な物を選ぶ。そこにいる人々が着ているものや、刀や、刀ひもが、普段と違ってモノクロームなのは、物々しく感じる。

原文

(りやうあん)の年ばかり、あはれなることはあらじ。

(いろ)の御所のさまなど、(いたじき)を下げ、(あし)の(みす)を掛けて、布の(もかう)あらあらしく、御(てうど)どもおろそかに、皆人の(そうぞく)・太刀・(ひらを)まで、(ことやう)なるぞゆゝしき。

第二十九段 ​

静かに瞑想して想い出す。どんな事もノスタルジーだけはどうにもならない。

人々が寝静まった後、夜が長くて暇だから、どうでもよい物の整理整頓をした。恥ずかしい文章を書いた紙などを破り捨てていると、死んだあの子が、歌や絵を書いて残した紙を発見して、当時の記憶が蘇った。死んだ人はもちろん、長い間会っていない人の手紙などで「この手紙はいつ頃の物で、どんな用事だっただろう?」と考え込んでしまうぐらい古い物を見つけると、熱いものがこみ上げてくる。手紙や絵でなくても、死んだ人が気に入っていた日用品が、何となく今日までここにあるのを見れば、とても切ない。

原文

静かに思へば、万に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。

人静まりて後、長き夜のすさびに、何となき(ぐそく)とりしたゝめ、残し置かじと思ふ(ほうご)など(や)り(す)つる中に、(な)き人の手習ひ、絵かきすさびたる、見(い)でたるこそ、たゞ、その折の心地すれ。このごろある人の(ふみ)だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。手馴れし(ぐそく)なども、心もなくて、変らず、久しき、いとかなし。

第三十段 ​

人が死んだら、すごく悲しい。

四十九日の間、山小屋にこもり不便で窮屈な処に大勢が鮨詰め状態で法事を済ませると、急かされる心地がする。その時間の過ぎていく速さは、言葉で表現できない。最終日には、皆が気まずくなって口もきかなくなり、涼しい顔をして荷造りを済ませ、蜘蛛の子を散らすように帰っていく。帰宅してからが、本当の悲しみに暮れる事も多い。それでも、「今回はとんでもない事になった。不吉だ、嫌なことだ。もう忘れてしまおう」などと言う言葉を聞いてしまえば、こんな馬鹿馬鹿しい世の中で、どうして「不吉」などと言うのだろうと思ってしまう。死んだ人への言葉を慎んで、忘れようとするのは悲しい事だ。人の心は気味が悪い。

時が過ぎ、全て忘却を決め込むわけでないにしても「去っていった者は、だんだん煩わしくなるものだ」という古詩のように忘れていく。口では「悲しい」とか「淋しい」など、何とでも言える。でも、死んだ時ほど悲しくないはずだ。それでいて、下らない茶話には、げらげら笑い出す。骨壷は、辺鄙なところに埋まっており、遺族は命日になると事務的にお参りをする。ほとんど墓石は、苔生して枯れ葉に抱かれている。夕方の嵐や、夜のお月様だけが、時間を作って、お参りをするというのに。

死んだ人を懐かしく思う人がいる。しかし、その人もいずれ死ぬ。その子孫などは、昔に死んだ人の話を聞いても面白くも何ともない。そのうち、誰の供養かよくわからない法事が流れ作業で処理され、最終的に墓石は放置される。人の死とは、毎年再生する春の草花を見て、感受性の豊かな人が何となくときめく程度の事であろう。嵐と恋して泣いていた松も、千年の寿命を全うせずに、薪として解体され、古墳は耕され、田んぼになる。死んだ人は、死んだことすら葬られていく。

原文

人の(な)き(あと)ばかり、悲しきはなし。

(ちゆういん)のほど、山里などに移ろひて、(びん)あしく、(せば)き所にあまたあひ(ゐ)て、後のわざども営み合へる、心あわたゝし。日(かず)の速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果ての日は、いと情なう、たがひに言ふ事もなく、我(かしこ)げに物ひきしたゝめ、ちりぢりに行きあかれぬ。もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多かるべき。「しかしかのことは、あなかしこ、跡のため(い)むなることぞ」など言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ。

年月(へ)ても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に(うと)しと言へることなれば、さはいへど、その際ばかりは覚えぬにや、よしなし事いひて、うちも笑ひぬ。(から)は(け)うとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり(まう)でつゝ見れば、ほどなく、(そとば)も(こけ)むし、木の葉降り(うづ)みて、(ゆふ)べの(あらし)、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。

思ひ(い)でて(しの)ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失せて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、(としどし)の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐に(むせ)びし松も(ちとせ)を待たで(たきぎ)に(くだ)かれ、古き(つか)は(す)かれて田となりぬ。その(かた)だになくなりぬるぞ悲しき。

第三十一段 ​

雪が気持ちよさそうに降った朝、人にお願いがあって手紙を書いた。手短に済ませて、雪のことは書かずに投函したら返事が来た。「雪であなたはどんな気分でしょうか? ぐらいのことも書けない、気の利かない奴のお願いなんて聞く耳を持ちません。本当につまらない男だ」と書いてあった。読み返して感動し、鳥肌が立った。

もう死んだ人だから、こんなことさえも大切な想い出だ。

原文

雪のおもしろう降りたりし(あした)、人のがり言ふべき事ありて、(ふみ)をやるとて、雪のこと(なに)とも言はざりし(かへりごと)に、「この雪いかゞ見ると(ひとふで)のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の(おほ)せらるゝ事、聞き入るべきかは。(かへ)す(がへ)す口をしき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。

今は(な)き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。

第三十二段 ​

九月二十日頃、ある人のお供で、夜が明けるまで月を眺めて歩いた。その人が、ふと思い出した家があり、インターフォンを押して入っていった。手入れが無く荒廃した庭は、露まみれで、わざとらしくない焚き物の匂いが優しく漂う中で隠遁している様子は、ただ事に思えなかった。

ある人は手短に訪問を済ませておいとましたけど、自分としては、この状態があまりにも素晴らしく、気になって仕方が無かったので、草葉の陰からしばらく見学させてもらうことにした。ご主人は門の扉を少しだけ開いて、月を見ているようであった。すぐに引き下がって鍵をかけたとしたら、厭な気持ちになったかも知れない。後ろ姿を見届けられていることを、帰っていく人は気がついていないだろう。こういった行為は、ただ、日々の心がけから滲み出るものである。

その主人は、しばらくして死んでしまったらしい。

原文

(ながつき)(はつか)の比、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見ありく事(はべ)りしに、思し(い)づる所ありて、(あない)せさせて、(い)り給ひぬ。荒れたる庭の(つゆ)しげきに、わざとならぬ(にほ)ひ、しめやかにうち(かを)りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。

よきほどにて(い)で給ひぬれど、なほ、事ざまの(いう)に覚えて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、(つまど)をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。

その人、ほどなく(う)せにけりと聞き侍りし。

第三十三段 ​

皇居を改築する際に、構造計算の専門家に検査してもらったところ「良くできています。全く問題ありません」と太鼓判をもらった。皇帝の引っ越しも間近になった頃、伏見天皇のお母さんが、新築物件を見て「昔の皇居にあった覗き穴は、上が丸くて縁もありませんでした」と、少女時代の記憶を語り出したので、大変なことになった。

原文

今の内裏(だいり)作り出(いだ)されて、有職(いうそく)の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、既に遷幸(せんかう)の日近く成りけるに、玄輝門院(げんきもんゐん)の御覧じて、「閑院殿(かんゐんどの)の櫛形(くしがた)の穴は、丸く、縁(ふち)もなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。

第三十四段 ​

甲香というのは、法螺貝に似た小さな貝の細い先端に付いている蓋のことだ。

金沢文庫の入り江にたくさん転がっていて、土着の者が「へなだりと言うんだよ」と言っていた。

原文

(かひこう)は、ほら貝のやうなるが、小さくて、口のほどの細長にさし(い)でたる貝の(ふた)なり。

(むさしのくにかねさわ)といふ浦にありしを、所の者は、「へなだりと申し(はべ)る」とぞ言ひし。

第三十五段 ​

字が下手くそだけど、何の遠慮もなく当然のように手紙を書き殴っている様子は、かえって清々しい。恥ずかしいからと言って、他人に代筆させるなんて厭らしいことだ。

原文

手のわろき人の、はゞからず、(ふみ)書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。

第三十六段 ​

「随分とないがしろにしてしまったから、きっと怒っているだろうなと、自分の惰性を責めながら、謝罪の言葉も見つけられずに放心していたら、彼女の方から、暇にしている家政婦さんはいませんか? いたら、一人紹介してくださいね、なんて言ってきてくれて、そんなことは誰にでも出来る芸当でもなく、予想外の出来事で、びっくらこいたよ。こういうハートを持った女の人は最高だね」と、ある人が言っていたけど、私も本当にそういう女の子がいればいいと思った。

原文

「久しくおとづれぬ比、いかばかり恨むらんと、我が怠り思ひ知られて、(ことのは)なき心地するに、女の(かた)より、『(じちやう)やある。ひとり』など言ひおこせたるこそ、ありがたく、うれしけれ。さる心ざましたる人ぞよき」と人の申し侍りし、さもあるべき事なり。

第三十七段 ​

普段は気兼ねのない関係で、いつも馴れ合っている人が、急に気を遣って、初々しいふりをするのを見て「今さら、そんなよそよそしくしなくても」など、言う人もいるけれど、親しき仲に礼儀があって、デリカシーを持った人に思える。

また、あまり仲良くない人が、その場の雰囲気を壊さないように馴れ馴れしいふりをするのも、気が利いていて良い感じがする。

原文

朝夕、隔てなく(な)れたる人の、ともある時、我に心おき、ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、「今更、かくやは」など言ふ人もありぬべけれど、なほ、げにげにしく、よき人かなとぞ覚ゆる。

(うと)き人の、うちとけたる事など言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。

第三十八段 ​

人から羨望の眼差しで見てもらうために忙しく、周りが見えなくなり、一息つく暇もなく、死ぬまでバタバタしているのは馬鹿馬鹿しい。

金目の物がたくさんあれば、失う物を守ることで精一杯になる。強盗や悪党を呼び寄せ、宗教団体のお布施にたかられる媒介にもなる。黄金の柱で夜空に輝く北斗七星を支えられるぐらいの成金になっても、死んでしまった後には、誰の役にも立たないばかりか、相続で骨肉の争いが勃発するのが目に見えている。流行の最先端を歩もうとする人向けに、目の保養をさせて楽しませるような物も虚しい。運転手付の黒塗りの高級車や、プラチナの爪にダイヤモンドを飾ったアクセサリーなどは、賢い人ならば「下品な成金の持ち物」で「心が腐っている証拠だ」と、冷ややかな目で黙殺するに違いない。金塊は山に埋め、ダイヤモンドはドブ川に投げ捨てるのがよく似合う。物質的裕福さに目がくらむ人は、とっても知能指数が低い人なのだ。

時代に埋もれない名誉を、未来永劫に残すことは理想的なことかも知れない。しかし、社会的に地位が高い人だとしても、イコール立派な人だとは言えない。欲にまみれた俗人でも、生まれた家や、タイミングさえ合えば、自動的に身分だけは偉くなり、偉そうな事を言いはじめる。通常、人格者は、自ら進んで低い身分に甘んじ、目立たないまま死ぬことが多い。意味もなく高い役職や身分に拘るのも、物質的裕福さを求める事の次に馬鹿馬鹿しいことである。

「頭脳明晰で綺麗なハートを持っていた」という伝説だけは、未来に残って欲しいと思うかも知れない。しかし、考え直してみれば「自分の事が伝説になって欲しい」と思うのは、名誉を愛し、人からどう思われるかを気にしているだけだ。絶賛してくれる人も、馬鹿にする人も、すぐに死ぬ。「昔々あるところに、こんなに偉い人がいました」と話す伝説の語り部も、やはりすぐに死んでしまう。誰かに恥じ、自分を知ってもらいたいと願うことは無意味でしかない。そもそも、人から絶賛されることは、妬みの原因になる。死後、伝説だけが残ってもクソの足しにもならない。従って「伝説になりたい」と願うのも、物質的裕福さや、高い役職や身分に拘る事の次に馬鹿馬鹿しいことなのであった。

それでも、あえて知恵を追求し、賢さを求める人のために告ぐ。老子は言った。「知恵は巧妙な嘘を生むものである。才能とは煩悩が増幅した最終形だ。人から聞いた事を暗記するのは、本当の知恵ではない。では、知恵とはいったい何であろうか。そんな事は誰も知らない」と。荘子は言った。「善悪の区別とはいったい何であろうか。何を善と呼び、何を悪と呼べばいいのだろうか? そんな事は誰も知らない」と。本当の超人は知恵もなく、人徳もなく、功労もなく、名声もない。誰も超人を知らず、誰も超人の伝説を語ることはない。それは、真の超人が能力を隠し馬鹿なふりをしているからではない。最初から、賢いとか、馬鹿だとか、得をするとか、失ってしまうとか、そんなことは「どうでもいい」という境地に達しているから誰も気がつかないのだ。

迷える子羊が、名誉、利益を欲しがる事を考えてみると、だいたいこの程度の事だ。全ては幻であり、話題にする事でもなく、願う事でもない。

原文

(みやうり)に使はれて、(しづ)かなる(いとま)なく、一生を苦しむるこそ、(おろ)かなれ。

(たから)多ければ、身を守るに(まど)し。害を賈ひ、(わづら)ひを招く(なかだち)なり。身の(のち)には、(こがね)をして(ほくと)を支ふとも、人のためにぞわづらはるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、(きんぎよく)の飾りも、心あらん人は、うたて、(おろ)かなりとぞ見るべき。(こがね)は山に(す)て、玉は(ふち)に投ぐべし。利に(まど)ふは、すぐれて愚かなる人なり。

(うづ)もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ。位高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたなき人も、家に(むま)れ、時に逢へば、高き位に昇り、(おご)を極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、みづから(いや)しき位に居り、時に逢はずしてやみぬる、また多し。偏に高き(つかさ)・位を望むも、次に愚かなり。

智恵と心とこそ、世にすぐれたる(ほまれ)も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の(き)きをよろこぶなり、(ほ)むる人、(そし)る人、共に世に止まらず。伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。(たれ)をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。(ほまれ)はまた(そし)りの(もと)なり。身の(のち)の名、残りて、さらに(やく)なし。これを願ふも、次に(おろ)かなり。

但し、強ひて智を求め、賢を願ふ人のために言はば、智恵(い)でては(いつは)りあり。才能は(ぼんなう)の(ぞうちやう)せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。いかなるかを智といふべき。可・不可は一条なり。いかなるかを善といふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。(たれ)か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。(もと)より、(けんぐ)・(とくしつ)の境にをらざればなり。

迷ひの心をもちて(みやうり)の要を求むるに、かくの如し。万事は皆非なり。言ふに足らず、願ふに足らず。

第三十九段 ​

ある人が法然上人に「念仏を唱えているとき、睡魔におそわれ仏道修行をおろそかにしてしまうことがあるのですが、どうしたら、この問題を解決できるでしょうか?」と訪ねたら「目が覚めているときに、念仏を唱えなさい」と答えたそうな。とってもありがたいお言葉である。

また、「死後に天国に行けると思えば、きっと行けるだろうし、行けないと思えば無理だ」と言ったそうな。これも、とってもありがたいお言葉である。

それから、「死後に天国に行けるかどうか心配しながらでも、念仏を唱えていれば、成仏できる」と言ったそうな。これまた、とってもありがたいお言葉である。

原文

或人、(ほふねん)(しやうにん)に、「念仏の時、(ねぶ)にをかされて、(ぎやう)を(おこた)り(はべ)る事、いかゞして、この(さは)りを(や)め侍らん」と申しければ、「目の(さ)めたらんほど、念仏し給へ」と(いら)へられたりける、いと(たふと)かりけり。

また、「(わうぢやう)は、(いちぢやう)と思へば一定、(ふぢやう)と思へば不定なり」と言はれけり。これも尊し。

また、「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これもまた尊し。

第四十段 ​

鳥取県の砂漠に何とかの入道とかいう人の娘がいた。すごくかわいいと噂がたったので、大勢の男の子がちょっかいを出しにやってきた。しかし、この女の子は、栗ばかり食べていて、全くお米などの穀物を食べなかったから、お父さんは、「こんなに変態な娘は、よそ様にお嫁さんとしてあげられません」と言って嫁ぐのを許さなかった。

原文

(いなばのくに)に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、たゞ、栗をのみ食ひて、更に、(よね)の類を食はざりれば、「かゝる(ことやう)の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。

第四十一段 ​

五月五日、上賀茂神社で競馬を見た時、乗っていた車の前に小市民どもが群がっており、競馬が見えなかった。仕方がないので、それぞれ車からおりて競馬場の鉄柵に近づいてみた。けれども、そこは黒山の人だかりで人々をかき分けて中に入って行けそうになかった。

そんなときに、向こうにあるセンダンの木に坊さんが実っていた。木に登り枝に座って競馬を見ている。枝に抱かれて居眠りもしている。何回も枝から落ちそうになって、そのたびに目を覚ます。これを見て人は坊さんを小馬鹿にしている。「珍しいほど馬鹿ですね。あんな危険なところでボケッと寝ているとは」なんて言っている。その時、思いついたことをそのままに、「我々だっていつ死ぬかわからないんですよ。今死ぬかもしれない。そんなことも知らないで見せ物を見て暮らすなんて、馬鹿馬鹿しいことは世界一です」と言ってやった。そうしたら、前にいる人たちは「いやあ、本当にそうですね。とっても馬鹿馬鹿しくなってきました」なんて言いながら、後ろにいる私を見つめた。「さ、さ、ここに入ってください」と言って、場所を空けてくれたので割り込みしたのであった。

こんな、当たり前のことは、誰も気づかない訳がないが、今日は競馬の日だから思いがけなく身につまされたのであろう。やっぱり、人は木や石じゃないから時には感動したりする。

原文

(さつき)五日、(かも)の(くらべ)べ馬を見侍りしに、車の前に(ざふにん)立ち隔てて見えざりしかば、おのおの下りて、(らち)のきはに寄りたれど、(こと)に人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。

かかる折に、向ひなる(あふち)の木に、法師の、登りて、木の(また)についゐて、物見るあり。取りつきながら、いたう(ねぶ)りて、落ちぬべき時に目を(さ)ます事、度々なり。これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれ物かな。かく(あやふ)き枝の上にて、安き心ありて(ねぶ)るらんよ」と言ふに、我が心にふと思ひしまゝに、「我等が(しやうじ)の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事はなほまさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「まことにさにこそ候ひけれ。尤も愚かに候ふ」と言ひて、皆、(うしろ)を見返りて、「こゝに入らせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れ侍りにき。

かほどの(ことわり)、(たれ)かは思ひよらざらんなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸に当りけるにや。人、(ぼくせき)にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。

第四十二段 ​

唐橋中将雅清という人の息子に、行雅僧徒という、密教の教理を志す学生の先生をやっていた坊さんがいた。すぐに逆上する病気で、年がら年中のぼせていた。だんだん老化するにつれて、鼻が詰まってきて呼吸困難になった。いろんな治療は一通りやったが、余計にひどくなってきた。ついに目と眉と額がとても腫れてあがって顔に覆い被さったので視界が塞がり、変なお面のようになってしまった。すごく恐ろしい鬼のような顔で、目玉は頭のてっぺん、おでこが鼻に付いている。仕舞いには、寄宿舎の坊さんたちにも顔を見せないようになり、どこかに隠遁していたが、数年後、本当にひどくなって死んでしまった。

世の中には変わった病気もあるものだ。

原文

(からはしのちゆうじやう)といふ人の子に、(ぎやうがそうづ)とて、(けうさう)の人の師する僧ありけり。(け)の(あが)る病ありて、年のやうやう闌くる程に、鼻の中ふたがりて、息(い)で難かりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・(ひたひ)なども(は)れまどひて、うちおほひければ、物も見えず、(に)の(まひ)の(めん)のやうに見えけるが、たゞ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額のほど鼻になりなどして、(のち)は、(ぼう)の(うち)の人にも見えず(こも)りゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて、死ににけり。

かゝる病もある事にこそありけれ。

第四十三段 ​

春も深まって、ぽかぽかのとろけそうな空の下を散歩していると、品も悪くない家を発見した。庭木も年代物で、花は庭にしおれて散っていた。やはり、覗かないではいられなく不法侵入を試みる。建物の南側は戸締まりがされていて静まりかえっていた。東側の戸が少しだけ開いていて、ちょうど良い具合に覗くことが出来た。その隙間にかかっているレースのカーテンのほころびから覗いてみると、二十歳ぐらいの男前が、くつろいで放心していた。しかし、心が奪われるほど落ち着いた様子で、机の上に本を開いて見ている。

いったい何者だったのか、聞いてみようと思う。

原文

春の暮つかた、のどやかに(えん)なる空に、(いや)しからぬ家の、奥深く、木立もの古りて、庭に散り萎れたる花見過しがたきを、さし入りて見れば、(みなみおもて)の(かうし)皆おろしてさびしげなるに、東に向きて妻戸のよきほどにあきたる、(みす)の破れより見れば、かたち清げなる(をとこ)の、年(はたち)ばかりにて、うちとけたれど、心にくゝ、のどやかなるさまして、机の上に(ふみ)をくりひろげて見ゐたり。

いかなる人なりけん、(たづ)ね聞かまほし。

第四十四段 ​

ボロボロな竹で編んだ扉の中から、とても若い男の子が出てきた。月明かりではどんな色なのか判別できないが、つやつや光る上着に濃紫の袴を着けている。案内の子供を引き連れて、どこまでも続く田園の小径を稲の葉の露に濡れながらも、かき分けて、とても由緒ありげに歩いている。歩きながら、この世の物とは思えない音色で笛を演奏していた。その音色を「素敵な演奏だ」と聴く人もいないと思い、どこへ行くのか知りたくて尾行することにした。笛を吹く音も止んで山の端にある、お寺の大きな正門の中へ消えていった。駐車場に停めてある車を見ても、ここは田舎だから都会よりも目立つので召使いに尋ねてみると「何とかの宮がいらっしゃる時なので法事でもあるのかもしれません」と答えた。

お堂の方には坊さんたちが集まっている。冷たい夜風に誘われる薫き物の香りが体の芯まで染み込んでいく気分である。母屋からお堂まで続く渡り廊下を行き交うお手伝いの女の子たちの残り香なども誰に見せたりするでもない山里だけど細部まで気が利いている。

みんな自由に茂っている野草たちは置き場に困るほどの夜露に埋もれ、虫が何かを訴えるように啼き、庭を流れる人工の河川の水の音ものどかである。都会よりも流れていく雲が速いような気がして、夜空に月が点滅している。

原文

あやしの竹の(あみど)のうちより、いと若き男の、月影に色あひさだかならねど、つやゝかなる(かりぎぬ)に濃き(さしぬき)、いとゆゑづきたるさまにて、さゝやかなる(わらは)ひとりを(ぐ)して、遥かなる田の中の細道を、稲葉の露にそぼちつゝ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かん(かた)知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹き止みて、山のきはに(そうもん)のある内に入りぬ。(しぢ)に立てたる車の見ゆるも、都よりは目(とま)る心地して、(しもびと)に問へば、「しかしかの宮のおはします比にて、御仏事など候ふにや」と言ふ。

(みだう)の方に法師ども参りたり。(よさむ)の風に誘はれくるそらだきものの(にほ)ひも、身に沁む心地す。寝殿より御堂の(らう)に通ふ女房の(おひかぜ)用意など、人目なき山里ともいはず、心遣ひしたり。

心のまゝに茂れる秋の野らは、置き余る露に(うづ)もれて、虫の(ね)かごとがましく、(やりみづ)の音のどやかなり。都の空よりは雲の(ゆきき)も(はや)き(ここち)して、月の晴れ曇る事定め難し。

第四十五段 ​

藤原公世、従二位の兄さんで良覚僧正とか言った人は、大変へそ曲がりだったそうだ。

彼の寺には大きな榎の木があったので、近所の人は「榎木の僧正」と呼んでいた。僧正は、「変なあだ名を付けやがって、ふざけるな」と怒って、その榎の木を伐採した。そして、切り株が残ったので「きりくいの僧正」とあだ名を付けられた。すると僧正はますます逆上して、今度は切り株までも掘りおこした。そして大きな堀ができた。その後、僧正は「堀池の僧正」になった。

原文

(きんよ)の(にゐ)のせうとに、(りやうがくそうじやう)と聞えしは、(きは)めて腹あしき人なりけり。

(ぼう)の(かたはら)に、大きなる(え)の木のありければ、人、「(えのきのそうじやう)」とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木を(き)られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。いよいよ腹立ちて、きりくひを堀り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「(ほりけ)僧正」とぞ言ひける。

第四十六段 ​

柳原町に強盗法印という坊さんがいた。しょっちゅう強盗被害に遭っていたので、こんなあだ名を付けられたそうだ。

原文

(やなぎはら)の(ほとり)に、(ごうとうの)法印と(かう)する僧ありけり。(たびたび)強盗にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ。

第四十七段 ​

ある人が清水寺に、お詣りに出かけた。一緒についてきた年寄りの尼さんが道すがら、「くさめ、くさめ」と言い続けてやめない。「婆さんや、何をそんなにのたまわっているのだ」と尋ねても、老いた尼さんは返事もせず、気がふれたままだ。しつこく尋ねられると、老いた尼さんも逆上して、「ええい、うるさい。答えるのも面倒くさい。くしゃみをしたときに、このまじないをしなければ、死んでしまうと言うではないか。あたしが世話した坊ちゃまは賢くて、比叡山で勉強しているんだ。坊ちゃまが、今くしゃみをしたかも知れないと思うと気が気でないから、こうやってまじないをしているのだ」と言った。

殊勝なまでの心入れをする変人がいたもんだ。

原文

(あるひと)、(きよみづ)へ参りけるに、老いたる尼の行き連れたりけるが、道すがら、「くさめくさめ」と言ひもて行きければ、「(あまごぜん)、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、応へもせず、なほ言ひ(や)まざりけるを、度々問はれて、うち腹立ちて「やゝ。(はな)ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、(やしなひきみ)の、(ひえのやま)に(ちご)にておはしますが、たゞ今もや(はな)ひ給はんと思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。

(あ)り(がた)き志なりけんかし。

第四十八段 ​

藤原光親が、仙洞御所で世界平和を祈る儀式の執行委員長をしていた時、後鳥羽上皇に呼び出された。上皇と一緒に食事をし、食べ散らかしたお膳を後鳥羽上皇のいる御簾の中に突っ込んで退場した。宮廷のお運びさんたちが「きゃぁ、汚らしいわ。誰に片づけさせるつもりなの」と、目を細め合っていると、上皇は「伝統継承者のすることは、宮中のマナーを心得ていて、天晴れだ」と言って何度も感激していたそうだ。

原文

(みつちかのきやう)、院の(さいしようかう)(ぶぎやう)してさぶらひけるを、御前へ召されて、(くご)を(い)だされて食はせられけり。さて、食ひ散らしたる(ついがさね)を(みす)の(うち)へさし(い)れて、(まか)り(い)でにけり。女房、「あな(きた)な。(たれ)にとれとてか」など申し合はれければ、「(いうそく)の振舞、やんごとなき事なり」と、(かへすがへす)感ぜさせ給ひけるとぞ。

第四十九段 ​

ヨボヨボになってから、「仏道修行するぞ」と、時が過ぎて行くのを待っていてはならない。古い墓の多くは、夭逝した人の物である。思いがけず疾病して、たちまち「さよなら」を言う羽目になった時、初めて過失に気がついたりする。過失とは言うまでもなく、早く処理しておけばよい事をズルズルと先延ばしにして、どうでもよい事だけは何故だか迅速に対処してきた人生に対して過去を悔しく思うことである。やはり、こぼれたミルクは元に戻らない。

人は、いつまでもこんな日が続かないと常に心に思い、いつも忘れてはならない。そうすれば、世の中のヘベレケ達に混ざって俗世間にまみれる暇もなく、仏道修行にも身が入るはずだ。

「今は昔、聖人がいた。客が訪問し自分や他人の雑多な事を話し出すと、こう答えた。『今すぐにやらねばならぬ事がある。人生の締切に追われているから他人の話を聞いている暇などない』。そして、耳栓をして念仏を唱えながら、とうとう楽しく死んでしまうことができた」と、禅林寺の永観が書いた『往生十因』という文献で紹介されている。また、心戒という聖人は、「あまりにもこの世の人生は不安定だ」と思って、じっと座っていることもなく、死ぬまでしゃがんでばかりいた。

原文

(お)い(き)りて、始めて道を(ぎよう)ぜんと待つことなかれ。古き(つか)、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、(たちまち)ちにこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。誤りといふは、他の事にあらず、速やかにすべき事を(ゆる)くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや。

人は、たゞ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、(つか)の(ま)も忘るまじきなり。さらば、などか、この世の濁りも薄く、仏道を勤むる心もまめやかならざらん。

「昔ありける(ひじり)は、人来りて自他の要事を言ふ時、答へて云はく、「今、(くわきふ)の事ありて、既に(あしたゆふべ)に(せま)れり」とて、耳をふたぎて念仏して、つひに往生を遂げけり」と、(ぜんりん)の(じふいん)に(はべ)り。(しんかい)といひける聖は、余りに、この世のかりそめなる事を思ひて、(しづ)かについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありける。

第五十段 ​

応長というのは、一三一一年の事。三月の頃、伊勢の方から、女が鬼に化けて上京したというニュースがあった。それから二十日ぐらい経つと、日に日に、京都や白川の人が「鬼を見に行く」と言って、野次馬に変身した。「昨日の鬼は、西園寺に出没した」とか「今日の鬼は皇帝のお宅に伺うだろう」とか「今は、あそこに」などと噂だけが一人歩きした。「確かに鬼を見た」と言う人もなく「出任せだ」と言う人もない。高い身分の人も、そうでは無い人も、皆が鬼の話ばかりでキリがない。

その頃、東山から安居院の近くへ出かけたところ、四条通りから上の方の住民が皆、北を目指して走っていた。「一条室町に鬼がいる」とわめき散らしている。今出川のあたりから見渡してみると、皇帝が祭を見物する板張り席のあたりには、人が通る隙間もなく、賑わい、ごった返していた。「ここまでの騒ぎになるなら、全く根拠のない話でもないだろう」と、人を使わして見に行かせると、一人も鬼と会った人がいない。日暮れまで大騒ぎし、しまいには殴り合いまで勃発して、阿呆らしくもあった。

この頃、至る所で病気が蔓延し、患者は二三日寝込んだ。「あの鬼の空言は、この伝染病の前触れだった」と言う人もいた。

原文

(おうちやう)の(ころ)、(いせのくに)より、女の鬼に成りたるをゐて(のぼ)りたりといふ事ありて、その比廿日ばかり、日ごとに、京・(しらかは)の人、鬼見にとて出で惑ふ。「昨日は(さいをんじ)に参りたりし」、「今日は院へ参るべし」、「たゞ今はそこそこに」など言ひ合へり。まさしく見たりといふ人もなく、(そらごと)と云う人もなし。(じやうげ)、ただ鬼の事のみ言ひ止まず。

その比、(ひんがしやま)より(あぐゐ)(へん)へ(まか)り(はべ)りしに、(しでう)よりかみさまの人、皆、北をさして走る。「一条(むろまち)に鬼あり」とのゝしり合へり。(いまでがは)の辺より見やれば、院の(おんさじき)のあたり、更に通り(う)べうもあらず、立ちこみたり。はやく、跡なき事にはあらざンめりとて、人を(や)りて見するに、おほかた、(あ)へる者なし。暮るゝまでかく立ち(さわ)ぎて、(はて)は(とうじやう)おこりて、あさましきことどもありけり。

その比、おしなべて、(ふつかみか)、人のわづらふ事(はべ)りしをぞ、かの、鬼の(そらごと)は、このしるしを示すなりけりと言ふ人も侍りし。

第五十一段 ​

嵯峨の亀山殿の池に大井川の水を引こうということになり近隣の住民に命令して水車を建設させた事があった。大金をばらまいて時間をかけて丁寧に造った。川に仕掛けたのだが水車は一向に回転しない。色々修理したが、全く回転しないので、とうとう廃墟と化した。

そこで宇治川沿いに暮らす土着民を呼びだして水車を建設させたら簡単に完成させて、思い通りにクルクル回り水を汲み上げる姿が気持ちよかった。

何事もプロの技術は尊敬に値する。

原文

(かめやまどの)の(みいけ)に大井川の水をまかせられんとて、大井の(どみん)に仰せて、(みづぐるま)を作らせられけり。多くの(あし)を給ひて、(すじつ)に(いとな)み(い)だして、掛けたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、いたづらに立てりけり。

さて、(うぢ)の(さとびと)を召して、こしらへさせられければ、やすらかに(ゆ)ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み(い)るゝ事めでたかりけり。

(よろづ)に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。

第五十二段 ​

仁和寺に暮らしていたある坊さんは、老体になるまで石清水八幡宮を拝んだことがなかったので、気が引けていた。ある日、思い立って、一人で歩いて参拝することにした。八幡宮の付属品である、極楽寺と高良神社だけ拝んで「これで思いは遂げました」と思いこみ「八幡宮はこれだけか」と、山頂の本殿を拝まずに退散した。

帰ってから、友達に「前から思っていた事を、ついにやり遂げました。これまた、噂以上にハラショーなものでした。しかし、お参りしている方々が、みんな登山をなさっていたから、山の上でイベントでもあったのでしょうか? 行ってみたかったのですが、今回は参拝が目的だったので、余計な事はやめておこうと、山頂は見てこなかったのです」と語った。

どんな些細なことでも、案内がほしいという教訓である。

原文

(にんわじ)にある(ほふし)、年(よ)るまで(いはしみづ)を(おが)まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、(かち)より(まう)でけり。(ごくらくじ)・(かうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ(ほい)なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

少しのことにも、(せんだち)はあらまほしき事なり。

第五十三段 ​

またもや仁和寺の坊さんの話。「小僧が坊主になる別れの名残」などと言って、坊さん達は、それぞれ宴会芸を披露してはしゃいでいた。酔っぱらって、あまりにもウケを追求するあまり、一人の坊さんが、近くにある三本足のカナエを頭にかぶってみた。窮屈なので、鼻をペタンと押して顔を無理矢ねじ込み踊りだした。参加者一同が大変よろこんで、大ウケだった。

踊り疲れて、足ガナエから頭を取り外そうとしたが、全く抜けない。宴会はそこで白けて、一同「ヤバい」と戸惑った。メチャクチャに引っ張っていると、首のまわりの皮が破れて血みどろになる。ひどく腫れて首のあたりが塞がり苦しそうだ。仕方がないので叩き割ろうとしても、そう簡単に割れないどころか、叩けば叩くほど、音が響いて我慢ができない。もはや、手の施しようが無く、カナエの三本角の上から、スケスケの浴衣を掛けて、手を引き、杖を突かせて、都会の病院に連れて行った。道中、通行人に「何だ? あれは?」と気味悪がられて、良い見せ物だった。病院の中に入って、医者と向き合っている異様な姿を想像すれば、面白すぎて腹がよじれそうになる。何か言ってもカナエの中でこもってしまい、聞き取ることが出来ない。医者は「こう言った症状は、医学関係の教科書にも治療法がなく、過去の症例も聞いたことがありません」と事務的に処理した。匙を投げられて、途方に暮れながら仁和寺に戻った。友達や、ヨボヨボの母親が枕元に集まり悲しんで泣く。しかし、本人は聞いていそうにもなく、ただ放心していた。

そうこうしていると、ある人が「耳と鼻がぶち切れたとしても、たぶん死なないでしょう。力一杯、引き抜くしかありません」と言った。金属の部分に肌が当たらないよう、藁を差し込んで、首が取れそうなぐらい思いきり引っ張った。耳と鼻が陥没したが、抜けたことには変わらない。かなり危ない命拾いだったが、その後は、ずっと寝込んでいた。

原文

これも(にんわじ)の法師、(わらは)の法師にならんとする名残とて、おのおのあそぶ事ありけるに、(ゑ)ひて興に(い)る(あま)り、(かたはら)なる(あしがなへ)を取りて、(かしら)に(かづ)きたれば、詰るやうにするを、鼻をおし(ひら)めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座興に(い)る事限りなし。

しばしかなでて後、(ぬ)かんとするに、(おほかた)抜かれず。酒宴ことさめて、いかゞはせんと惑ひけり。とかくすれば、(くび)の(まは)り欠けて、血(た)り、たゞ(は)れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、(ひび)きて(た)へ(がた)かりければ、かなはで、すべきやうなくて、(みつあし)なる(つの)の上に(かたびら)をうち掛けて、手をひき、(つえ)をつかせて、京なる(くすし)のがり、(ゐ)て行きける、道すがら、人の怪しみ見る事限りなし。(くすし)のもとにさし(い)りて、向ひゐたりけんありさま、さこそ(ことやう)なりけめ。物を(い)ふも、くゞもり声に(ひび)きて聞えず。「かゝることは、(ふみ)にも見えず、伝へたる(をし)へもなし」と言へば、また、仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、(まくらがみ)に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。

かゝるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ(き)れ(う)すとも、命ばかりはなどか生きざらん。たゞ、力を(た)てて(ひ)きに引き給へ」とて、(わら)のしべを(まは)りにさし入れて、かねを隔てて、(くび)もちぎるばかり引きたるに、耳鼻(か)けうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。

第五十四段 ​

しつこく仁和寺の話。仁和寺の住職のお宅に、とても可愛い男児がいた。どうにか誘惑して、この幼児と一緒に遊びたいと思う坊主達もいた。彼等は、芸人かぶれの坊主を丸め込んで仲間にした。オシャレな弁当箱を特注して、汚れないように箱にしまい、仁和寺から南一キロにある三つコブの丘の分かり易い場所に埋めて、紅葉を振りかけ、さり気ないようにしておいた。それから寺へ戻り、幼児をそそのかして連れ出した。

幼児と遊ぶことがあまりにも嬉しく、あちこちと連れ回した。丘に登り苔むす地面に皆で座って「とても疲れた」とか「誰か、紅葉で焚き火して、酒の燗をしてくれないか」とか「火遁の術を修行した坊さんよ、試しに呪文を唱えてくれないか」などと言う。すると超能力者役の坊さんが、弁当箱を埋めた木の根っこに向かい数珠をスリスリして、物々しく両手で印を結んだ。演技をしながら紅葉をかき払うと、もぬけの殻だった。「場所が違ったか」と、掘らない場所が無いほど山を荒らしたが、とうとう見つからなかった。埋めているところを誰かに見つけられて、仁和寺に戻った頃には盗まれてしまったのだろう。坊さんたちは、その場を取り繕う言葉も失って、年甲斐もなく口喧嘩をし、最後は逆上しながら帰って行った。

必要以上に小細工すると、結果はこうなるという教訓である。

原文

(おむろ)にいみじき(ちご)のありけるを、いかで誘ひ出して遊ばんと(たく)む法師どもありて、能あるあそび法師どもなどかたらひて、風流の(わりご)やうの物、ねんごろにいとなみ出でて、箱(ふぜい)の物にしたゝめ入れて、(ならび)の岡の(びん)よき所に(うづ)み置きて、紅葉散らしかけなど、思ひ寄らぬさまにして、御所へ参りて、児をそゝのかし出でにけり。

うれしと思ひて、こゝ・かしこ遊び廻りて、ありつる(こけ)のむしろに並み(ゐ)て、「いたうこそごうしにたれ」、「あはれ、紅葉を(た)かん人もがな」、「(げん)あらん僧たち、祈り(こころ)みられよ」など言ひしろひて、(うづ)みつる木の下に向きて、(ずず)おし(す)り、印ことことしく結び(い)でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つやつや物も見えず。所の(たが)ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあされども、なかりけり。埋みける人を見置きて、御所へ参りたる間に盗めるなりけり。法師ども、(こと)の(は)なくて、聞きにくゝいさかひ、(はらだ)ちて帰りにけり。

あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり。

第五十五段 ​

住まいの建築は、夏を考えて造りなさい。冬は、住もうと思えばどこにでも住める。猛暑の欠陥住宅は我慢ならない。

庭に深い川を流すのは、涼しそうではない。浅く流れているほうが、遥かに涼しく感じる。小さい物を鑑賞する時は、吊すと影ができる窓よりも引き戸の方が明るくて良い。部屋の天井を高くすると冬は寒く照明も暗くなる。「新築の際には、必要ない箇所を造っておけば、目の保養になるし、いざという時に役に立つ事があるかも知れない」と、ある建築士が言っていた。

原文

家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き(ころ)わろき(すまひ)は、堪へ難き事なり。

深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、(はる)かに涼し。細かなる物を見るに、(やりど)は、(しとみ)の(ま)よりも(あか)し。天井の高きは、冬寒く、(ともしび)(くら)し。(ざうさく)は、用なき所を作りたる、見るも面白く、(よろづ)の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。

第五十六段 ​

長らく会わず久しぶりの人が、こちらに有無を言わせず、自分の近況報告だけを矢継ぎ早に話し出したとしたら気にくわない。遠慮のいらない関係でも、久しぶりに会えば、親しき仲にも礼儀ありだ。品格の無い人は、ちょっとお出かけしただけでも、「今日のできごと」などと、呼吸している暇があるのか心配になってしまうぐらい、嬉々として話すものである。人格者であれば、大勢の中で一人に向かって話しても、周りの人まで聞き入るであろう。人格者で無い人は、目立ちたい根性を丸出しにして、座の中に割り込み、作り話をいかにも見たように脚色する。つられて一同、ゲラゲラ騒ぐのはやかましくて困る。高尚な話をしても、全く興味を示さず、反対に下品な話を始めて笑い転げるのを見れば、おおよそ知能指数が判定できる。

勉強家が学問の事を議論している時に、突然、人の器量の善し悪しを、自分と比べて馬鹿にしていたら、それは取り返しようのない馬鹿である。

原文

久しく(へだた)りて(あ)ひたる人の、我が方にありつる事、数々に残りなく語り続くるこそ、あいなけれ。隔てなく馴れぬる人も、程経て見るは、(は)づかしからぬかは。つぎざまの人は、あからさまに立ち(い)でても、(けふ)ありつる事とて、(いき)も(つ)ぎあへず語り興ずるぞかし。よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ、よからぬ人は、(たれ)ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。をかしき事を言ひてもいたく興ぜぬと、興なき事を言ひてもよく笑ふにぞ、(しな)のほど(はか)られぬべき。

人の身ざまのよし・あし、(ざえ)ある人はその事など定め合へるに、(おの)が身をひきかけて言ひ(い)でたる、いとわびし。

第五十七段 ​

誰かが短歌のことを話し出して、取り上げた短歌がつまらなかったら、白けてしまう。しっかり短歌を読み解ける人ならば、そんな短歌は「良い歌だ」と勘違いして取り上げたりはしない。

どんなことででも、よく分かりもしない世界の持論をこねくり回しているのを聞くと、気の毒な気がするし、良い気がしない。

原文

人の語り(い)でたる歌物語の、歌のわろきこそ、(ほい)なけれ。少しその道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。

すべて、いとも知らぬ道の物語したる、かたはらいたく、聞きにくし。

第五十八段 ​

「仏の道の修行をしようという心構えがあるのならば、住む場所は関係ないと思う。家族の住む家に住み、他人とつき合っていても、死んだ後の世界のことを願う気持ちに支障があるでしょうか?」と言うのは、極楽往生を理解していない人の意見である。本当に現世をチンケな世界だと思い、絶対に生死を超越してやろうと思うのなら、何が面白くて、朝から晩まで社会の歯車になって、家族計画に気合いを入れるのだろうか。心は周りの雰囲気に移ろうものだから、余計な雑音がない場所でないと修行などできっこない。

仏道修行への気合いは、到底昔の人に及ばないから、山林に籠もっても、餓えを凌いで嵐を防ぐ何かがなければ生きていくこともできないわけで、一見、俗世にまみれていると、見方によっては見えないこともない。けれども「それでは、世を捨てた意味もない。そんなことなら、どうして世を捨てたのだろうか?」などと言うのは、メチャクチャな話だ。やはり、一度は俗世間を捨てて、仏の道に足を踏み入れ、厭世生活をしているのだから、たとえ欲があると言っても、権力者の強欲さとは比較できないほどせこい。紙で作った布団や、麻で作った衣装、お椀一杯の主食に雑草の吸い物、こんな欲求は世間ではどれぐらいの出費になるだろうか? だから、欲しい物は簡単に手に入り、欲求もすぐに満たされる。また、恥ずかしい身なりをしているので、世間に関わると言っても、修行の妨げになることからは遠ざかり、修行にとってプラスになることにしか近寄ることもない。

人間として生まれてきたからには、何が何でも世間を捨てて山籠もり生活を営むことが理想である。節操もなく世の中の快楽をむさぼることに忙しく、究極の悟りを思わないとすれば、そこらのブタと何ら変わることがない。

原文

「(だうしん)あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交はるとも、(のちのよ)を願はんに(かた)かるべきかは」と言ふは、さらに、後世知らぬ人なり。げには、この世をはかなみ、必ず、(しやうじ)を(い)でんと思はんに、何の(きよう)ありてか、朝夕君に仕へ、家を顧みる営みのいさましからん。心は(えん)にひかれて移るものなれば、(しづ)かならでは、道は(ぎやう)じ難し。

その(うつはもの)、昔の人に及ばず、山林に(い)りても、(うゑ)を助け、(あらし)を防くよすがなくてはあられぬわざなれば、おのづから、世を(むさぼ)るに似たる事も、たよりにふれば、などかなからん。さればとて、「(そむ)けるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし」など言はんは、無下の事なり。さすがに、(ひとたび)、道に(い)りて世を(いと)はん人、たとひ望ありとも、勢ある人の(とんよく)多きに似るべからず。紙の(ふすま)、麻の衣、一(はつ)のまうけ、(あかざ)の(あつもの)、いくばくか人の(つひ)えをなさん。求むる所は得やすく、その心はやく足りぬべし。かたちに(は)づる所もあれば、さはいへど、悪には(うと)く、善には近づく事のみぞ多き。

人と生れたらんしるしには、いかにもして世を(のが)れんことこそ、あらまほしけれ。(ひと)へに(むさぼ)る事をつとめて、(ぼだい)に趣かざらんは、(よろづ)の(ちくるい)に変る所あるまじくや。

第五十九段 ​

悟りを開くのであれば、気がかりで捨てられない日常の雑多な用事を途中で辞めて、全部そのまま捨てなさい。「あと少しで定年だから」とか「そうだ、あれをまだやっていない」とか「このままじゃ馬鹿にされたままだ。汚名返上して将来に目処を立てよう」とか「果報は寝て待て。慌てるべからず」などと考えているうちに、他の用事も積み重なり、スケジュールがパンパンになる。そんな一生には、悟り決意をする日が来るはずもない。世間の家庭を覗いてみると、少し利口ぶった人は、だいたいこんな感じで日々を暮らし、死んでしまう。

隣が火事で逃げる人が「ちょっと待ってください」などと言うものか。死にたくなかったら、醜態をさらしてでも、貴重品を捨てて逃げるしかない。命が人の都合を待ってくれるだろうか? 儚い命が閉店する瞬間は、水害、火災より迅速に攻めてくる。逃れられない事だから、臨終に「死にそうな親や、首のすわりの悪い子や、師匠への恩、人から受ける優しさを捨てられそうもない」と言ってみたところで、捨てる羽目になる。

原文

(だいじ)を思ひ立たん人は、去り難く、心にかゝらん事の(ほい)を(と)げずして、さながら捨つべきなり。「しばし。この事果てて」、「同じくは、かの事(さた)しおきて」、「しかじかの事、人の(あざけ)りやあらん。(ゆくすゑ)難なくしたゝめまうけて」、「(としごろ)もあればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物騒がしからぬやうに」など思はんには、え去らぬ事のみいとゞ重なりて、事の(つ)くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。おほやう、人を見るに、少し心あるきはは、皆、このあらましにてぞ(いちご)は(す)ぐめる。

近き火などに(に)ぐる人は、「しばし」とや言ふ。身を助けんとすれば、(はぢ)をも顧みず、(たから)をも捨てて(のが)れ去るぞかし。命は人を待つものかは。無常の(きた)る事は、水火の(せ)むるよりも(すみ)かに、(のが)れ難きものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨て難しとて捨てざらんや。

第六十段 ​

真乗院に盛親僧都という天才がいた。里芋が大好きで大量に食べていた。説法集会の時でも大鉢に山の如く積み上げて、膝の近くに置いて食べながら本を読んでいた。疾病すれば、一二週間入院して思い通りの良い芋を選別し、普段よりも大量に食べ、どんな大病も完治させた。また、誰にも芋をやらず、いつも独り占めした。貧乏を窮めていたが、師匠が死んで寺と二百貫の財産を相続した。その後、百貫で寺を売り飛ばし、三百貫もの大金を手にした。その金を芋代と決めて、京都銀行に貯金した。十貫ずつ金を引き出しては、芋を買い、満足するまで食べ続けた。他に散財する物もなく全て芋代に化けた。「三百貫の大金を、全て芋に使うとは類い希なる仏教人だ」と人々に称えられ、殿堂入りした。

この僧都は、ある坊さんを見て「しろうるり」とあだ名を付けた。誰かに「しろうるりとは、どんな物ですか?」と問われると「私も何だか知りません。もし、そんな物があったなら、きっとこの坊さんの顔にそっくりな物でしょう」と答えたそうだ。

この僧都は、男前で、絶倫で、大食漢で、達筆でもあり、学才が半端でなく、演説させれば最高だった。仁和寺系列ではナンバーワンの僧侶だったが、世間を小馬鹿にしている節があり、いわゆる曲者であった。勝手気ままに生き、ルールなども守らない。もてなしの宴でも、自分の前にお膳が来ると、たとえ配膳中であってもすぐに平らげ、帰りたくなれば一人だけ立ち上がり退室した。寺の食事も、他の僧のように規則正しく食べたりせず、腹が減ったら、夜中、明け方、構わず食べた。欠伸をすれば、昼でも部屋に施錠して寝てしまう。どんなに大切な用事があっても、人の言いなりになって目覚めることはなかった。寝過ぎて目が冴えると、夜中でも夢遊状態のまま鼻歌交じりで徘徊する。かなりの変態であったが、誰からも嫌われることなく世間から許容されていた。まさに、超人のなせる技である。

原文

(しんじようゐん)に、(じやうしんそうづ)とて、やんごとなき智者ありけり。芋頭といふ物を好みて、多く(く)ひけり。(だんぎ)の座にても、大きなる鉢にうづたかく(も)りて、(ひざもと)に(お)きつゝ、食ひながら、文をも読みけり。(わづら)ふ事あるには、(なぬか)・(ふたなぬか)など、(れうぢ)とて(こも)り(ゐ)て、思ふやうに、よき(いもがしら)を(えら)びて、ことに多く食ひて、(よろづ)の(やまひ)を(いや)しけり。人に食はする事なし。たゞひとりのみぞ食ひける。極めて(まづ)しかりけるに、(ししやう)、死にさまに、(ぜに)二百貫と(ぼう)ひとつを譲りたりけるを、坊を百貫に売りて、かれこれ三万(ひき)を芋頭の(あし)と定めて、京なる人に預け置きて、十貫づつ取り寄せて、芋頭を(とも)しからず召しけるほどに、また、他用に用ゐることなくて、その(あし)皆に成りにけり。「三百貫の物を貧しき身にまうけて、かく(はから)らひける、まことに有り難き(だうしんじや)なり」とぞ、人申しける。

この僧都、或法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。「とは何物ぞ」と人の問ひければ、「さる者を我も知らず。若しあらましかば、この僧の顔に似てん」とぞ言ひける。

この僧都、みめよく、力強く、(たいしよく)にて、(のうじよ)・(がくしやう)・(べんぜつ)、人にすぐれて、(しゆう)の(ほふとう)なれば、(じちゆう)にも重く思はれたりけれども、世を(かろ)く思ひたる(くせもの)にて、万自由にして、大方、人に従ふといふ事なし。(しゆつし)して(きやうぜん)などにつく時も、皆人の前(す)ゑわたすを待たず、我が前に据ゑぬれば、やがてひとりうち食ひて、帰りたければ、ひとりつい立ちて行けり。(とき)・(ひじ)も、人に(ひと)定めて食はず。我が食ひたき時、夜中にも暁にも食ひて、(ねぶ)たければ、昼もかけ(こも)りて、いかなる大事あれども、人の言ふ事聞き入れず、目(さ)めぬれば、幾夜も(い)ねず、心を澄ましてうそぶきありきなど、(よのつね)ならぬさまなれども、人に(いと)はれず、(よろづ)許されけり。徳の至れりけるにや。

第六十一段 ​

天皇の正妻や二号、愛人が出産する際に、炊飯器を転げ落とす儀式は必須ではない。後産が長引かないようにする、単なるまじないなのだ。安産であれば必要ない。

元は庶民の風習であり、何の根拠もない。大原の里から炊飯器を取り寄せるのだが、これは「大原」と「大腹」の駄洒落である。宝物殿に安置してある古いタブローに、貧乏人の出産時に、炊飯器を転がしている様子が残っている。

原文

(ごさん)の時、(こしき)落す事は、(さだ)まれる事にあらず。御(えな)とゞこほる時のまじなひなり。とゞこほらせ給はねば、この事なし。

下ざまより事起りて、させる(ほんせち)なし。(おほはら)の里の(こしき)を召すなり。古き(ほうぞう)の絵に、(いや)しき人の子産みたる所に、甑落したるを書きたり。

第六十二段 ​

悦子内親王が、小さなお嬢ちゃんだった頃、父上の隠居先を訪ねる人に「ことづて」と言って、渡した歌。

「こ」は二本「ひ」は牛の角「し」を曲げて「く」にして繋ぐ 君のことだよ

この歌は、「恋しく」思う歌なのである。

原文

(えんせいもんゐん)、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御言つてとて申させ給ひける御歌、

ふたつ文字、牛の(つの)文字、(す)ぐな文字、(ゆが)み文字とぞ君は覚ゆる

恋しく思ひ参らせ給ふとなり。

第六十三段 ​

後七日の儀式の実行委員長である導師が、近衛兵を配備して厳重に警備するのは、いつだったか、儀式の最中、強盗に襲撃されたからである。「一年の計は元旦にあり」と言うぐらい、大切な儀式だが、軍隊に囲まれて開催されれば、軍事国家のようになる。

原文

(ごしちにち)の(あざり)、武者を(あつ)むる事、いつとかや、(ぬすびと)にあひにけるより、(とのゐびと)とて、かくことことしくなりにけり。(ひととせ)の(さう)は、この(しゆちゆう)のありさまにこそ見ゆなれば、(つはもの)を用ゐん事、(おだや)かならぬことなり。

第六十四段 ​

「飾り付きの高級車は、別に乗る人が決まっているわけではない。適当に偉くなれば誰でも乗れる」と、誰かがコッソリ教えてくれた。

原文

「車の(いつつお)は、必ず人によらず、程につけて、(きは)むる(つかさ)・(くらゐ)に至りぬれば、乗るものなり」とぞ、或人(おほ)せられし。

第六十五段 ​

近頃の冠と言えば、昔と比べると、ずいぶん長くなった。ビンテージ物の冠ケースを持っている人は、端を継ぎ足して使うしかない。

原文

この比の(かうふり)は、昔よりははるかに高くなりたるなり。古代の(かうふりをけ)を(も)ちたる人は、はたを(つ)ぎて、今用ゐるなり。

第六十六段 ​

近衛家平は、またの名を岡本関白とも言う。家平は、家来の親衛隊長、鷹匠の下毛野武勝に「捕らえた夫婦の雉を二羽、満開の梅が咲きこぼれる枝に結び付けて、ワシによこせ」と言った。武勝は、「花の枝に鳥を縛り付ける方法も、一本の枝に二羽の鳥を結び付ける方法も知りません」と突っぱねた。何としても、梅に夫婦の雉を緊縛したい家平は、料理人や、雉の献上方法に詳しい人間にも聞いてみたが、誰も知らなかった。仕方なく、武勝を呼び出して「だったら、お前が考えろ」と命令した。すると、武勝も「厭です」と言うわけにもいかず、花が散った梅の枝に雉を一羽だけ縛り付けて持参した。

伝統に従い献上した武勝が弁解するには「ご主人様から預かっております鷹の獲物の雉を献上するには、雑木林で伐採した木の枝や、梅でしたら、蕾の枝、花の散ってしまった枝に緊縛します。五葉松に緊縛することもあります。枝の長さは一メートル八十センチから二メートルまでとし、切り口は斜に切り、反対側を二センチ削ってV字に整えます。次に、枝の真ん中に雉を一羽だけ立たせます。雉が倒れないよう固定する枝と、足を留める枝が必要になります。つづら藤の蔓を割らないように使って、二カ所を固定します。藤の蔓の先端は火打ちの羽と同じ長さに切り、牛の角を真似て結びます。初雪の朝、その枝を肩に背負って、わざとらしく門をくぐります。飛び石を飛んで、初雪に足跡を付けないよう注意して、雉のうぶ毛を少しだけ散りばめて歩きます。二棟造りの欄干に枝を立て掛けます。褒美の着物を頂いたら、それを襷掛けにして、一礼して退散します。靴が埋まらない程度の積雪でしたら出直します。雉のうぶ毛を散らしたのは、ご主人様から預かっている鷹が、雉の弱点を狙って狩りをした証拠です」と、尤もな事を、教科書の朗読のように言って誤魔化した。

満開の梅の枝に、なぜ雉を緊縛しなかったのだろうか。九月頃、造花の梅に雉を縛って「あなたのために手折った梅なので、秋でも花が満開です」と、キザな短歌を作った話が『伊勢物語』にもあった。イミテーションなら問題ないのだろうか。

原文

(おかもとのくわんぱくどの)、盛りなる紅梅の枝に、鳥(いつさう)を添へて、この枝に(つ)けて(まゐ)らすべきよし、(おんたかがひ)、(しもつけののたけかつ)に仰せられたりけるに、「花に鳥(つ)くる(すべ)、知り候はず。(ひとえだ)に二つ付くる事も、(ぞんち)し候はず」と申しければ、(ぜんぶ)に尋ねられ、人々に問はせ給ひて、また、武勝に、「さらば、己れが思はんやうに付けて参らせよ」と(おほ)せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つを付けて参らせけり。

(たけかつ)が申し(はべ)りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると(ち)りたるとに(つ)く。(ごえふ)などにも(つ)く。枝の(なが)さ七尺、或は六尺、返し刀五分に切る。枝の(なかば)に鳥を(つ)く。(つ)くる枝、(ふ)まする枝あり。しゞら(ふぢ)の割らぬにて、二(ところ)付くべし。藤の(さき)は、ひうち(ば)の(たけ)に(くら)べて(き)りて、牛の角のやうに(たわ)むべし。初雪の(あした)、枝を(かた)にかけて、(ちゆうもん)より(ふるま)ひて参る。(おほみぎり)の石を伝ひて、雪に跡をつけず、あまおほひの毛を少しかなぐり散らして、(ふたむね)の(ごしよ)の(かうらん)に(よ)せ(か)く。(ろく)を(い)ださるれば、(かた)に(か)けて、拝して(しりぞ)く。初雪といへども、(くつ)のはなの隠れぬほどの雪には、(まゐ)らず。あまおほひの毛を(ち)らすことは、鷹はよわ(ごし)を取る事なれば、御鷹の取りたるよしなるべし」と申しき。

花に鳥(つ)けずとは、いかなる(ゆゑ)にかありけん。(ながつき)ばかりに、梅の作り枝に(きじ)を付けて、「君がためにと(を)る花は時しも(わ)かぬ」と(い)へる事、(いせものがたり)に見えたり。(つく)り花は(くる)しからぬにや。

第六十七段 ​

賀茂別雷神社の境内にある岩本社と橋本社は、それぞれ在原業平、藤原実方を祀っているが、参拝する人たちはいつでもちぐはぐになっている。ある年、参拝した際に年を召された神社の職員が横切ったので呼び止めて聞いてみた。「実方は、手を清める水の上に影が映ったという話もありますので、水に近い橋本社の方でしょう。また、慈円僧正が、

原文

賀茂(かも)の岩本・橋本は、業平(なりひら)・実方なり。人の常に言ひ粉へ侍(はべ)れば、一年(ひととせ)参りたりしに、老いたる宮司(みやつかさ)の過ぎしを呼び止(とど)めて、尋ね侍りしに、「実方は、御手洗(みたらし)に影の映(うつ)りける所と侍れば、橋本や、なほ水の近ければと覚え侍る。吉水和尚(よしみづのくわしやう)の、

第六十八段 ​

九州に、何とかと言う兵隊の元締めがいた。彼は、「大根を万病の薬である」と信じて疑わず、毎朝二本ずつ焼いて食べることを長年の習慣にしてきた。

原文

筑紫(つくし)に、なにがしの押領使(あふりやうし)などいふやうなる者(もの)のありけるが、土大根(つちおほね)を万(よろづ)にいみじき薬とて、朝ごとに二(ふた)つづゝ焼(やき)きて食ひける事、年久(ひさ)しくなりぬ。

第六十九段 ​

円教寺の性空上人は、法華教を毎日飽きずに唱えていたので、目と耳と鼻と舌と体と心が冴えてきた。旅先で仮寝の宿に入った時、豆の殻を燃やして豆を煮ているグツグツという音を「昔は一心同体の親友だった豆の殻が、どうしたことか恨めしく豆の僕を煮ている。豆の殻は、僕らを辛い目に遭わせる非道い奴だ」と言う声に聞こえたそうだ。一方、豆の殻がパチパチ鳴る音は「自ら進んでこんなことをするものか。焼かれて熱くて仕方がないのに、どうすることも出来ない。だから、そんなに怒らないでくださいな」と言う声に聞こえたらしい。

原文

(しよしや)の(しやうにん)は、(ほつけ)(どくづ)の功(つも)りて、(ろくこん)(じやう)にかなへる人なりけり。旅の(かりや)に立ち入られけるに、豆の(から)を(た)きて豆を煮ける音のつぶつぶと(な)るを聞き給ひければ、「(うと)からぬ(おのれ)れらしも、(うら)めしく、我をば煮て、(から)き(め)を見するものかな」と言ひけり。(た)かるゝ(まめがら)のばらばらと(な)る(おと)は、「我が心よりすることかは。(や)かるゝはいかばかり堪へ難けれども、力なき事なり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。

第七十段 ​

後醍醐天皇の時代、平安京のコンサートホールで演奏会が開催されたのは、宮中に秘蔵されていた琵琶の名器、玄上が盗難にあった頃だった。名手、菊亭兼季が、もう一つの名器、牧馬を弾くことになった。席に座り手探りでチューニングをしていると、支柱を一本落としてしまった。菊亭は、ポケットに米を練った糊を忍ばせておいたので、修理した。準備が完了して供え物が飾り終わる頃には、よく乾いていて、演奏に差し支えはなかった。

だが、何か恨みでもあったのだろうか? 観客席から覆面女が乱入して、支柱を取り外して、元に戻して置いたという。

原文

(げんおう)の(せいしよだう)の(ぎよいう)に、(げんじやう)は(う)せにし(ころ)、(きくていのおとど)、(ぼくば)を(だん)じ給ひけるに、座に(つき)きて、(ま)づ(ぢう)を探られたりければ、一つ落ちにけり。(おんふところ)にそくひを持ち給ひたるにて付けられにければ、(じんぐ)の参る程によく(ひ)て、(ことゆゑ)なかりけり。

いかなる(いしゆ)かありけん。物見ける(きぬかづき)の、寄りて、放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。

第七十一段 ​

名前を聞けば、すぐにでもその人の面影で想像が一杯になるのに、実際に会ってみると記憶の中の顔と同じだったことはない。昔の小説を読んでいると「今だったら、あの家のあの辺の事かしら」などと空想し、「あの人みたいな雰囲気だろう」と妄想してしまうのは、誰もがする事だろうか。

また、何かにつけて、道ばたで会った人が言ったことや、目に見える現象が、昔から自分の心の中にあるような気がして「いつか、こんな事があったような気がする」と思うのだけど、いつの事だったかは思い出せず、でも、本当にあったかのようにノスタルジーに耽ってしまうのは、私だけの事だろうか。

原文

名を聞くより、やがて、(おもかげ)は(お)し(はか)らるゝ(ここち)するを、見る時は、また、かねて思ひつるまゝの顔したる人こそなけれ、昔物語を聞きても、この比の人の家のそこほどにてぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるゝは、(たれ)もかく覚ゆるにや。

また、如何なる折ぞ、たゞ今、人の言ふ事も、目に見ゆる物も、我が心の中に、かゝる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ(い)でねども、まさしくありし(ここち)のするは、我ばかりかく思ふにや。

第七十二段 ​

下品に見えてしまうもの。座っている周りに道具がたくさん転がっていること。硯に筆がたくさん陳列されていること。礼拝堂に仏像が多いこと。ガーデニングで石や草花を騒々しくすること。家の中に子供や孫がうようよしていること。人と会うとおしゃべりなこと。自分の自慢をたくさん書いた紙と引き換えに神仏に無理な祈願をすること。

おおよそ、多くても見苦しくないのは、キャスター付きの本棚に本がたくさんあること。ゴミ箱のゴミ。

原文

(いや)しげなる物、(ゐ)たるあたりに(てうど)の(おほ)き。(すずり)に筆の多き。(ちぶつだう)に(ほとけ)の多き。(せんざい)に石・草木の多き。家の内に(こうまご)の多き。人にあひて(ことば)の多き。(ぐわんもん)に(さぜん)多く書き載せたる。

多くて見苦しからぬは、(ふぐるま)の(ふみ)。(ちりづか)の塵。

第七十三段 ​

この世の中に語り伝えられている事は、真実そのままに語ってもつまらないからだろうか、多くの話は嘘八百である。

人は事実よりも大げさに物事を言う傾向がある上に、ましてや、年月を経て、遠く離れた場所の出来事であれば、言いたい放題に語られる。書物などに記録されてしまえば、もはや嘘は真実に書き換えられてしまう。巨匠の伝説は、愚かな人間が、ろくに知らないくせに神のように崇め奉るので、たちが悪い。しかし、その道の達人だったら、そんな架空伝説は信用しない。やはり「百聞は一見にしかず」なのである。

話している側から嘘のメッキが剥がれているのにも気付かず、口が自動的に出任せを言い出せば、すぐに根も葉もないウソッパチであることがバレる。また話している本人が、はなから「こんな話はウソッパチだろう」と知りながら、人から聞いたまま、鼻をピクピクさせて話せば、それは語り部をやっているだけだから、あながち「嘘つき」呼ばわりする訳にもいかない。だがしかし、もっともらしく話を捏造し、都合が悪い部分は曖昧にしたまま、最終的に話の辻褄を合わせてしまうようなインチキ技は、危険である。お世辞を言われて舞い上がっている者は、それを否定しない。周囲がインチキ話で盛り上がっている時に、一人だけ「嘘ばっかり」とムキになっても気まずくなるだけだから黙って聞いていると、そのうち嘘の証人になどにさせられて、瓢箪から出た駒みたくなってしまう。

と、文句を書いても、この世はインチキでまみれている。世の中を漂っている何げない事を、ありのままに受け入れてさえいれば、真実を見失わないはずだ。しかし、愚か者は、刺激を喜ぶから適当な事ばかり言っている。信頼できる人なら、いい加減な話をしたりはしない。

そうは言っても、「神の奇跡や、超人の輝かしい記録までも信じてはいけない」と言うわけではない。世の中にまみれている嘘に染まれば、間抜けである。それを信じる人に「そんなのはインチキだ」と言っても、既に洗脳済みだから仕方ない。どうせ殆どはインチキなのだから、諦めて適当にあしらい、意味もなく信じたりせず、心の中では「こいつはバカじゃないのか?」と思っても、用心の為に黙っていた方が良い。

原文

世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、(おほ)くは(みな)(そらごと)なり。

あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、(としつき)過ぎ、(さかひ)も(へだた)りぬれば、言ひたきまゝに語りなして、筆にも書き止めぬれば、やがて定まりぬ。道々の物の(じやうず)のいみじき事など、かたくななる人の、その道知らぬは、そゞろに、神の如くに言へども、道知れる人は、さらに、信も(おこ)さず。(おと)に聞くと見る時とは、何事も変るものなり。

かつあらはるゝをも(かへり)みず、口に(まか)せて言ひ(ち)らすは、やがて、浮きたることと聞ゆ。また、我もまことしからずは思ひながら、人の言ひしまゝに、(はな)のほどおごめきて言ふは、その人の(そらごと)にはあらず。げにげにしく所々うちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つまづま合はせて語る(そらごと)は、恐しき事なり。我がため(めんぼく)あるやうに言はれぬる(そらごと)は、人いたくあらがはず。(みなひと)の興ずる(そらごと)は、ひとり、「さもなかりしものを」と言はんも(せん)なくて聞きゐたる程に、証人にさへなされて、いとゞ定まりぬべし。

とにもかくにも、(そらごと)(おほ)き世なり。たゞ、常にある、(めづら)らしからぬ事のまゝに心(え)たらん、(よろづ)(たが)ふべからず。(しも)ざまの人の物語は、耳驚く事のみあり。よき人は怪しき事を語らず。

かくは言へど、(ぶつじん)の(きどく)、(ごんじや)の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは、世俗の(そらごと)をねんごろに信じたるもをこがましく、「よもあらじ」など言ふも(せん)なければ、大方は、まことしくあひしらひて、(ひとへ)に信ぜず、また、疑ひ(あざけ)るべからずとなり。

第七十四段 ​

蟻のように群れをなし、西へ、東へ猛スピード、南へ、北へ超特急。社会的身分の高い人もいる。貧乏人もいる。老人もいる。小僧もいる。出勤する場所があって、帰る家もある。夜に眠くなり、朝に目覚める。この人達は何をしているのだろうか。節操もなく長生きを欲しがり、利益は高利回りだ。もう止まらない。

養生しながら「何かいいことないか」と、呟きながら果報を待つ。とどの詰まりは、ただ老いぼれて死ぬだけだ。老いぼれて死ぬ瞬間は、あっという間で、思いの刹那が留まる事もない。老いぼれて死ぬのを待っている間に何か楽しい事でもあるのだろうか? 迷える子羊は老いぼれて死ぬのを恐がらない。名前を売る為に忙しく金儲けに溺れて、命の終点が近い事を知らないのだ。それでいてバカだから死ぬのを悲しむ。この世は何も変わらないと勘違いし、運命の大河に流されているのを感じていないからだ。

原文

(あり)の(ごと)くに集まりて、東西に(いそ)ぎ、南北に(わし)る人、高きあり、(いや)しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。(ゆふべ)に(い)ねて、(あした)に起く。いとなむ所何事ぞや。(しやう)を(むさぼ)り、利を(もと)めて、(や)む時なし。

身を養ひて、何事をか待つ。(ご)する(ところ)、たゞ、(おい)と死とにあり。その(きた)る事(すみや)かにして、念々の間に(とど)まらず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。(まど)へる者は、これを恐れず。(みやうり)に(おぼ)れて、(せんど)の近き事を(かへり)みねばなり。(おろ)かなる人は、また、これを悲しぶ。(じやうじゆう)ならんことを思ひて、(へんげ)の(ことわり)を知らねばなり。

第七十五段 ​

暇で放心している事に耐えられない人は、何を考えているのだろうか? 誰にも邪魔されないで、一人で変な事をしているのが一番いいのだ。

浮き世に洗脳されると心は下界の汚れでベタベタになり、すぐ迷う。他人と関われば、会話は機嫌を伺うようになり、自分の意志も折れ曲がる。人と戯れ合えば、物の奪い合いを始め、恨み、糠喜びするだけだ。すると、常に情緒不安定になり、被害妄想が膨らみ、損得勘定だけしか出来なくなる。正に迷っている上に酔っぱらっているようなものである。泥酔して堕落し路上で夢を見ているようでもある。忙しそうに走り回るわりには、ボケッとして、大切なことは忘れてしまう。人間とは皆この程度の存在である。

「仏になりたい」と思わなくても、逐電して静かな場所に籠もり、世の中に関わらず放心していれば、仮寝の宿とは言っても、希望はある。「生き様に悩んだり、人からどう見られているか気にしたり、手に職を付ける為に己を研鑽したり、教典を読み込んで論じる事など、面倒だから全て辞めてしまえ」と中国に伝わる『摩訶止観』に書いてある。

原文

つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるゝ(かた)なく、たゞひとりあるのみこそよけれ。

世に(したが)へば、心、(ほか)の(ちり)に(うば)はれて(まど)ひ易く、人に(まじ)れば、言葉、よその聞きに(したが)ひて、さながら、心にあらず。人に(たはぶ)れ、物に(あらそ)ひ、(ひとだび)は恨み、一度は喜ぶ。その事、(さだ)まれる事なし。(ふんべつ)みだりに起りて、得失止む時なし。(まど)ひの上に(ゑ)へり。(ゑ)ひの(うち)に夢をなす。走りて(いそ)がはしく、ほれて(わす)れたる事、人皆かくの如し。

未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を(しづ)かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「(しやうくわつ)・(にんじ)・伎能・学問等の諸縁を(や)めよ」とこそ。(まかしくわん)にも(はべ)れ。

第七十六段 ​

社会的に偉い事になっていて、時代の波にも乗っている人のお屋敷に、葬式とか祝い事があり、大勢の人が出入りしている中に聖職者であるはずの宗教家が、玄関のインターフォンを押しているのはやりすぎだと思う。

どんな理由があるにしても、宗教家は孤独であるべきだ。

原文

世の(おぼ)え花やかなるあたりに、(なげ)きも喜びもありて、人多く行きとぶらふ中に、(ひじり)(ほふし)の(まじ)じりて、言ひ(い)れ、たゝずみたるこそ、さらずともと見ゆれ。

さるべき(ゆゑ)ありとも、法師は人にうとくてありなん。

第七十七段 ​

世間で当時の人のブームになった事を話題にしたり、知らなくても良いような分際にも関わらず岡目八目に内情を熟知していて、人に喋り散らしたり質問攻めにしたりするのは、頭に来る。特に田舎の坊さんに至っては、世間のゴシップに詳しく、自分の身辺の様に調査して、「なんで、何でお前がそんなことを知っているのだ」と軽蔑されるぐらいの勢いで暴露するようだ。

原文

世の中に、その(ころ)、人のもてあつかひぐさに言ひ合へる事、いろふべきにはあらぬ人の、よく(あない)知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそ、うけられね。ことに、片ほとりなる(ひじり)(ほふし)などぞ、世の人の上は、我が(ごとく)く(たづ)ね聞き、いかでかばかりは知りけんと覚ゆるまで、言ひ散らすめる。

第七十八段 ​

流行の最先端を追いかけ、珍しい物の宣伝をし、有り難がるのも、また嫌なこった。流行が廃れるまで知らない方が格好良い。

不慣れな人がいる際に、現場の人間には馴染みの作業や物の名前を、知っている者同士が通称で呼び、目配せをして笑い合い、その意味がわからない者を不安な気持ちにさせるのは、世の中の仕組みが分かっていないバカタレがやりそうなことである。

原文

(いまやう)の事どもの珍しきを、言ひ広め、もてなすこそ、またうけられね。世にこと古りたるまで知らぬ人は、心にくし。

いまさらの人などのある時、こゝもとに言ひつけたることぐさ、(もの)の名など、心(え)たるどち、片端言ひ(かは)し、目見合はせ、笑ひなどして、心知らぬ人に心(え)ず思はする事、世(な)れず、よからぬ人の必ずある事なり。

第七十九段 ​

何事に関しても素人のふりをしていれば良い。知識人であれば、自分の専門だからと言って得意げな顔で語り出すことはない。中途半端な田舎者に限って、全ての方面において、何でもかんでも知ったかぶりをする。聞けば、こちらが恥ずかしくなるような話しぶりだが、彼等は自分の事を「偉い」と思っているから、余計にたちが悪い。

自分が詳しい分野の事は、用心して語らず、相手から何か質問されるまでは黙っているに越したことはない。

原文

何事も(い)りたゝぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知り顔にやは言ふ。(かたゐなか)よりさし出でたる人こそ、(よろづ)の道に心(え)たるよしのさしいらへはすれ。されば、世に(は)づかしきかたもあれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり。

よくわきまへたる道には、必ず(くちおも)く、(と)はぬ限りは(い)はぬこそ、いみじけれ。

第八十段 ​

誰にでも、自分とは縁が無さそうな分野に首を突っ込みたくなる傾向があるようだ。坊主が屯田兵まがいの事をしたり、弓の引き方も知らない武士が、さも仏の道に通じているような顔をして連歌や音楽を嗜む。そんな事は、怠けている自分の本業よりも、より一層バカにされるだろう。

宗教家に限ったことではない。政治家や公家、上流階級の者まで、取り憑かれたように戦闘的な人が多い。しかし、例え百戦錬磨であっても、その勇気を称える人はいないだろう。なぜなら、ラッキーな事が重なって敵をバタバタと薙ぎ倒している最中は、勇者という言葉さえ出てこない。武器を使い果たし、矢が尽きても、最後まで降参することなく、気持ちよく死んだ後に、初めて勇者の称号が与えられるからだ。生きている人間は、戦闘力を誇ってはならない。戦闘とは、人間のやるべき事ではなく、イーグルやライオンがやる事である。武術の後継者以外、好き好んで特訓しても意味がない。

原文

人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ(この)める。法師は、(つはもの)の道を(た)て、(えびす)は、弓ひく(すべ)知らず、(ぶつぽふ)知りたる(きそく)し、(れんが)し、(くわんげん)を(たしな)み(あ)へり。されど、おろかなる(おのれ)れが道よりは、なほ、人に思ひ(あなづ)られぬべし。

法師のみにもあらず、(かんだちめ)・(てんじやうびと)・(かみ)ざままで、おしなべて、武を(この)む人多かり。(ももたび)戦ひて(ももたび)勝つとも、未だ、(ぶよう)の名を定め難し。その(ゆゑ)は、運に乗じて敵を(くだ)く時、勇者にあらずといふ人なし。(つはもの)(つ)き、矢(きはま)りて、つひに敵に(くだ)らず、死をやすくして後、初めて名を顕はすべき道なり。(い)けらんほどは、武に(ほこ)るべからず。(じんりん)に遠く、(きんじう)に近き(ふるまひ)、その家にあらずは、好みて益なきことなり。

第八十一段 ​

屏風や襖などに、下手くそな絵や文字が書いてあると、みっともないと言うよりも、持ち主の品格が疑われる。

大体の事において、持ち物から持ち主の品性が察せられる場合が多い。常識を逸した高級品を持っていれば良いという話ではない。壊れないように、無骨に作って変形していたり、変わっているからと余計な部品を付けて、かえって使いづらくなっていたり、コテコテなのを喜んだりするのが良くないのだ。よく使い込んであって、わざとらしくなく、適正価格で作ってあり、その物が自体が良い物であればいい。

原文

(びやうぶ)・(しやうじ)などの、絵も文字もかたくななる筆様して(か)きたるが、見にくきよりも、宿の(あるじ)のつたなく(おぼ)ゆるなり。

(おほかた)、(も)てる調度にても、心(おと)りせらるゝ事はありぬべし。さのみよき物を持つべしとにもあらず。損ぜざらんためとて、(しな)なく、見にくきさまにしなし、珍しからんとて、用なきことどもし(そ)へ、わづらはしく(この)みなせるをいふなり。(ふる)めかしきやうにて、いたくことことしからず、(つひえ)もなくて、物がらのよきがよきなり。

第八十二段 ​

「薄い表紙の巻物は、すぐに壊れるから困る」と誰かが言った際に、頓阿が、「巻物は上下がボロボロになって軸の飾りが落ちると風格が出る」と言ったのが立派で、思わず見上げてしまった。また、全集や図鑑などが同じ体裁でないのは、「みっともない事だ」と、よく言われるが、弘融僧都が「何でも全部の物を揃えるのはアホのすることだ。揃っていない方が慎み深い」と言ったのには感動を覚えた。

「何事も完璧に仕上げるのは、かえって良くない。手を付けていない部分を有りの儘にしておく方が、面白く、可能性も見出せる。皇居の改築の際も必ず造り残しをする」と誰かも言っていた。昔の偉人が執筆した文献にも文章が脱落した部分が結構ある。

原文

「(うすもの)の表紙は、(とく)く損ずるがわびしき」と人の言ひしに、(とんあ)が、「(うすもの)は(かみしも)はづれ、(らでん)の(ぢく)は貝落ちて後こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして覚えしか。一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、(こうゆうそうづ)が、「物を必ず(いちぐ)に(ととの)へんとするは、つたなき者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく(おぼ)えしなり。

「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、(い)き(の)ぶるわざなり。(だいり)造らるゝにも、必ず、作り(は)てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢の作れる(ないげ)の文にも、(しやうだん)の(か)けたる事のみこそ侍れ。

第八十三段 ​

竹林入道、西園寺公衡は、最高長官へと出世するのに、何の問題も無くトントン拍子で進んだのだが「長官になっても、何ら変わったことも無いだろうから大臣で止めておこう」と言って出家した。洞院左大臣、藤原実泰も、これに感動して長官出世の望みを持たなかった。

「頂上に登りつめた龍は、ジェットコースターの如く急降下するしかあるまい。後は悔いだけが残る」と言う。太陽は黄昏に向かい、満月は欠け、旬の物は腐るのみ。森羅万象、先が見えている物事は破綻が近い証拠である。

原文

(ちくりんゐんのにふだう)左大臣殿、(だいじやうだいじん)に(あが)り給はんに、何の滞りかおはせんなれども、珍しげなし。(いちのかみ)にて(や)みなん」とて、出家し給ひにけり。(とうゐんの)左大臣殿、この事を(かんじん)し給ひて、(しやうこく)の望みおはせざりけり。

「(こうりうよう)の(くい)あり」とかやいふこと(はべ)るなり。月満ちては(か)け、物盛りにしては衰ふ。(よろづ)の事、(さき)の(つ)まりたるは、破れに近き道なり。

第八十四段 ​

三蔵法師は、インドに到着した際に、メイド・イン・チャイナの扇子を見てはホームシックになり、病気で寝込むと中華料理を所望したそうだ。その話を聞いて「あれ程の偉人なのに、異国では甘ったれていたのだな」と誰かが漏らした。それを聞いた弘融僧都が「心優しいお茶目な三蔵法師だ」と言ったのは、坊主臭くなく、むしろ深みがあるように思えた。

原文

(ほつけんさんざう)の、(でんぢく)に渡りて、故郷の(あふぎ)を見ては(かな)しび、病に(ふ)しては漢の(じき)を願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色を人の国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、(こうゆうそうづ)、「(いう)に(なさけ)ありける(さんざう)かな」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくゝ覚えしか。

第八十五段 ​

人の心は素直でないから、嘘偽りにまみれている。しかし、生まれつき心が素直な人がいないとも言い切れない。心が腐っている人は、他人の長所を嗅ぎつけ、妬みの対象にする。もっと心が腐って発酵している人は、優れた人を見つけると、ここぞとばかりに毒づく。「欲張りだから小さな利益には目もくれず、嘘をついて人から崇め奉られている」と。バカだから優れた人の志も理解できない訳で、こんな悪態をつくのだが、この手のバカは死んでも治らない。人を欺いて小銭を巻き上げるだけで、例え頭を打っても賢くなる事はない。

「狂った人の真似」と言って国道を走れば、そのまま狂人になる。「悪党の真似」と言って人を殺せば、ただの悪党だ。良い馬は、良い馬の真似をして駿馬になる。聖人を真似れば聖人の仲間入りが出来る。冗談でも賢人の道を進めば、もはや賢人と呼んでも過言ではない。

原文

人の心すなほならねば、(いつは)りなきにしもあらず。されども、おのづから、正直の人、などかなからん。己れすなほならねど、人の賢を見て(うらや)むは、(よのつね)なり。(いた)りて(おろ)かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを(にく)む。「大きなる(り)を(え)んがために、少しきの(り)を受けず、偽り飾りて名を立てんとす」と(そし)る。(おの)れが心に(たが)へるによりてこの(あざけ)りをなすにて知りぬ、この人は、(かぐ)の(せい)移るべからず、(いつは)りて小利をも辞すべからず、(かり)りにも賢を学ぶべからず。

狂人の(まね)とて(おほち)を走らば、即ち狂人なり。悪人の(まね)とて人を殺さば、悪人なり。(き)を学ぶは驥の(たぐ)ひ、(しゆん)を学ぶは舜の(ともがら)なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

第八十六段 ​

(これつぐの)中納言は、自然派の多才な詩人だった。お経漬けの仏道修行をする為に、三井寺の寺法師だった円伊僧正と同棲していた。文保の時代、三井寺が延暦寺の僧侶に放火されて焼け落ちた時、惟継は、この法師に「三井寺の法師であったあなたの事を寺法師と呼んでおりましたが、寺も無くなったので、今からはただの法師と呼びましょう」と言ったそうだ。とても気の利いた慰め方だ。

原文

(これつぐの)(ちゆうなごん)は、(ふげつ)の(さい)に(と)める人なり。(いつしやうしやうじん)にて(どきやう)うちして、(てら)(ほふし)の(ゑんいそうじやう)と(どうじゆく)して(はべ)りけるに、(ぶんぽう)に三井寺焼かれし時、(ぼうず)にあひて、「(ごぼう)をば(てら)(ほふし)とこそ申しつれど、(てら)はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。いみじき(しうく)なりけり。

第八十七段 ​

労働者に酒を飲ませる際には、細心の注意をはらわなくてはならない。

宇治に住んでいたある男は、京都に住んでいる具覚房と言う、ちょっとは名の知れた世捨て人と義兄弟の関係だった。なので、よく酒盛りをして親睦を深めた。いつもの様に、馬をやって具覚房を迎えに行かせた。具覚房は「この先、道のりは長い。まずは一杯やりなはれ」と言って、馬を引く男に酒を飲ませた。男は出された酒を次々と、だらだら垂らしながら飲みまくった。

太くて長い刀を腰からぶら下げ、勇敢に歩く男の姿を見て、具覚房は「何とも頼もしい事だ」と、心強く思いながら連れ歩いた。伏見の山道まで進むと、奈良法師が武装した兵隊を連れて歩いていた。泥酔状態の男は、何を血迷ったのか「おいこら、待て。日の暮れた山道を歩く怪しい狼藉者め」と言って、刀を抜いた。すると相手も、刀を抜き、矢を向けて防衛追撃の体勢に入った。具覚房は、咄嗟に危険を察知し、揉み手をしながら「どうかご無礼お許しください。この男は酒に酔って前後不覚なのです。私が頭を下げます。この通りです」と、命乞いをしたので、兵士達は冷笑して去っていった。

出鼻を挫かれた男は「何を言っているのだ、あんたは。俺は酔っちゃいねぇ。狼藉者を成敗して名を轟かす予定が狂ったじゃないか。抜いた刀のやり所に困ったものよ」と逆上して、ブンブンと刀を振り回しながら、具覚房を斬ってしまった。

そして男は、「山賊が出た」と怒鳴った。「何事が起きたのか」と、飛び出してきた野次馬達に向かって、男は「俺が山賊だ」と叫んで走りまわり、刀を振り回し、無差別殺傷に撃ってでた。迎え撃つ村人は大勢で取り囲んで押さえ込み、男を縛り上げた。血まみれになった馬だけが宇治の大通りを疾駆したので、具覚房を迎えにやらせた男は狼狽した。大男達を現場に急行させると、クチナシの花に埋もれて具覚房が唸っていたので病院に担ぎ込んだ。かなり危ない命拾いだったが、腰の傷が深く、車いす生活を余儀なくされた。

原文

(しもべ)に酒飲まする事は、心すべきことなり。

(うぢ)に住み(はべ)りけるをのこ、京に、(ぐかくばう)とて、なまめきたる(とんぜい)の僧を、こじうとなりければ、常に申し(むつ)びけり。(あるとき)、(むか)へに馬を(つかは)したりければ、「(はる)かなるほどなり。口づきのをのこに、先づ(いちど)せさせよ」とて、酒を(い)だしたれば、さし受けさし受け、よゝと飲みぬ。

(たち)うち(は)きてかひがひしげなれば、(たの)もしく覚えて、召し(ぐ)して行くほどに、(こはた)のほどにて(なら)(ほふし)の、(ひやうじ)あまた(ぐ)して逢ひたるに、この男立ち向かひて、「日暮れにたる(やまなか)に、(あや)しきぞ。(とま)まり候へ」と言ひて、太刀を(ひ)き(ぬ)きければ、人も皆、太刀(ぬ)き、矢はげなどしけるを、具覚房、手を(す)りて、「(うつ)し心なく(ゑ)ひたる者に候ふ。まげて(ゆる)し給はらん」と言いければ、おのおの(あざけ)りてりて過ぎぬ。

この男、(ぐかくばう)にあひて、「(ごぼう)は(くちを)しき事し給ひつるものかな。(おの)れ(ゑ)ひたる事(はべ)らず。(かうみやう)(つかまつ)らんとするを、抜ける(たち)(むな)しくなし給ひつること」と怒りて、ひた(き)りに斬り落としつ。

さて、「山だちあり」とのゝしりければ、里人おこりて(い)であへば、「我こそ山だちよ」と言ひて、走りかゝりつゝ(き)り(まは)りけるを、あまたして手(お)ほせ、打ち(ふ)せて(しば)りけり。馬は血つきて、(うぢおほち)の家に走り入りたり。あさましくて、をのこどもあまた(はし)らかしたれば、(ぐかくばう)はくちなし原にによひ伏したるを、求め(い)でて、(か)きもて(き)つ。(から)き命(い)きたれど、腰(き)り損ぜられて、かたはに成りにけり。

第八十八段 ​

或る者が、「これが書の達人として誉れ高い、小野道風が書き写した『和漢朗詠集』です」と言って秘蔵していた。別の者が、「あなた様のお宅に代々伝わる品物ですから、根拠が出鱈目だとインネンを付けるつもりは毛頭ないのでございますが、藤原公任が撰集した歌を、その時代に他界している小野道風が書き写しているので、矛盾していてインチキ臭いのですが」と尋ねた。すると、「お目が高い! だからこそ類い希なる珍品なのでございます」と答え、今までよりも大切に秘蔵したという。

原文

(あるもの)、(おののたうふう)の書ける(わかんらうえいしふ)とて持ちたりけるを、ある人「(ごさうでん)、浮ける事には(はべ)らじなれども四条大納言(えら)ばれたものを、(たうふう)書かん事、時代や(たが)ひ(はべ)らん。(おぼつか)なくこそ」と言ひければ、「さ候へばこそ、世にあり難き物には(はべ)りけれ」とて、いよいよ(ひさう)しけり。

第八十九段 ​

「山奥には猫又という肉食の怪獣がいて、人を食べるらしい」と、誰かが言えば「この近所でも、猫が猫又に進化して、人を襲ったらしい」と、言う者もいた。油小路にある行願寺の近くに住む何とか(だぶつ)という連歌好きな坊さんが、それを聞いてしまって、「一人でうろつく私などは用心しなくては」とビビっていた矢先の事である。一人で夜道を、ドブ川に沿って歩いていると噂に聞いた猫又がいるではないか。猫又は狙いを定めて足下に突進し素早く飛びつき首を引き裂こうとした。びっくり仰天して逃げようにも腰砕けになっていて、ドブ川に転げ落ちた。「助けて。で、出た。猫又、猫又が出た」と叫んだので、近所の住民が懐中電灯を灯しながら駆けつけた。灯りを照らしてみると、この辺の名物坊主である。「なんで、そんなに無様な姿を晒しているのですか?」と、引っ張り出せば、連歌の懸賞で貰った小箱や扇がポケットから飛び出してドブ川に浮いている。崖っ淵から生還した坊さんは、血圧が上がったまま帰宅したのであった。

実は、愛犬ポチが暗闇の中、ご主人様の帰りが嬉しくて尻尾を振り振り抱きついたそうだ。

原文

「奥山に、(ねこ)またといふものありて、人を(くら)ふなる」と人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の(へあが)りて、猫またに成りて、人とる事はあンなるものを」と言ふ者ありけるを、(なにあみだぶつ)とかや、連歌しける法師の、(ぎやうぐわんじ)の(へん)にありけるが聞きて、独り(ある)かん身は心すべきことにこそと思ひける比しも、或所にて(よふ)くるまで連歌して、たゞ独り帰りけるに、(こがは)の(はた)にて、音に聞きし猫また、あやまたず、足許へふと寄り来て、やがてかきつくまゝに、(くび)のほどを食はんとす。(きもこころ)も(う)せて、防かんとするに力もなく、足も立たず、小川へ(ころ)び(い)りて、「助けよや、猫またよやよや」と叫べば、家々より、松どもともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。「こは如何に」とて、川の中より(いだ)き(おこ)したれば、連歌の賭物取りて、(あふぎ)・小箱など(ふところ)に持ちたりけるも、水に(い)りぬ。(けう)にして助かりたるさまにて、(は)ふ這ふ家に(い)りにけり。

飼ひける犬の、(くら)けれど、(ぬし)を(し)りて、飛び付きたりけるとぞ。

第九十段 ​

大納言法印の召使いだった乙鶴丸は、やすら殿という人と仲が良かった。いつも遊びに出かけるので、法印が、乙鶴丸が帰宅した時に「どこをほっつき歩いているのだ」と尋問した。「やすら殿のお宅へ遊びに行っていました」と答えるので、法印は「やすら殿は、毛が生えているのか? それとも坊主か?」と再尋問した。乙鶴丸は、袖をスリスリしながら「さあ、どうでしょう。頭を拝見したことが無いもので」と答えた。

なぜ、頭だけが見えないのか、謎である。

原文

(だいなごんほふいん)の(め)し(つか)ひし(おとづるまる)、やすら殿といふ者を知りて、常に行き(かよ)ひしに、(あるとき)(い)でて帰り来たるを、(ほふいん)、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら(どの)のがり(まか)りて(さうら)ふ」と言ふ。「そのやすら殿は、(をとこ)か法師か」とまた問はれて、(そで)(か)き合せて、「いかゞ候ふらん。(かしら)をば見候はず」と答へ申しき。

などか、頭ばかりの見えざりけん。

第九十一段 ​

六日ごとに訪れる赤舌日という日がある。陰陽道の占いの世界では、取るに足りない事である。昔の人は、こんな事を気にせずに暮らしていた。最近になって、誰が言い出したのかは知らないが、不吉な日だと言う事になって、忌むようになった。「この日に始めた事は、中途半端で終わり、言った事、行った事は、座礁し、手に入れた物は、紛失し、立てた計画は、失敗に終わる」と言うのは、馬鹿げたことだ。敢えて大安吉日を選んで始めた事でも、行く末を見てみれば、赤舌日に始めた事と同じ確率でうまくいってない。

解説すれば、世界は不安定で、全ての物事は、終わりに向かって緩やかなカーブを描いている。そこにある物が、永遠に同じ形で存在することは不可能である。成功を目指しても、最終的には失敗し、目的が達成できないまま、欲望だけが膨れあがるのが世の常だ。人の心とは、常に矛盾していて説明出来るはずもなく、物質は、いつか壊れて無くなる事を思えば、幻と一緒である。永遠など無いのだ。このシステムを理解していないから「吉日の悪い行いは、必ず罰が当たり、悪日の良い行いは、必ず利益がある」などと、寝言を言うのである。物事の良い悪いは、心の問題で、日柄とは関係ない。

原文

(しやくぜつにち)といふ事、(おんやうだう)には(さた)なき事なり。昔の人、これを(い)まず。この(ころ)、何者の(い)ひ(い)でて(い)み(はじ)めけるにか、この日ある事、(すゑ)とほらずと言ひて、その日言ひたりしこと、したりしことかなはず、(え)たりし物は(うしな)ひつ、(くはた)てたりし事成らずといふ、(おろ)かなり。(きちにち)を(えら)びてなしたるわざの(すゑ)とほらぬを(かぞ)へて見んも、また(ひと)しかるべし。

その故は、無常(へんやく)の(さかひ)、ありと見るものも存ぜず。始めある事も(をは)りなし。志は遂げず。望みは絶えず。人の心(ふぢやう)なり。物皆(げんけ)なり。何事か暫くも住する。この(ことわり)を知らざるなり。「吉日に悪をなすに、必ず凶なり。悪日に善を(おこな)ふに、必ず吉なり」と言へり。吉凶は、人によりて、日によらず。

第九十二段 ​

或人が、弓の稽古で、二本の矢をセットして的に対峙した。すると師匠が「素人が二本の矢を持つんじゃない。次の矢があるからと、一本目の矢に気合いが入らなくなるじゃねえか。いつでも、一本の矢が的中するように精神統一をせんか」と指導した。師匠の手前、わざと最初の一本を無駄遣いする人もいないだろう。しかし、無意識に怠け精神は目を覚ます。師匠はその事を知っているのだ。この戒めは、何事にも同様である。

悟りの道を歩む者は、夜には翌朝の修行を思い、朝には夜の修行を想像する。同じ事を繰り返し、「次はしっかり修行しよう」と思い直したりもする。そんな体たらくでは、この一瞬の中に、己の怠けの精神が目覚めていることを自覚しないだろう。この瞬間を自主的に生きるのは、何と難しい事であろうか。

原文

(あ)人、弓(い)る事を(なら)ふに、(もろや)をたばさみて(まと)に(むか)ふ。師の(い)はく、「(しよしん)の人、二つの矢を(も)つ事なかれ。(のち)の矢を(たの)みて、(はじ)めの矢に(なほざり)の心あり。毎度、たゞ、(とくしつ)なく、この(ひとや)に定むべしと思へ」と云ふ。わづかに二つの矢、師の前にて(ひと)つをおろかにせんと思はんや。(けだい)の心、みづから(し)らずといへども、師これを(し)る。この戒め、万事にわたるべし。

道を学する人、(ゆふべ)には(あした)あらん事を思ひ、朝には夕あらん事を思ひて、(かさ)ねてねんごろに(しゆ)せんことを(ご)す。(いは)んや、一(せつな)の中において、(けだい)の心ある事を知らんや。何ぞ、たゞ今の一念において、(ただ)ちにする事の(はなは)だ(かた)き。

第九十三段 ​

「牛を売る人がいた。牛を買おうとした人が、明日代金を払って引き取ります、と言った。牛はその夜、未明に息を引き取った。牛を買おうとした人はラッキーで、牛を売ろうとした人は残念だった」と誰かが話した。

近くで聞いていた人が「牛のオーナーは、一見、損をしたように思えるが、実は大きな利益を得ている。何故なら、命ある者は、死を実感できない点において、この牛と同じだ。人間も同じである。思わぬ事で牛は死に、オーナーは生き残った。命が続く一日は、莫大な財産よりも貴重で、それに比べれば、牛の代金など、ガチョウの羽より軽い。莫大な財産と同等の命拾いをして、牛の代金を失っただけだから、損をしたなどとは言えない」と語った。すると周りの一同は「そんな屁理屈は、牛の持ち主に限った事では無いだろう」と、軽蔑の笑みさえ浮かべた。

その屁理屈さんは続けて「死を怖がるのなら、命を慈しめ。今、ここに命がある事を喜べば、毎日は薔薇色だろう。この喜びを知らない馬鹿者は、財や欲にまみれ、命の尊さを忘れて、危険を犯してまで金に溺れる。いつまで経っても満たされないだろう。生きている間に命の尊さを感じず、死の直前で怖がるのは、命を大切にしていない証拠である。人が皆、軽薄に生きているのは、死を恐れていないからだ。死を恐れていないのではなく、死が刻々と近づく事を忘れていると言っても過言ではない。もし、生死の事など、どうでも良い人がいたら、その人は悟りを開いたと言えるだろう」と、まことしやかに論ずれば、人々は、より一層馬鹿にして笑った。

原文

「牛を売る者あり。買ふ人、明日、その(あたひ)をやりて、(うし)を(と)らんといふ。夜の(ま)に牛死ぬ。(か)はんとする人に利あり、売らんとする人に損あり」と(かた)る人あり。

これを聞きて、かたへなる者の(い)はく、「牛の(ぬし)、まことに損ありといへども、また、大きなる利あり。その故は、(しやう)あるもの、死の近き事を知らざる事、牛、既にしかなり。人、また同じ。はからざるに牛は死し、はからざるに(ぬし)は(ぞん)ぜり。一日の命、(ばんきん)よりも(おも)し。牛の(あたひ)、(がもう)よりも軽し。(ばんきん)を(え)て一銭を失はん人、損ありと言ふべからず」と言ふに、皆人(あざけ)りて、「その(ことわり)は、牛の主に限るべからず」と言ふに、皆人嘲りて、「その理は。牛の主に限るべからず」と言ふ。

また(い)はく、「されば、人、死を(にく)まば、(しよう)を愛すべし。(ぞんめい)の喜び、日々に楽しまざらんや。(おろ)かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがはしく(ほか)の(たの)しびを(もと)め、この(たから)を忘れて、(あや)く他の(たから)を貪るには、志満つ事なし。行ける(あひだ)、生を楽しまずして、死に(のぞ)みて死を(おそ)れば、この(ことわり)あるべからず。人皆生を(たの)しまざるは、死を恐れざる故なり。死を(おそ)れざるにはあらず、死の近き事を(わす)るゝなり。もしまた、(しやうじ)の(さう)にあづからずといはば、(まこと)の(ことわり)を(え)たりといふべし」と言ふに、人、いよいよ(あざけ)る。

第九十四段 ​

常磐井の太政大臣が、役所勤めをしていた頃、皇帝の勅令を持った武士が、大臣に接見した。その際に馬から下りたので、大臣はその後「先ほどの武士は、皇帝の勅令を持ちながら馬から下りやがった。あんな馬鹿たれを中央官庁で働かせるわけにはいかん」と言って、即座に解雇した。

勅令は馬に乗ったまま両手で高く上げて見せるのであって、馬から下りたら失礼なのだ。

原文

(ときはゐのしやうこく)、出仕し給ひけるに、(ちよくしよ)を持ちたる(ほくめん)あひ(たてまつ)りて、馬より(お)りたりけるを、(しやうこく)、(のち)に、「(ほくめん)(なにがし)は、勅書を(も)ちながら(げば)し(はべ)りし者なり。かほどの者、いかでか、君に(つか)うまつり候ふべき」と申されければ、北面を(はな)たれにけり。

勅書を、馬の上ながら、(ささ)げて見せ奉るべし、(お)るべからずとぞ。

第九十五段 ​

「箱に紐をくくってフタを付ける場合、どちら側を綴じればよいのでしょうか」と、ある専門家に聞いてみたところ、「右側と左側、諸説ありますが、どちらでも問題ありません。箱をレターケースとして使う場合は右側、道具入れにする場合は左側にする事が多いようです」と教えてくれた。

原文

「箱のくりかたに(を)を(つ)くる事、いづかたに(つ)け(はべ)るべきぞ」と、ある(いうそく)の人に尋ね申し侍りしかば、「(ぢく)に付け、表紙に付くる事、両説なれば、いづれも(なん)なし。(ふみ)の箱は、多くは右に付く。手箱には、(ぢく)に付くるも(つね)の事なり」と(おほ)せられき。

第九十六段 ​

メナモミという草がある。マムシに噛み付かれた人が、この草を揉んで患部にすり込めば一発で治るという。実物を見て知っておくと、いざという時に役立つ。

原文

めなもみといふ草あり。くちばみに(さ)されたる人、かの草を(も)みて付けぬれば、(すなは)ち(い)ゆとなん。見(し)りて(お)くべし。

第九十七段 ​

その物に寄生し、それを捕食し、結果的に食い尽くしてしまう物は、佃煮にするほどある。身体にはシラミが湧く。家にはネズミが同居する。国家には反逆者がいる。小市民には財産がある。権力者には義理がある。僧侶には仏法があるのであった。

原文

その物に付きて、その物をつひやし(そこ)ふ物、数を知らずあり。身に蝨あり。家に(ねずみ)あり。国に賊あり。(せうじん)に(たから)あり。君子に(じんぎ)あり。僧に法あり。

第九十八段 ​

『一言芳談』という、坊さんの名言集を読んでいたら感動したので、ここに紹介しよう。

一つ。やろうか、やめようか迷っていることは、通常やらない方が良い。

一つ。死んだ後、幸せになろうと思う人は、糠味噌樽一つさえ持つ必要は無い。経本やご本尊についても高級品を使うのは悪いことだ。

一つ。世捨てのアナーキストは、何も無い状態でもサバイバルが出来なくてはならない。

一つ。王子は乞食に、知識人は白痴に、金持ちは清貧に、天才は馬鹿に成りきるべきである。

一つ。仏の道を追求すると言うことは、たいした事ではない。ただ単に暇人になり、放心していればよい。

他にも良い言葉があったが忘れてしまった。

原文

(たふと)きひじりの言ひ置きける事を書き付けて、(いちごんはうだん)とかや(な)づけたる草子を(み)(はべ)りしに、心に合ひて覚えし事ども。

一 しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほやうは、せぬはよきなり。

一 (ごせ)を思はん者は、(じんたがめ)一つも(も)つまじきことなり。(ぢきやう)・(ほんぞん)に至るまで、よき物を持つ、よしなき事なり。

一 (とんぜう)者は、なきにことかけぬやうを(はから)ひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。

一 (じやうらふ)は(げらふ)に成り、智者は愚者に成り、(とくにん)は貧に(な)り、能ある人は無能に成るべきなり。

一 仏道を(ねが)ふといふは、(べち)の事なし。(いとま)ある身になりて、世の事を心にかけぬを、第一の道とす。

この外もありし事ども、(おぼ)えず。

第九十九段 ​

堀川の太政大臣は、金を持っている色男で、何事につけても派手好みだった。次男の基俊を防衛大臣に任命して黒幕になり勤めに励んだ。太政大臣は庁舎にある収納家具を見て「目障りだから派手な物に造りかえなさい」と命じた。「この家具は、古き良き時代から代々受け継がれている物で、いつの物だか誰も知りません。数百年前のアンティークあって、ボロボロだから価値があります。そう簡単には造り直しができません」と、古いしきたりに詳しい職員が説明すると、それで済んだ。

原文

(ほりかはのしやうこく)は、(びなん)のたのしき人にて、そのこととなく(くわさ)を(この)み給ひけり。(おんこ)(もととしのきやう)を(だいり)になして、(ちやうむ)行はれけるに、(ちやうや)の(からひつ)(みぐる)しとて、めでたく作り改めらるべき由仰せられけるに、この唐櫃は、(しやうこ)より伝はりて、その始めを知らず、(すひやく)年を経たり。(るいだい)の(くもつ)、(こへい)をもちて(きぼ)とす。たやすく改められ難き由、(こしつ)の諸官等申しければ、その事(や)みにけり。

第百段 ​

久我の太政大臣が、皇居の関係者以外立ち入り禁止の間で水を飲もうとしたら、女官が焼き物のカップを持ってきた。太政大臣は「柄杓を持ってきなさい」と言って、それで飲んだ。

原文

(こがのしやうこく)は、(てんじやう)にて水を召しけるに、(とのもづかさ)、(かはらけ)を(たてまつ)りければ、「まがりを参らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。

第百一段 ​

ある人が、大臣の任命式を取り仕切った際に、天皇の直々の任命書を持たないまま壇上に上がってしまった。失礼極まりないと分かりつつも、取りに戻るわけにもいかず放心していると、康綱係長が目立たない女子職員にお願いし、この任命書を持たせて内緒で手渡した。とても気が利く男であった。

原文

(あるひと)、任大臣の(せちゑ)の(ないべん)を(つと)められけるに、(ないき)の持ちたる宣(せんみよう)を(と)らずして、(たうしやう)せられにけり。極まりなき(しちらい)なれでも、立ち帰り(と)るべきにもあらず、思ひわづらはれけるに、(ろくゐの)(げき)(やすつな)、(きぬかづ)きの女房をかたらひて、かの宣命を(も)たせて、忍びやかに(たてまつ)らせけり。いみじかりけり。

第百二段 ​

公安の長官であった源光忠が、新年の鬼やらいの行事を取り仕切ることになったので、公賢右大臣に進行についてアドバイスを伺ったところ、「だったら又五郎さんに聞いてみなさい」と教えられた。この又五郎というのは、年老いた警備員で、国家行事の警備に勤しんだので色々と詳しかった。

ある時、警視庁長官の近衛経忠が国家行事に参加した際に、自分が跪くための敷物を敷かずに係員を呼びつけたのを、焚き火の世話をしている又五郎が見て「まずは敷物を敷いた方が良いのでは」と、人知れず呟いた。彼もまた、とても気が利く男であった。

原文

(ゐんのだいなごん)(みつただきやう)、(ついな)の(しやうけい)を勤められけるに、(とうゐんのうだいじんどの)に次第を申し(う)けられければ、「(またごらう)(をのこ)を師とするより外の(さいかく)(そうら)はじ」とぞのたまひける。かの又五郎は、老いたる(ゑじ)の、よく(くじ)に(な)れたる者にてぞありける。

近衛殿(ちやくぢん)し給ひける時、(ひざつき)を忘れて、(げき)を召されければ、火たきて候ひけるが、「先づ、(ひざつき)を召さるべくや候ふらん」と忍びやかに(つぶや)きける、いとをかしかりけり。

第百三段 ​

大覚寺の法皇御所で、側近どもが「なぞなぞ大会」をやっていた。そこへ医者の丹波忠守がやってきた。そこで三条公明が「忠守は、我が国の人間には見えないけど、どうしてか?」という問題を作ったら、誰かが「中国の医者」と答えて笑い合っていた。「からいし」は、中国製の徳利である「唐瓶子」と、没落した「平氏」を掛けた駄洒落なのだが、ドクターは非道くご立腹の様子で、そこから立ち去った。

原文

(だいかくじ)(どの)にて、(きんじふ)の人ども、なぞなぞを作りて(と)かれける(ところ)へ、(くすし)(ただもり)参りたりけるに、侍従(だいなごん)(きんあきらのきやう)、「我が(てう)の者とも見えぬ忠守かな」と、なぞなぞにせられにけるを、「(からへいじ)」と(と)きて笑ひ合はれければ、腹(た)ちて退り(い)でにけり。

第百四段 ​

人里離れた僻地の荒廃した家に、世間から離れて暮らさなければならない境遇の女がいて、退屈に身を任せたまま引き籠もっていた。ある男が、お見舞いをしようと思って、頼りなさそうに月が浮かぶ夜、こっそりと訪問した。犬が世界の終わりを告げるよう吠えるものだから、召使いの女が出てきて「どちら様でしょうか?」と聞く。男は、そのまま案内を受けて中に入った。淋しい様子で、男が「どんな生活をしているのだろう」と思えば胸が苦しくなる。放心したまま崩壊しそうな廊下にしばらく立っていると、若々しさの中に落ち着きのある声がして「こちらにどうぞ」と言うので、小さな引き戸を開けて中に入った。

しかし、家の中までは荒れ果ててはいなかった。遠慮がちにオレンジ色の炎が奥の方でゆらゆらと揺れている。家具も女性らしく、焚いたばかりではない香が、わざとらしくなく空気と溶け合いノスタルジーを誘った。召使いの女が「門はきちんと閉めて下さい。雨が降るかもしれないから車は門の下に停めて、お供の方々はあちらでお休み下さい」と言う。男の家来が「今日は雨風を凌いで夢を見られそうだ」と内緒話をしても、この家では筒抜けになってしまう。

そうして、男と女が世間のことなどを色々と話しているうちに、夜空の下で一番鶏が鳴いた。それでも、過ぎた過去や、幻の未来について甲斐甲斐しく話し込んでいると、鶏が晴れ晴れしく鳴くものだから、「そろそろ夜明けだろうか?」と思うのだが、暗闇を急いで帰る必要もないので、しばらくまどろむ。すると、引き戸の隙間から光が差し込んでくる。男が女に気の利いたことでも言って帰ろうとすれば、梢も庭も、辺り一面が青く光っていた。その、つやつやと光る四月の明け方を、今でも想い出してしまうから、男がこの辺りを通り過ぎる時には、大きな桂の木が視界から消えるまで振り返って見つめ続けたそうだ。

原文

荒れたる(やど)の、人(め)なきに、女の憚る事ある比にて、つれづれと(こも)り居たるを、或人、とぶらひ(たま)はむとて、(ゆふづくよ)のおぼつかなきほどに、(しの)びて尋ねおはしたるに、犬のことごとしくとがむれば、(げす)女の(い)でて、「いづくよりぞ」といふに、やがて(あない)せさせて、(い)り給ひぬ。心ぼそげなる有様、いかで(すぐ)すらんと、いと心ぐるし。あやしき(いたじき)に、暫し立ち給へるを、もてしづめたるけはひの若やかなるして、「こなた」と言ふ人あれば、たてあけ所(せ)げなる(やりど)よりぞ(い)り給ひぬる。

内のさまは、いたくすさまじからず。心にくゝ、火はあなたにほのかなれど、もののきらなど見えて、俄かにしもあらぬ(にほ)ひいとなつかしう住みなしたり。「(かど)よくさしてよ。雨もぞ降る、(みくるま)は(かど)の下に、御(とも)の人はそこそこに」と言へば、「(こよひ)ぞ安き(い)は(ぬ)べかンめる」とうちさゝめくも、忍びたれど、程なければ、ほの聞ゆ。

さて、このほどの事ども(こま)やかに(きこ)え給ふに、(よふか)き鳥も(な)きぬ。(こ)し(かた)・(ゆくすゑ)かけてまめやかなる御物語に、この度は鳥も花やかなる声にうちしきれば、明けはなるゝにやと聞き給へど、(よふか)く(いそ)ぐべき所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、(ひま)白くなれば、(わす)れ難き事など言ひて立ち(い)で給ふに、(こずゑ)も庭もめづらしく青み渡りたる(うづき)ばかりの(あけぼの)、(えん)にをかしかりしを(おぼ)し(い)でて、(かつら)の木の大きなるが隠るゝまで、今も見送り給ふとぞ。

第百五段 ​

陽が当たらない北向きの屋根に残雪が凍っている。その下に停車する牛車の取っ手にも霜が降り、きらりきらりと輝く。明け方の月が頼りなさそうに光り、時折雲隠れしている。人目を離れたお堂の廊下で、かなりの身分と思われる男が、女を誘って柵に腰掛け語り合っている。何を話しているのだろうか。話は終わりそうもない。

女の顔かたちが美しく光り、たまらなく良い香りをばらまいている。聞こえる話し声が時々フェードアウトしていくのが、くすぐったい。

原文

北の屋蔭に消え残りたる雪の、いたう(こほ)りたるに、さし(よ)せたる車の(ながえ)も、霜いたくきらめきて、有明の月、さやかなれども、(くま)なくはあらぬに、人(ばな)れなる(みだう)の(らう)に、なみなみにはあらずと見ゆる(をとこ)、女となげしに(しり)かけて、物語するさまこそ、何事かあらん、(つ)きすまじけれ。

かぶし・かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬ(にほ)ひのさと(かを)りたるこそ、をかしけれ。けはひなど、はつれつれ聞こえたるも、ゆかし。

第百六段 ​

高野山の証空上人が上京する時、小道で馬に乗った女とすれ違った。女の乗る馬を引く男が手元を狂わせて上人の乗っている馬をドブ川に填めてしまった。

上人は逆上して「この乱暴者め。仏の弟子には四つの階級がある。出家した男僧より、出家した尼は劣り、在家信者の男はそれにも劣る。在家信者の女に至ってはそれ以下だ。貴様のような在家信者の女ごときが、高僧である私をドブ川に蹴落とすとは死刑に値する」と言ったので、僧侶の階級に興味のない馬引きの男は、「何を言っているんだか、さっぱり分からない」と呟いた。上人はさらに逆上し、「何を抜かすか、このたわけ!」と沸点に達したが、罵倒が過ぎたと我に返り、恥ずかしさに馬を引き返して逃げた。

こんな口論は滅多に見られるものではない。

原文

(かうや)の(しようくうしやうにん)、京へ上りけるに、(ほそみち)にて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが、口曳きける男、あしく曳きて、(ひじり)の馬を堀へ落してンげり。

聖、いと(はらあ)しくとがめて、「こは(けう)の(らうぜき)かな。(しぶ)の弟子はよな、(びく)よりは(びくに)に劣り、比丘尼より(うばそく)は劣り、優婆塞より(うばい)は劣れり。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ(けい)れさする、(みぞうう)の(あくぎやう)なり」と言はれければ、口曳きの男、「いかに仰せらるゝやらん、えこそ聞き知らね」と言ふに、(しやうにん)、なほいきまきて、「何と言ふぞ、(ひしゆひがく)の男」とあらゝかに言ひて、(きは)まりなき(はうごん)しつと思ひける気色にて、馬ひき返して逃げられにけり。

(たふと)かりけるいさかひなるべし。

第百七段 ​

「突然の女の質問を、優雅に答える男は滅多にいない」らしいので、亀山天皇の時代に、女達は男をからかっていた。いたい気な若い男が来るたびに、「ホトトギスの声は、もうお聴きになって?」と質問し、相手の格付けをした。のちに大納言になった何とかという男は、「虫けらのような私の身分では、ホトトギスの美声を聞く境遇にありません」と答えた。堀川の内大臣は、「山城国の岩倉あたりでケキョケキョ鳴いているのを聞いた気がします」と答えた。女達は「内大臣は当たり障りのない答え方で、虫けらのような身分とは、透かした答え方だわ」などと、格付けるのであった。

いつでも男は、女に馬鹿にされないよう教育を受けなければならない。「関白の九条師教は、ご幼少の頃から皇后陛下に教育されていたので、話す言葉もたいしたものだ」と、人々は褒め称えた。西園寺実雄左大臣は、「平民の女の子に見られるだけで心拍数が上昇するので、お洒落は欠かせない」と言ったそうである。もしもこの世に女がいなかったら、男の衣装や小道具などは、誰も気にしなくなるだろう。

「これほど男を狂わせる女とは、なんと素敵な存在だろう」と思いがちだが、女の正体は歪んでいる。自分勝手で欲深く、世の中の仕組みを理解していない。メルヘンの世界の住人で、きれい事ばかり言う。そして都合が悪くなると黙る。謙虚なのかと思えば、そうでもなく、聞いてもいないのに下らないことを話し始める。綺麗に化粧をして化けるから、男の洞察力を超越しているのかと思えば、そんなこともなく、化けの皮が剥がれても気がつかない。素直でなく、実は何も考えていないのが女なのだ。そんな女心に惑わされ、「女に良く見られたい」と考えるのは、涙ぐましくもある。だから女に引け目を感じる必要はない。仮に、賢い女がいたとしよう。近付き難さに恋心も芽生えないだろう。恋とは女心に振り回されて、ときめくことを楽しむものなのである。

原文

「女の物言ひかけたる(かへりごと)、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども(わか)き男達の(まゐ)らるる(ごと)に、「(ほととぎす)や聞き給へる」と問ひて心見られけるに、(なにがし)の(だいなごん)とかやは、「数ならぬ身は、え(き)き(さうら)はず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「(いはくら)にて聞きて候ひしやらん」と(おほ)せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定め(あ)はれけり。

すべて、男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「(じやうどじの)(さきのくわんぱくどの)は、幼くて、(あんきもんゐん)のよく(をし)へ(まゐ)らせさせ給ひける故に、(おんことば)などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。(やましなの)左大臣殿は、「あやしの(げぢよ)の身奉るも、いと(は)づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ(おほ)せられけれ。女のなき世なりせば、(えもん)も(かうぶり)も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も(はべ)らじ。

かく人に(は)ぢらるゝ女、(いか)ばかりいみじきものぞと思ふに、女の(しやう)は皆ひがめり。(にんが)の(さう)深く、(とんよく)(はなは)だしく、物の(ことわり)を知らず。たゞ、(まよ)ひの(かた)に心も速く移り、(ことば)も(たく)みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさましき事まで(と)はず(がた)りに言ひ(い)だす。深くたばかり飾れる事は、(をとこ)の(ちゑ)にもまさりたるかと思えば、その事、(あと)より(あら)はるゝを知らず。すなほならずして拙きものは、女なり。その心に(したが)ひてよく思はれん事は、心(う)かるべし。されば、何かは女の(は)づかしからん。もし(けんぢよ)あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。たゞ、(まよ)ひを(あるじ)としてかれに(したが)ふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり。

第百八段 ​

一瞬の時間を「勿体ない」と思う人はいない。「一瞬を惜しむことすら意味がないことだ」と悟りきっているからだろうか。それとも単に馬鹿なだけだろうか。馬鹿で、時間を浪費している人のために敢えて言おう。一円玉はアルミニウムだが、積もって山となれば貧乏人を富豪にする。だから商人はケチなのだ。瞬間を感じるのは困難であるが、瞬間の連続の果てには、命の終焉があり、あっという間に訪れる。

だから修行者は長い単位で月日を惜しんでいる場合ではない。この瞬間が枯れ葉のように飛び去ることを惜しみなさい。もし、死神がやってきて「お前の命は明日終わる。残念だったな」と宣告したら、今日という日が終わるまで、自分が何を求め、何を思うか考えよう。今、生きている今日が、人生最後の日ではないという保証はない。その貴重な一日は、食事、排泄、昼寝、会話、移動と退っ引きならない理由で浪費されるのだ。残ったわずかな時間を、無意味に行動し、無意味に語り、無意味に妄想して、無駄に過ごし、そのまま一日を消し去り、ひと月を貫通し、一生を使い切ったとすれば、それは、阿呆の一生でしかない。

中国の詩人、謝霊運は、法華経の翻訳を速記するほどの人物だったが、いつでも心の空に雲を浮かべて詩ばかり書いていたから、師匠の恵遠は仲間達と念仏を唱えることを許さなかった。時間を無駄にして浮かれているのなら、何ら死体と変わらない。なぜ瞬間を惜しむのかと言えば、心の迷いを捨て、世間との軋轢がない状況で、何もしたくない人は何もせず、修行したい人は修行を続けるという境地に達するためだ。

原文

寸陰(を)しむ人なし。これ、よく知れるか、(おろ)かなるか。愚かにして(おこた)る人のために言はば、一銭(かろ)しと言へども、これを(かさ)ぬれば、(まづ)しき人を(と)める人となす。されば、(あきびと)の、一銭を(を)しむ心、(せつ)なり。(せつな)(おぼ)えずといへども、これを(はこ)びて(や)まざれば、命を(を)ふる(ご)、(たちま)ちに至る。

されば、(だうにん)は、遠く(にちぐわつ)を(を)しむべからず。たゞ今の一念、空しく過ぐる事を(を)しむべし。もし、人(きた)りて、我が命、(あす)は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るゝ間、何事をか(たの)み、何事をか(いとな)まん。我等が(い)ける(けふ)の日、(なん)ぞ、その時節に(こと)ならん。一日のうちに、(おんじき)・便利・(すいめん)・(ごんご)・(ぎやうぶ)、止む事を(え/)ずして、多くの時を(うしな)ふ。その余りの暇幾ばくならぬうちに、(むやく)の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を(しゆい)して時を移すのみならず、日を消し、月を(わた)りて、一生を送る、(もつと)も(おろ)かなり。

(しやれいうん)は、(ほつけ)の(ひつじゆ)なりしかども、心、常に風雲の思を(くわん)ぜしかば(ゑをん)、(びやくれん)の(まじ)りを許さざりき。暫くもこれなき時は、死人に同じ。光陰何のためにか(を)しむとならば、内に思慮なく、(ほか)に(せいじ)なくして、(や)まん人は止み、(しゆ)せん人は修せよとなり。

第百九段 ​

木登りの名人と呼ばれている男が、弟子を高い木に登らせて小枝を切り落としていた。弟子が危ない場所にいる時には何も言わず、軒先まで降りてきた時に、「怪我をしないように気をつけて降りて来い」と声をかけた。「こんな高さなら飛び降りても平気ではないか。なぜ今更そのようなことを言うのか?」と問わば、「そこがポイントです。目眩がするくらい危ない枝に立っていれば、怖くて自分で気をつけるでしょう。だから何も言う必要はありません。事故は安全な場所で気が緩んだ時こそ起こるのです」と答えた。

たいした身分の親父ではないが、教科書に掲載できそうな内容だ。バレーボールのラリーなどでも、難しい球をレシーブした後に、気が緩んで必ず球を落とすらしい。

原文

(かうみやう)の木登りといひし(をのこ)、人を(おきて)て、(たか)き木に登せて、(こずゑ)を切らせしに、いと(あやふ)く見えしほどは言ふ事もなくて、(お)るゝ時に、(のきたけ)ばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ(はべ)りしを、「かばかりになりては、飛び(お)るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず(つかまつ)る事に候ふ」と言ふ。

あやしき(げらふ)なれども、聖人の(いまし)めにかなへり。(まり)も、(かた)き所を(け)(いだ)して後、(やす)く思へば必ず落つと侍るやらん。

第百十段 ​

双六の名人と呼ばれている人に、その必勝法を聞いてみたところ、「勝ちたいと思って打ってはいけない。負けてはならぬと思って打つのだ。どんな打ち方をしたら、たちまち負けてしまうかを予測し、その手は打たずに、たとえ一マスでも負けるのが遅くなるような手を使うのがよい」と答えた。

その道を極めた人の言うことであって、研究者や政治家の生業にも通じる。

原文

(すごろく)の(じやうず)といひし人に、その手立を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、(ひとめ)なりともおそく(ま)くべき手につくべし」と言ふ。

道を知れる(をし)へ、身を治め、国を保たん道も、またしかなり。

第百十一段 ​

「囲碁、双六を好み、朝から晩まで遊びほうけている人は、強姦、窃盗、殺人、詐欺といった犯罪や、親殺し、恩人殺し、背任、聖職者の傷害といった反逆よりも重い罪を犯している」という、ある聖人の言葉が今でも忘れられず、ありがたく思える。

原文

「(ゐご)・(すごろく)好みて明かし暮らす人は、(しぢゆう)・(ごぎやく)にもまされる悪事とぞ思ふ」と、(ある)ひじりの申しし事、耳に止まりて、いみじく(おぼ)え(はべ)り。

第百十二段 ​

明日、遠い場所へ旅立とうとしている人に、腰を据えなければ出来ないことを、誰が言いつけるだろうか。突然の緊急事態の対処に追われている人や、不幸に嘆き悲しむしかない人は、自分のことで精一杯で、他人の不幸事や祝い事を見舞うこともないだろう。見舞わないからと言って「薄情な奴だ」と恨む人もいない。得てして、老人や寝たきりの人、ましてや世捨てのアナーキストは、これと同じである。

世間の儀式は、どんなことでも不義理にはできない。世間体もあるからと、知らないふりをするわけにも訳にいかず、「これだけはやっておこう」と言っているうちに、やることが増えるだけで、体にも負担がかかり、心に余裕が無くなり、一生を雑務や義理立てに使い果たし無意味な人生の幕を閉じることになる。既に日暮れでも道のりは遠い。人生は思い通りに行かず、既に破綻していたりする。もう、いざという時が過ぎてしまったら、全てを捨てる良い機会だ。仁義を守ることなく、礼儀を考える必要もない。世捨てのやけっぱちの神髄を知らない人から「狂っている」と言われようとも「変態」と呼ばれようとも「血が通っていない」となじられようとも、言いたいように言わせておけばよい。万が一、褒められることがあっても、もはや聞く耳さえなくなっている。

原文

明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、心(しづ)かになすべからんわざをば、人言ひかけてんや。(には)かの大事をも(いとな)み、(せち)に歎く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の(うれ)へ・喜びをも問はず。問はずとて、などやと恨むる人もなし。されば、年もやうやう闌け、病にもまつはれ、(いは)んや世をも(のが)れたらん人、また、これに同じかるべし。

人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の(もだ)し難きに(したが)ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の(いとま)もなく、一生は、(ざふじ)の小節にさへられて、(むな)しく暮れなん。日暮れ、(みち)遠し。吾が(しやう)既に(さだ)たり。諸縁を(はうげ)すべき時なり。信をも(まぼ)らじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。(そし)るとも(くる)しまじ。(ほ)むとも聞き入れじ。

第百十三段 ​

四十過ぎのおっさんが、恋の泥沼に填って、こっそりと胸に秘めているのなら仕方がない。でも、わざわざ口に出して、男女のアフェアや、他人の噂を喜んで話しているのは嫌らしく、気色が悪い。

ありがちな聞くに忍びなく見苦しいことと言えば、年寄りが青二才に分け入ってウケ狙いの物語をすること。有象無象の人間が、著名人を友達のように語ること。貧乏人の分際で宴会を好み、客を呼んでリッチなパーティをすること。

原文

(よそぢ)にも余りぬる人の、色めきたる(かた)、おのづから忍びてあらんは、いかゞはせん、(こと)に打ち出でて、男・女の事、人の上をも言ひ戯るゝこそ、にげなく、見苦しけれ。

大方、聞きにくゝ、見苦しき事、老人の、若き人に(まじ)はりて、興あらんと物言ひゐたる。数ならぬ身にて、世の覚えある人を隔てなきさまに言ひたる。貧しき所に、酒宴好み、(まれびと)に(あるじ)せんときらめきたる。

第百十四段 ​

今出川の大臣が嵯峨へ出かけた時に、有栖川あたりの泥濘んだ場所で運転手の賽王丸が牛を追ったので、牛が蹴り上げる水が車のフロントバンパーに飛び散った。後部座席に乗っていた、大臣の舎弟、為則が「おのれ、こんなところで牛を追う馬鹿がいるか」と罵ったので、大臣はにわかに機嫌が悪くなり「お前が車の運転をしたところで賽王丸に及ぶまい。お前が本当の馬鹿者だ」と言い放ち、車に為則の頭を打ち付けた。噂の賽王丸とは、内大臣、藤原信清の家来で、元は皇室のお抱え運転手だった。

信清内大臣に仕える女中は、今となっては何のことだか分からないが、一人は膝幸、一人はこと槌、一人は抱腹、一人は乙牛と、牛にちなんだ名前が付いていた。

原文

(いまでがは)の(おほいどの)、(さが)へおはしけるに、(ありすがは)のわたりに、水の流れたる所にて、(さいわうまる)、御牛を追ひたりければ、あがきの水、(まへいた)までさゝとかゝりけるを、(ためのり)、(みくるま)のしりに候ひけるが、「(けう)の(わらは)かな。かゝる所にて御牛をば追ふものか」と言ひたりければ、(おほいどの)、(みけしき)(あ)しくなりて、「おのれ、車やらん事、賽王丸にまさりてえ知らじ。(けう)の男なり」とて、御車に(かしら)を打ち当てられにけり。この(かうみやう)の賽王丸は、(うづまさどの)の男、(れう)の御(うしかひ)ぞかし。

この太秦殿に(はべ)りける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことづち、一人ははふばら、一人はおとうしと付けられけり。

第百十五段 ​

宿河原という所に、ぼろぼろという無宿渡世人が大勢集まって、死んだら地獄に堕ちないように念仏を唱えていた。外から入って来たぼろぼろが、「もしかしてこの中に、いろをし房というぼろぼろはいらっしゃいますか?」と尋ねた。中から「いろをしはここにいるが、そう聞くお前は何者だ?」と尋ね返したので、「私は、しら梵字という者です。私の師匠の何某が、東京でいろをしと名乗る者に殺されたと聞いたので、その人に会って恨みを晴らそうと尋ねたのです」と答えた。いろをしは「それは、ようこそ。そんなこともあったかも知れないが、ここで向かい合ったら道場が汚れる。表の河原に出ろ。周りの野次馬ども、助太刀無用。大勢の迷惑になると折角の法事も台無しだ」と話を付けて、二人は河原に出て、思い切り刺し合って共倒れた。

昔は、ぼろぼろなどいなかった。最近になって、ぼろんじ、梵字、漢字と名乗る者が現れて、それが始まりだという。世捨て人のように見えて、自分勝手で、仏の下部のふりをしているが、戦いのエキスパートだ。無頼放蕩で乱暴者だが、命を粗末にし、いつでも死ねるのが清々しいので、人から聞いた話をそのまま書いた。

原文

(しゆくがはら)といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、(くほん)の念仏を申しけるに、(ほか)より入り(きた)たるぼろぼろの、「もし、この(おんなか)に、いろをし(ぼう)と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、こゝに(さうら)ふ。かくのたまふは、(たれ)そ」と答ふれば、「しら(ぼじ)と申す者なり。己れが師、なにがしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に(あ)ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、(たづ)ね申すなり」と言ふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事(はべ)りき。こゝにて対面し奉らば、道場を汚し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかしこ、わきざしたち、いづ方をもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、仏事の(さまた)げに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ(い)であひて、心行くばかりに(つらぬ)き(あ)ひて、共に死ににけり。

ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ・(ぼじ)・漢字など云ひける者、その始めなりけるとかや。世を捨てたるに似て(が)(しふ)深く、仏道を願ふに似て(とうじやう)を事とす。(はういつ)・(むざん)の有様なれども、死を(かろ)くして、少しもなづまざるかたのいさぎよく(おぼ)えて、人の語りしまゝに書き付け(はべ)るなり。

第百十六段 ​

お寺の名前や、その他の様々な物に名前を付けるとき、昔の人は、何も考えずに、ただありのままに、わかりやすく付けたものだ。最近になって、よく考えたのかどうか知らないが、小細工したことを見せつけるように付けた名前は嫌らしい。人の名前にしても、見たことのない珍しい漢字を使っても、まったく意味がない。

どんなことも、珍しさを追求して、一般的ではないものをありがたがるのは、薄っぺらな教養しかない人が必ずやりそうなことである。

原文

寺院の(な)、さらぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。この比は、深く(あん)じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。人の名も、(めな)れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。

何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、(せんざい)の人の必ずある事なりとぞ。

第百十七段 ​

友達にするにふさわしくない者は、七種類ある。一つ目は、身分が高く住む世界が違う人。二つ目は、青二才。三つ目は、病気をせず丈夫な人。四つ目は、飲んだくれ。五つ目は、血の気が多く戦闘的な人。六つ目は、嘘つき。七つ目は、欲張り。

良い友達には、三種類ある。まずは、物をくれる友達。次は、ドクター。最後に、賢い友達。

原文

友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身(つよ)き人、四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める(つはもの)。六つには、(そらごと)する人。七つには、欲深き人。

よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには(くすし)。三つには、智恵ある人。

第百十八段 ​

鯉こくを食べた日は髪の毛がボサボサにならないという。鯉の骨は接着剤の材料になるからネバネバしているのだろうか。

鯉だけは天皇の目の前で調理しても問題ない大変ありがたい魚である。鳥で言えばキジが一番リッチだ。キジやマツタケは皇居の台所にそのままぶら下がっていても見苦しくはない。その他の食材は、汚らわしく見える。ある日、中宮の台所の棚にカリが乗っているのを、お父様の北山入道が見て、帰宅早々、手紙を書いた。「カリのような下手物が、そのままの姿で棚に乗っているのを見たことがない。世間体が悪いことである。一般常識を知っている者が近くにいないからこうなる」と意見した。

原文

(こひ)の(あつもの)食ひたる日は、(びん)そゝけずとなん。(にかは)にも作るものなれば、(ねば)りたるものにこそ。

鯉ばかりこそ、(ごぜん)にても切らるゝものなれば、やんごとなき魚なり。鳥には(きじ)、さうなきものなり。雉・(まつたけ)などは、(おゆどの)の上に懸りたるも苦しからず。その外は、心うき事なり。(ちゆぐう)の御方の御湯殿の上の(くろみだな)に(かり)の見えつるを、(きたやまの)入道殿の御覧じて、帰らせ給ひて、やがて、御(ふみ)にて、「かやうのもの、さながら、その姿にて御棚にゐて候ひし事、見慣はず、さまあしき事なり。はかばかしき人のさふらはぬ(ゆゑ)にこそ」など申されたりけり。

第百十九段 ​

鎌倉の海を泳いでいる鰹という魚は、この地方では高級魚として最近の流行になっている。その鰹も、鎌倉の爺様が言うには「この魚も、おいら達が若い頃には、真っ当な人間の食卓に出ることも無かったべよ。頭はゴミあさりでも切り取って捨てていたっぺ」と話していた。

そんな魚も世紀末になれば、金持ちの食卓に出されるようになった。

原文

鎌倉の海に、(かつを)と言ふ魚は、かの(さか)ひには、さうなきものにて、この比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し(はべ)りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ(い)づる事侍らざりき。(かしら)は、(しもべ)も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。

かやうの物も、世の末になれば、(かみ)ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。

第百二十段 ​

メイドインチャイナの舶来品は、薬の他は全て無くても困らないだろう。中国の本は、この国でも広まっているからコピーすればよい。貿易船が危険な航路を承知の上で、必要のない贅沢品を窮屈そうに満載し、海に揺られて来るとは、ご苦労なこった。

「賢者は遠くの物を宝として欲しがらない」とか「入手困難な物を価値ある物として喜んではならない」などと、古い中国の本にも書いてあるではないか。

原文

(から)の物は、薬の外は、みななくとも事欠くまじ。(ふみ)どもは、この国に多く広まりぬれば、書きも写してん。(もろこし)舟の、たやすからぬ道に、無用の物どものみ取り積みて、所(せ)く渡しもて来る、いと愚かなり。

「遠き物を宝とせず」とも、また、「得(がた)き(たから)を(たふと)まず」とも、(ふみ)にも侍るとかや。

第百二十一段 ​

エサを与えて育てる動物には牛と馬がいる。繋いでおくのは可哀想だけど、いなくては困るので仕方がない。犬は気合いが入っていない用心棒よりも、よっぽど役に立つので絶対に飼っておいた方が良さそうだが、どこの家にもいるので無理をして飼う必要もない。

それ以外の鳥や動物は、全て飼う必要がない。鎖に繋がれて檻に閉じ込められた獣は、駆け出したくて仕方なく、翼を切られてカゴに監禁された鳥は、雲を恋しく想い、飛び回りたく野山のことばかり考えている。鳥や動物の身になれば、辛くて辛抱できないだろう。血の通っている人間が、こんな事を楽しいと思うものか。動物に辛い思いをさせて目の保養にするのは、極悪非道な暴君と同じ心の持ち主である。風流な王子様が鳥を愛した逸話は、梢で遊んでいる鳥を見て、散歩のお供にしただけだ。決して捕まえていたぶっていたのではない。

だいたい「天然記念物の鳥や絶滅寸前の動物は日本に密輸してはいけない」とワシントン条約で決められているではないか。

原文

養ひ飼ふものには、馬・牛。(つな)ぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかゞはせん。犬は、守り防くつとめ人にもまさりたれば、必ずあるべし。されど、家毎にあるものなれば、殊更に求め飼はずともありなん。

その外の鳥・(けだもの)、すべて用なきものなり。走る獣は、(をり)にこめ、(くさり)をさゝれ、飛ぶ鳥は、(つばさ)を切り、籠に入れられて、雲を恋ひ、野山を思ふ(うれ)へ、(や)む時なし。その思ひ、我が身にあたりて忍び難くは、心あらん人、これを楽しまんや。(しやう)を苦しめて目を喜ばしむるは、(けつ)・(ちう)が心なり。(わうしいう)が鳥を愛せし、林に楽しぶを見て、(せうえう)の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。

凡そ、「珍らしき(とり)、あやしき獣、国に(やしな)はず」とこそ、(ふみ)にも侍るなれ。

第百二十二段 ​

人の能力は、多くの書物を吸収し儒教の教えを熟知するのが第一である。次は書道で、プロを目指すわけでなくとも習っておいた方が良い。いずれ勉強の役に立つ。その次は医療だ。自身の健康管理だけでなく、人命を救い、人に尽くすのは、医療の他にない。その次は、武士の六つの心得にもある射的と乗馬だ。この三つの分野は、何が何でも習得しておく必要がある。学問と武道、そして医療は三つ巴であり、どれ一つとして欠落してはならない。この道を究める人を「意味のないことをする人だ」と馬鹿にする者は、馬鹿でしかない。その次に料理があるが、生命にとって太陽と同じくらい重要である。料理が上手な人は、偉大な才能を授けられたと思って良い。次に日曜大工があるが、いざという時に役立つ。

この他にも様々な能力があるが、何でもこなす超人というのは恥ずべき存在でしかない。素晴らしき詩の世界や、音楽の超絶技巧などを知識人達がシリアスに考えがちだが、今どきアートの力で世界征服をするのは不可能に近い。純金はピカピカと光るだけで、鉄の利用価値に及ばないのと一緒である。

原文

人の才能は、(ふみ)明らかにして、(ひじり)の教を知れるを第一とす。次には、手書く事、むねとする事はなくとも、これを習ふべし。学問に(たよ)りあらんためなり。次に、医術を習ふべし。身を養ひ、人を助け、忠孝の務も、医にあらずはあるべからず。次に、(ゆみい)、馬に乗る事、(りくげい)に出だせり。必ずこれをうかゞふべし。文・武・医の道、まことに、欠けてはあるべからず。これを学ばんをば、いたづらなる人といふ道、まことに、欠けてはあるべからず。これを学ばんをば、いたづらなる人といふべからず。次に、食は、人の天なり。よく(あぢ)はひを(ととの)へ知れる人、大きなる徳とすべし。次に(さいく)、(よろづ)に(えう)多し。

この外の事ども、多能は君子の恥づる処なり。(しいか)に巧みに、(しちく)に(たへ)なるは(いうげん)の道、君臣これを重くすといへども、今の世には、これをもちて世を治むる事、漸くおろかになるに似たり。(こがね)はすぐれたれども、(くろがね)の(やく)多きに及かざるが如し。

第百二十三段 ​

無駄な時間を過ごすのは、馬鹿者とか勘違い人間と言うに値する。国のため、経営者のためと、やりたくない事をやる羽目になる時は結構ある。その結果として、自分の時間は情けないほど少なくなる。よく考えてみれば、人として生きていくために必要な事と言えば、一つ目は、食べ物、二つ目は、衣服、三つ目に住居ぐらいである。世間で大切と思われている事は、この三つ以外クソと同じだ。餓死せず、凍死せず、雨風しのいで、静かに過ごせるならそれで良いではないか。しかし、人間は誰でも病気になる。病に冒されると苦しくて仕方がない。そこで医療も忘れるわけにはいかない。衣食住に薬を加えて、四つのことがままならないのを貧乏という。四つが何とかなれば裕福という。四つ以外の物欲を満たすのを強欲という。この四つ、爪に火を灯して生きていけば、誰だって「満たされない」などと思うだろうか?

原文

(むやく)のことをなして時を移すを、(おろ)かなる人とも、(ひがこと)する人とも言ふべし。国のため、君のために、(や)むことを得ずして為すべき事多し。その余りの(いとま)、(いく)ばくならず。思ふべし、人の身に止むことを(え)ずして(いとな)む所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に(ゐ)る所なり。人間の大事、この三つには過ぎず。(う)ゑず、寒からず、風雨に(をか)されずして、(しづ)かに過すを(たの)しびとす。たゞし、人皆病あり。病に(をか)されぬれば、その愁忍び難し。医療を忘るべからず。薬を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ、欠けざるを富めりとす。この四つの外を求め営むを(おご)りとす。四つの事倹約ならば、誰の人か(た)らずとせん。

第百二十四段 ​

是法法師は浄土宗の僧侶の中でも一目置かれる存在でありながら、学者ぶったりせず、一心不乱に念仏を唱えていて、心が平和だった。理想的な姿である。

原文

(ぜほふ)法師は、浄土宗に恥ぢずといへども、(がくしやう)を立てず、たゞ、(あけくれ)念仏して、安らかに世を過す有様、いとあらまほし。

第百二十五段 ​

人に先立たれ、中陰最後の法事をした時の話である。ある聖職者を呼ぶと、説法が有り難く、一同、涙を流して感動した。聖職者が帰ると聴衆は、「今日の説法は格別に有り難く、感動しました」と、思うままに話し合った。すると誰かが、「何と言っても、あれ程まで狛犬に似ていらっしゃいましたから」と言うものだから、感動も吹っ飛んでしまい、皆で笑い転げた。こんな坊さんの誉め方があるものか。

別の話に、「人に酒を飲ますと言って、自ら先に飲み、人に無理矢理飲ませる行為は、諸刃の剣で人を斬るのと似たようなものだ。両側に刃が付いているから、振りかぶると自分の頭を切る羽目になり、相手を斬りつける場合ではなくなる。自分が先に酔って倒れたら、相手は酒を飲む気も失せるだろう」と言う人がいた。剣で人を斬る実験でもした事があるのだろうか? 非常に面白い話であった。

原文

人におくれて、四十九日の仏事に、(ある)(ひじり)を(しやう)じ侍りしに、(せつぽふ)いみじくして、皆人涙を流しけり。(だうし)帰りて後、(ちやうもん)の人ども、「いつよりも、殊に今日は(たふと)く覚え(はべ)りつる」と感じ合へりし(かへりこと)に、或者の云はく、「何とも(さうら)へ、あれほど(から)の(いぬ)に似候ひなん上は」と言ひたりしに、あはれも(さ)めて、をかしかりけり。さる、導師の讃めやうやはあるべき。

また、「人に酒(すす)むるとて、(おのれ)れ(ま)づたべて、人に(し)ひ奉らんとするは、(けん)にて人を(き)らんとするに似たる事なり。(ふたかた)に刃つきたるものなれば、もたぐる時、先づ我が頭を(き)る故に、人をばえ斬らぬなり。己れ先づ(ゑ)ひて(ふ)しなば、人はよも(め)さじ」と申しき。(けん)にて斬り試みたりけるにや。いとをかしかりき。

第百二十六段 ​

「ギャンブルで負け続け、すっかり仕上がって、全財産をぶち込もうとする相手を挑発してはならない。振り出しに戻って、連勝するチャンスが相手にやってきたと察知すべきだ。この瞬間を感じ取るのが伝説のギャンブラーというものである」と、ある人が言っていた。

原文

「ばくちの、負(きは)まりて、残りなく(う)ち(い)れんとせんにあひては、打つべからず。(た)ち(かへ)り、(つづ)けて勝つべき時の(いた)れると知るべし。その時を知るを、よきばくちといふなり」と、(ある)者申しき。

第百二十七段 ​

直してもどうにもならないものは、ぶっ壊した方がよい。

原文

(あらた)めて(やく)なき事は、改めぬをよしとするなり。

第百二十八段 ​

大納言雅房は博学で身分の高い人格者だったので、亀山法皇が「大将にでもさせてやろう」と思っていた矢先のことである。法皇の取り巻きが、「今、とんでもないものを見てしまいました」と報告した。法皇が「何を見たのだ?」と問い詰めると、「雅房の奴が鷹にエサをやるのだと、生きている犬の足を切断しているのを垣根の隙間から覗いてしまったのです」と答えた。法皇は気味悪さに嫌気がさした。そして、雅房の日頃の評判も失墜し、出世コースから弾き出されることになった。これほどの人格者が鷹をペットにしていたのは意外であるが、犬の足の話はデマだったそうだ。冤罪は気の毒であるが、この話を聞いて嫌気がさした法皇のハートは腐っていなかった。

どんな場合でも、動物を殺したり、いたぶったり、格闘させて喜んでいる輩は人間でなく、畜生がお互いに噛み殺し合っているのと同類だ。生きとし生けるもの全て、鳥や獣、虫けらまでも、よく観察してみると、子を想い、親を慕い、夫婦で寄り添い、嫉妬し合い、逆上し、欲張り、防衛本能が働いている健気な姿は、単純な脳味噌なだけに、人間よりもずっと素直である。そんな動物を、いたぶり殺しても平気だとすれば異常でしかない。

全ての心ある動物を見て優しい気持ちになれないとしたら、人間ではない。

原文

(まさふさの)大納言は、(ざえ)賢く、よき人にて、(だいしやう)にもなさばやと思しける比、(ゐん)の(きんじふ)なる人、「たゞ今、あさましき事を(み)(はべ)りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「(まさふさのきやう)、(たか)に飼はんとて、生きたる犬の足を(き)り侍りつるを、(なかがき)の穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましく、憎く(おぼ)しめして、(ひごろ)の御気色も(たが)ひ、昇進もし給はざりけり。さばかりの人、鷹を(も)たれたりけるは思はずなれど、犬の足は跡なき事なり。(そらごと)は(ふびん)なれども、かゝる事を聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君の御心は、いと(たふと)き事なり。

大方、生ける物を殺し、(いた)め、(たたか)はしめて、遊び楽しまん人は、(ちくしやうざんがい)の(たぐひ)なり。万の鳥獣、小さき虫までも、心をとめて有様を見るに、子を思ひ、親をなつかしくし、夫婦を伴ひ、(ねた)み、怒り、欲多く、身を愛し、命を惜しめること、偏へに(ぐち)なる(ゆゑ)に、人よりもまさりて(はなは)だし。彼に苦しみを与へ、命を奪はん事、いかでかいたましからざらん。

すべて、一切の(うじやう)を見て、(じひ)の心なからんは、(じんりん)にあらず。

第百二十九段 ​

孔子の一番弟子、顔回は他人に面倒をかけないことをモットーとした。どんな場面でも、人に嫌な思いをさせ、非道い仕打ちを与えてはならず、貧乏人から希望を奪う事は許されない。しかし、子供に嘘をつき、いたぶり、からかって気晴らしをする人がいる。相手が大人なら冗談で済むが、子供心にはトラウマになり、怖さと恥ずかしさで壊れそうになってしまう。いたい気な子供をいたぶって喜ぶのは、真っ当な大人のすることではない。喜怒哀楽はドーナツの穴のように実態がないが、大人になっても心に迷いがあるではないか。

身体を傷つけるよりも、心を傷つける方がダメージが大きい。多くの病気は、心が駄目になると発症する。外から感染する病気は少ない。ドーピングで発汗しないことがあっても、恥に赤面したり、恐怖にちびりそうになると必ず汗がダラダラと流れ出す。だから、心の作用だとわかるはずだ。楼閣の高所で文字を書いた書道家が、骨の髄まで灰になった例も、なきにしもあらずだ。

原文

(がんかい)は、志、人に労を施さじとなり。すべて、人を(くる)しめ、物を(しへた)ぐる事、(いや)しき民の志をも(うば)ふべからず。また、いときなき子を(すか)し、(おど)し、言ひ恥かしめて、興ずる事あり。おとなしき人は、まことならねば、事にもあらず思へど、(をさな)き心には、身に沁みて、(おそ)ろしく、(は)づかしく、あさましき思ひ、まことに(せつ)なるべし。これを(なや)まして興ずる事、(じひ)の心にあらず。おとなしき人の、喜び、怒り、哀しび、楽しぶも、皆(こまう)なれども、誰か(じつう)の(そう)に(ちやく)せざる。

身をやぶるよりも、心を(いた)ましむるは、人を(そこな)ふ事なほ甚だし。病を受くる事も、多くは心より受く。(ほか)より(きた)る病は少し。薬を飲みて汗を求むるには、(しるし)なきことあれども、(いつたん)恥ぢ、恐るゝことあれば、必ず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。(りよううん)の額を書きて(はくとう)の人と成りし例、なきにあらず。

第百三十段 ​

人間は争うことなく、自分の主張を曲げてでも人の主張を受け入れ、自分を後回しにしてでも他人を優先するのが何よりである。

世間に数多ある遊び事の中でも勝負事が好きな人は、勝利の悦楽に浸りたいからするのである。自分の能力が相手より優れているのが、たまらなく嬉しいのだ。だから負けた時の虚しさも身に染みるほど知っている。だからといって自ら進んで敗北を選び相手を喜ばせたとしたら、とても虚しい八百長だ。相手に悔しい気持ちをさせて楽しむのは、単なる背徳でしかない。仲間同士の戯れ合い勝負でも、本質は友を罠にはめて自分の知能指数を確認するのだから、かなり無礼である。ケチくさい宴会の与太話から始まって、仕舞いには大喧嘩になることがよくあるではないか。これは全部、戦闘的な心が行き着く終着駅なのだ。

他人に勝ちたいのなら、脇目も振らず勉強をして知識で勝てば良い。しっかり勉強して世の中の仕組みが理解できれば利口ぶることもなく、仲間と争っても馬鹿馬鹿しいだけだと思うだろう。名誉ある閣僚入りを辞退し、権利収入を放棄する心が働くのは、ひとえに学問のなせる技なのである。

原文

物に争はず、己れを(ま)げて人に従ひ、我が身を(のち)にして、人を先にするには及かず。

万の遊びにも、勝負を好む人は、勝ちて興あらんためなり。己れが芸のまさりたる事を喜ぶ。されば、負けて興なく覚ゆべき事、また知られたり。我負けて人を喜ばしめんと思はば、更に遊びの興なかるべし。人に(ほい)なく思はせて我が心を(なぐさ)まん事、徳に(そむ)けり。睦しき中に(たはぶ)るゝも、人に計り欺きて、己れが智のまさりたる事を興とす。これまた、礼にあらず。されば、始め(きようえん)より起りて、長き恨みを結ぶ(たぐい)多し。これみな、(あらそ)ひを(この)む(しつ)なり。

人にまさらん事を思はば、たゞ学問して、その智を人に増さんと思ふべし。道を学ぶとならば、善に(ほこ)らず、輩に争ふべからずといふ事を知るべき(ゆゑ)なり。大きなる職をも辞し、利をも(す)つるは、たゞ、学問の力なり。

第百三十一段 ​

貧乏人は、金を貢ぐのを愛情表現だと思い、老いぼれは、肉体労働の役務が社会貢献だと思っている。そう思うのは身の程知らずでしかない。自分の限界を知って、出来ないことはやらないことだ。それが許されないのなら、許さない人の頭が狂っている。身の程知らずにもリミッターを解除したら、自分の頭が狂っている証拠だ。

貧乏人が見栄を張れば泥棒になるしかなく、老人が土木作業をやり続ければ病気で死ぬのが世の常である。

原文

貧しき者は、(たから)をもッて礼とし、老いたる者は、(ちから)をもッて礼とす。己が(ぶん)を知りて、及ばざる時は(すみ)かに(や)むを、智といふべし。(ゆる)さざらんは、人の(あやま)りなり。分を知らずして(し)ひて(はげ)むは、己れが誤りなり。

貧しくして(ぶん)を知らざれば(ぬす)み、力(おとろ)へて分を知らざれば病を受く。

第百三十二段 ​

鳥羽新街道は鳥羽宮殿が造営された後につけられた呼び方ではない。昔からある名前なのだ。「元良親王が一般参賀で演説した声が透き通るようで、高台の上から鳥羽新街道まで聞こえ届いた」と、鳥羽宮殿が造営される前に記された、重明親王の日記に書いてあったらしい。

原文

(とば)の(つくりみち)は、(とばどの)建てられて後の(な)にはあらず。昔よりの名なり。(もとよしのしんわう)、(ぐわんにち)の(そうが)の声、(はなは)だ殊勝にして、(だいこくでん)より鳥羽の作道まで聞えけるよし、(りほうわう)の記に(はべ)るとかや。

第百三十三段 ​

天皇の寝床は東枕である。当然だが、東に向けた顔に朝日を浴びて目覚めると気分がよい。孔子も東枕をした。だから寝床の間取りは東枕か南枕にするのが一般的だ。白河上皇は北枕で眠った。「北枕は縁起が悪く、南向きの伊勢神宮に足を向けて眠るのはいかがな事でしょうか?」と、ある人がケチをつけたそうだ。だが、伊勢神宮の神殿は南東向きで、南ではない。

原文

(よる)の(おとど)は、(ひがしみまくら)なり。(おほかた)、東を枕として陽気を(う)くべき(ゆゑ)に、孔子も(とうしゆ)し給へり。寝殿のしつらひ、或は南枕、常の事なり。白河院は、(ほくしゆ)に(ぎよしん)なりけり。「北は(い)む事なり。また、伊勢は南なり。太神宮の(おんかた)を(おんあと)にせさせ給ふ事いかゞ」と、人申しけり。たゞし、太神宮の(えうはい)は、(たつみ)に(むか)はせ給ふ。南にはあらず。

第百三十四段 ​

高倉上皇の法華堂で念仏まみれだった坊さんに、何とかの律師という人がいた。ある日、鏡を手にして自分の顔を注意深く見つめていると、我ながら気味悪くグロテスクなのにショックを受けた。そして、鏡までもが邪悪な物に思えて恐ろしく二度と手にしなかった。人と会わず、修行の時にお堂に顔を出すだけで引き籠もっていたと聞いたが、天晴れである。

頭が良さそうな人でも、他人の詮索ばかりに忙しく、自分の事は何も知らないようだ。自分の事さえ知らないのに、他人の事など分かるわけもない。だから、自分の分際を知る人こそ、世の中の仕組みを理解している人と呼ぶべきだ。普通は、自分が不細工なのも知らず、心が腐っているのも知らず、腕前が中途半端なのも知らず、福引きのハズレ玉と同じ存在だということも知らず、年老いていくことも知らず、いつか病気になることも知らず、死が目の前に迫っていることも知らず、修行が足りないことにも気がついていない。自分の欠点も知らないのだから、人から馬鹿にされても気がつかないだろう。しかし、顔や体は鏡に映る。年齢は数えれば分かる。だから、自分を全く知らないわけでもない。だが、手の施しようが無いのだから、知らないのと同じなのだ。「整形手術をしろ」とか「若作りしろ」と言っているのではない。「自分はもう駄目だ」と悟ったら、なぜ、世を捨てないのか。老いぼれたら、なぜ、老人ホームで放心しないのか。「気合いの入っていない人生だった」と後悔したら、なぜ、それを深く追及しないのか。

全てにおいて人気者でもないのに人混みにまみれるのは、恥ずかしいことである。多くの人は無様な姿をさらして節操もなく表舞台に立ったり、薄っぺらな教養を持ってして学者の真似をしたり、中途半端な腕前で熟練の職人の仲間入りをしたり、鰯雲のような白髪頭をして若者に混ざり肩を並べたりしている。それだけで足りないのか、あり得ないことを期待し、出来ないことを妄想し、叶わない夢を待ちわびて、人の目を気にして恐れ、媚びへつらうのは、他人から受ける恥ではない。意味もなく欲張る気持ちに流されて、自ら進んでかく恥なのだ。欲望が止まらないのは、命が終わってしまうという大事件が、もうそこまでやって来ていることを身に染みて感じていない証拠である。

原文

(たかくらのゐん)の(ほつけだう)の(さんまいそう)、なにがしの(りつし)とかやいふもの、或時、鏡を取りて、顔をつくづくと見て、我がかたちの見にくゝ、あさましき事余りに心うく(おぼ)えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後、長く、鏡を恐れて、手にだに取らず、更に、人に(まじ)はる事なし。(みだう)のつとめばかりにあひて、(こも)り居たりと聞き侍りしこそ、ありがたく覚えしか。

(かしこ)げなる人も、人の(うえ)をのみはかりて、(おのれ)れをば(し)らざるなり。我を知らずして、(ほか)を知るといふ(ことわり)あるべからず。されば、己れを知るを、(もの)知れる人といふべし。かたち(みにく)けれども知らず、心の(おろ)かなるをも知らず、芸の(つたな)きをも知らず、身の数ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の(おか)すをも知らず、死の近き事をも知らず、(おこな)ふ道の(いた)らざるをも知らず。身の上の非を(し)らねば、まして、(ほか)の(そし)りを知らず。(ただ)し、かたちは鏡に見ゆ、年は(かぞ)へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべきかたのなければ、知らぬに似たりとぞ言はまし。かたちを(あらた)め、(よはひ)を若くせよとにはあらず。(つたな)きを知らば、何ぞ、やがて(しりぞ)かざる。老いぬと知らば、何ぞ、(しづ)かに居て、身を安くせざる。(おこな)ひおろかなりと知らば、何ぞ、(これ)を(おも)ふこと茲にあらざる。

すべて、人に(あいげう)せられずして(しう)に(まじ)はるは恥なり。かたち見にくゝ、心おくれにして(い)で(つか)へ、無智にして(たいさい)に交はり、(ふかん)の芸を持ちて(かんのう)の座に(つらな)り、雲の(かしら)を(いた)きて(さか)りなる人に並び、(いは)んや、及ばざる事を望み、(かな)はぬ事を(うれ)へ、(きた)らざることを待ち、人に恐れ、人に(こ)ぶるは、人の与ふる恥にあらず、(むさぼ)る心に引かれて、自ら身を恥かしむるなり。貪る事の(や)まざるは、命を(を)ふる大事、今こゝに(きた)れりと、(たし)かに知らざればなり。

第百三十五段 ​

藤原資季大納言と申し上げた人が、源具氏中将に向かって、「お前が質問してくる程度のことだったら、何だって答えてやろう」と言った。中将は「さあ、どうでしょう」と答えた。「ならば質問してみろ」と言われて、中将は、「難しいことは少しも勉強していないので質問する術を知らないのです。ですから、日常生活の中で疑問を感じる、どうでもよいことを質問します」と答えた。大納言は「なんだ、ここいらのどうでもいい疑問であれば、どんな事でも華麗に解き明かして進ぜよう」と胸を張った。周囲にいた天皇の取り巻きや、女官達が「面白そうな勝負だ。帝の御前で夕飯を賭けよう」と勝手に決めて、天覧試合となった。中将が「子供の頃から聞き慣れたことで、意味が分からないことがあります。『ムマノキツリヤウ、キツニノヲカ、ナカクボレイリ、クレンドウ』と言ったりするのは、どういう意味があるのでしょうか? 教えて下さい」と質問した。大納言は「うんうん、ばりばり」と気張りながら、「こんなどうでもよい質問に答えても仕方がない」と誤魔化したので、中将は「最初から難しいことは知らないので、どうでもよい質問をしますと断りました」と言った。大納言の負けになり、豪華な食事をご馳走する羽目になった。

原文

(すけすゑのだいなごんにふだう)とかや聞えける人、(ともうぢのさいしやう)中将にあひて、「わぬしの問はれんほどのこと、何事なりとも答へ申さざらんや」と言はれければ、具氏、「いかゞ(はべ)らん」と申されけるを、「さらば、あらがひ給へ」と言はれて、「はかばかしき事は、(かたはし)も(まね)び知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそゞろごとの中に、おぼつかなき事をこそ問ひ奉らめ」と申されけり。「まして、こゝもとの浅き事は、何事なりとも(あき)らめ申さん」と言はれければ、(きんじふ)の人々、女房なども、「(きよう)あるあらがひなり。同じくは、(ごぜん)にて争はるべし。負けたらん人は、(ぐご)をまうけらるべし」と定めて、御前にて(め)し(あ)はせられたりけるに、具氏、「(をさな)くより聞き習ひ侍れど、その心知らぬこと侍り。『むまのきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいり、くれんどう』と申す事は、(いか)なる心にか侍らん。承らん」と申されけるに、大納言入道、はたと詰りて、「これはそゞろごとなれば、言ふにも(た)らず」と言はれけるを、「本より深き道は知り侍らず。そゞろごとを尋ね奉らんと定め申しつ」と申されければ、大納言入道、負になりて、(しよくわ)いかめしくせられたりけるとぞ。

第百三十六段 ​

医者の篤成が、今は亡き後宇多法皇の御前に参上し、法皇の夕餉が配膳された際に、「今ここに配膳された色々な料理の食材の名前や栄養素を質問して下されば、何も見ずにお答え申し上げます。『食材大辞典』と比べてみて下さい。一つも間違えずに答えましょう」と言った。その時、今は亡き源有房内大臣がやって来て、「この在房も一緒に勉強をさせて下さい」と言い、「質問ですが、『しお』という漢字の部首は何でしたか?」と、篤成に聞いた。篤成は得意げに「土偏です」と答えたので、内大臣は「あなたの学識が既に分かってしまいました。これ以上調子に乗るのは止めて帰りなさい」と一蹴した。笑い者になった篤成は、ゴキブリのように逃げた。

原文

(くすしあつしげ)、故法皇の御前に(さぶら)ひて、(ぐご)の参りけるに、「今(まゐ)り(はべ)る供御の色々を、文字も(くのう)も尋ね下されて、そらに申し侍らば、(ほんざう)に(ごらん)じ合はせられ侍れかし。一つも申し(あやま)り侍らじ」と申しける時しも、(ろくでうのこだいふ)参り給ひて、「(ありふさ)、ついでに物習ひ侍らん」とて、「先づ、『しほ』といふ文字は、いづれの(へん)にか侍らん」と問はれたりけるに、「(どへん)に候ふ」と申したりければ、「(ざえ)の程、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所なし」と申されけるに、どよみに成りて、(まか)り(い)でにけり。

第百三十七段 ​

サクラの花は満開の時だけを、月は影のない満月だけを見るものだろうか? 雨に打たれて雲の向こうに浮かぶ月を恋しく思い、カーテンを閉め切って春が終わっていくのを見届けないとしても、また、ふんわりと優しい気持ちになるものだ。こぼれそうなツボミの枝や、花びらのカーペットが敷かれている庭だって見所はたくさんある。短歌の説明書きなどでも「お花見に行ったのですが、既に散り去っていて」とか「のっぴきならぬ事情で花見に行けなくて」と書いてあるのは「満開のサクラを見て詠みました」と書いてある短歌に負けることがあるだろうか? 花が散り、月が欠けていくのを切ない気持ちで見つめるのは自然なことであるが、なかには、この気持ちを知らない人がいて「この枝も、あの枝も、花が散ってしまった。もう花見など出来ない」と騒ぐ。

この世界の事は、始めと終わりが大切なのだ。男女のアフェアだって、本能の赴くまま睦み合うのが全てだろうか? 逢わずに終わった恋の切なさに胸を焦がし、変わってしまった女心と、未遂に終わった約束に放心しながら、終わりそうもない夜を一人で明かし、恋しい人がいる場所に男の哀愁をぶっ放したり、雑草の生い茂る荒れ果てた庭を眺めては、懐かしいあの頃を想い出したりするのが、恋の終着駅に違いない。澄み切った空に、光り輝く満月が空を照らす景色よりも、夜明け近くまで待ち続け、やっと出た月が、妖しく青い光を放ち、山奥の杉の枝にぶら下がったり、樹の間に影を作ったり、時折雨を降らせた雲の向こうに隠れているのは、格別に神々しい。椎や樫の木の濡れた葉の上に、月の光がキラキラと反射しているのを見ると、心が震え、この気持ちを誰かと共有したくなり、京都が恋しくなる。

月であってもサクラであっても、一概に目だけで見るものだろうか? サクラが咲き乱れる春は、家から一歩も出なくても、満月の夜は、部屋に籠もっていても、妄想だけで気持ちを増幅させることは可能だ。洗練された人は好事家には見えず、貪ったりしない。中途半端な田舎者ほど、実体だけをねちっこく有り難がる。サクラの木の根本にへばりついて、身をよじらせ、すり寄って、穴が空くほど見つめていたかと思えば、宴会を始め、カラオケにこぶしを震わせたあげく、太い枝を折って振り回したりする始末である。澄んだ泉には手足をぶち込むし、雪が降れば、地面に降りて足跡を付けたがり、自然をあるがままに、客観的に受け入れられないようだ。

こういう田舎者が、下鴨神社の葵祭を見物している現場は、大変ちんちくりんである。「見せ物がなかなか来ない。来るまでは観客席にいる必要もない」などと言って、奥にある部屋で酒を飲み、出前を取って、麻雀、花札などのギャンブルに燃える。見物席に見張りを立たせておいたので、「いま通り過ぎます」と報告があった時に、あれよあれよと内臓が圧迫するぐらいの勢いで、お互いに牽制しながら走り、落っこちそうになるまで、すだれを押し出して、押しくらまんじゅう。一瞬でも見逃すまいと凝視して、「ガー。ピー」と何かあるたびに奇声を発する。行列が去ると「次が来るまで」と、見物席から消えていく。ただ単に祭の行列だけを見ようと思っているのだろう。一方、都会の気高い人は目を閉じて、何も見ようとしない。都会の若者たちは、主人の世話に立ったり座ったりして、見物を我慢している。控えのお供も、品なく身を乗り出したりせず、無理をして祭を見ようとしない。

葵祭の日だから思い思いに葵の葉を掛けめぐらせて、街は不思議な雰囲気である。そんな中、日の出に、するすると集まってくる車には「誰が乗るのだろうか」と思い、あの人だろうか? それともあの人だろうか? と、思いを巡らせていると、運転手や執事などに見覚えのある人がいる。そして煌びやかに輝く葵の葉を纏った車が流れて行くのを見れば、我を忘れてしまう。日が落ちる頃、並んでいた車も、黒山の人集りも、一体どこへ消えて行くのだろうか? 人が疎らになり、帰りの車が行ってしまうと、スダレやゴザが片付けられ、目の前が淋しくなる。そして、永遠なんて何一つ無い世の中とオーバーラップして儚い気持ちになる。行列を見るよりも、終日、大通りの移り変わりを見るのが本当の祭見物なのだ。

見物席の前を往来している人の中に、知った顔が大勢いたので、世間の人口も、それほど多くないと思った。この人達がみんな死んでしまった後に、私が死ぬ運命だったとしても、たいした時間も残されていないだろう。大きな袋に水を入れて針で小さな穴を刺したら、水滴は少しずつ落ちるが、留まることが無いのだから最後は空になる。同じく、都会に生きる人の誰かが一人も死なない日など無い。毎日、死者は一人や二人では済まない。鳥部野や舟岡、他の火葬場にも棺桶がやたら多く担ぎ込まれる日があるけれど、棺桶を成仏させない日などない。だから棺桶業者は、作っても、作っても在庫不足に悩まされる。若くても、健康でも、忘れた頃にやって来るのが死の瞬間である。今日まで何とか生きてこられたのは有り得ないことで、奇跡でしかない。「こんな日がいつまでも続けばいいな」などと、田分けた事を考えている場合ではないのだ。オセロなど盤上にコマを並べている時は、ひっくり返されるコマがどれだか分からないが、まず一カ所をひっくり返して、何とか逃れても、その次の手順で、その外側がひっくり返されてしまう。このコマが取れる、あのコマが取れる、とやっているうちに、どれも取れなくなってしまい、結局は全部、ひっくり返されて、盤上は真っ黒になる。これは、死から逃れられないのと、非常によく似ている。兵隊が戦場に行けば、死が近いと悟って、家や自分の身体のことも忘れる。しかし、「世を捨てました」と言って隠遁しているアナーキストが、掘っ建て小屋の前で、いぶし銀に石を置き、水を流して庭をいじりをし、自分の死を夢にも思っていないのは、情けないとしか言いようがない。静かな山奥に籠もっていたとしても、押し寄せる強敵、平たく言うと死の瞬間が、あっという間にやって来ないことがあるだろうか? 毎日、死と向かい合っているのだから、敵陣に突き進む兵隊と同じなのだ。

原文

花は盛りに、月は(くま)なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の(ゆくへ)知らぬも、なほ、あはれに情け深し。咲きぬべきほどの(こずゑ)、散り萎れたる庭などこそ、(みどころ)多けれ。歌の(ことばがき)にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障る事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに(おと)れる事かは。花の散り、月の(かたぶ)くを(した)ふ習ひはさる事なれど、(こと)にかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝(ち)りにけり。今は見所なし」などは言ふめる。

(よろづ)の事も、始め・終りこそをかしけれ。(をとこ)(をんな)の(なさけ)も、ひとへに(あ)ひ見るをば言ふものかは。(あ)はで(や)みにし(う)さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜を独り明し、遠き(くもゐ)を思ひやり、(あさぢ)が(やど)に昔を(しの)ぶこそ、色(この)むとは言はめ。(もちづき)の隈なきを(ちさと)の(ほか)まで眺めたるよりも、(あかつき)近くなりて待ち(い)でたるが、いと心深う(あを)みたるやうにて、深き山の杉の(こずゑ)に見えたる、木の(ま)の影、うちしぐれたる村雲隠れのほど、またなくあはれなり。(しひしば)・(しらかし)などの、(ぬ)れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に沁みて、心あらん友もがなと、都恋しう(おぼ)ゆれ。

すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち(さ)らでも、月の夜は(ねや)のうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。よき人は、ひとへに(す)けるさまにも見えず、(きよう)ずるさまも(なほざり)なり。(かたゐなか)の人こそ、色こく、万はもて興ずれ。花の(もと)には、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、(れんが)して、果は、大きなる枝、心なく折り取りぬ。(いづみ)には手足さし浸して、雪には下り立ちて(あと)つけなど、万の物、よそながら見ることなし。

さやうの人の(まつり)(み)しさま、いと(めづ)らかなりき。「見事いと遅し。そのほどは(さじき)不用なり」とて、奥なる屋にて、酒飲み、物食ひ、(ゐご)・(すごろく)など遊びて、(さじき)には人を置きたれば、「渡り(さうら)ふ」と言ふ時に、おのおの(きも)(つぶ)るゝやうに争ひ走り上りて、落ちぬべきまで(すだれ)張り(い)でて、押し合ひつゝ、(ひとこと)も見洩さじとまぼりて、「とあり、かゝり」と物毎に言ひて、渡り過ぎぬれば、「また渡らんまで」と言ひて下りぬ。たゞ、物をのみ見んとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、(ねぶ)りて、いとも見ず。若く(すゑずゑ)なるは、(みやづか)へに立ち(ゐ)、人の(うし)に(さぶら)ふは、(さま)あしくも及びかゝらず、わりなく見んとする人もなし。

何となく(あふひ)(かけ)け渡してなまめかしきに、明けはなれぬほど、(しの)びて(よ)する車どものゆかしきを、それか、かれかなど思ひ寄すれば、(うしかひ)・(しもべ)などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行き交ふ、見るもつれづれならず。暮るゝほどには、立て並べつる車ども、所なく(な)みゐつる人も、いづかたへか行きつらん、程なく(まれ)に成りて、車どものらうがはしさも済みぬれば、(すだれ)・(たたみ)も取り払ひ、目の前にさびしげになりゆくこそ、世の(ためし)も思ひ知られて、あはれなれ。(おほち)見たるこそ、祭見たるにてはあれ。

かの(さじき)の前をこゝら行き(か)ふ人の、見知れるがあまたあるにて、知りぬ、世の(ひとかず)もさのみは多からぬにこそ。この人皆(う)せなん(のち)、我が身死ぬべきに(さだ)まりたりとも、ほどなく待ちつけぬべし。大きなる(うつはもの)に水を入れて、細き穴を明けたらんに、滴ること少しといふとも、(おこた)る(ま)なく(も)りゆかば、やがて尽きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日に一人・二人のみならんや。(とりべの)・(ふなをか)、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、(ひつぎ)を(ひさ)く者、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひ懸けぬは(しご)なり。(けふ)まで(のが)れ(き)にけるは、ありがたき(ふしぎ)なり。(しば)しも世をのどかには思ひなんや。(ままこだて)といふものを(すごろく)の石にて作りて、立て並べたるほどは、取られん事いづれの石とも知らねども、(かぞ)へ当てて一つを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、またまた(かぞ)ふれば、(かれこれ)(まぬ)き行くほどに、いづれも(のが)れざるに似たり。(つはもの)の、(いくさ)に(い)づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世を(そむ)ける草の(いほり)には、閑かに(すいせき)を翫びて、これを余所に聞くと思へるは、いとはかなし。閑かなる山の奥、(むじやう)の(かたき)(きほ)ひ(きた)らざらんや。その、死に(のぞ)める事、(いくさ)の(ぢん)に進めるに同じ。

第百三十八段 ​

「葵祭りが終わってしまえば、葵の葉はもういらない」と、ある人が、簾に懸けてあるのを全部捨ててしまった。味気ないことだと思ったが、比較的まともな人がやった事なので「そんなものか」と納得しきれないでいた。しかし、周防内侍は、

逢う日まで葵を眺めて暮らしても別れが枯れて時が過ぎ去る

と歌っていた。「簾に懸けた葵が枯れるのを詠んだ」と彼女の歌集に書いてある。古い歌の説明書きに「枯れた葵に結んで渡した」とも書いてあった。それから『枕草子』に、「過ぎ去った郷愁と言えば、枯れてしまった葵」というくだりがある。何となく枯れ葉に心を奪われたのだろう。鴨長明が書いた『四季物語』にも「祭が終わっても上等な簾に葵が懸かったままだ」とある。自然に枯れていくだけでも淋しくなるのに、何事も無かったかのように捨てたとしたら罪深い。

貴人の寝室に懸かっているくす玉がある。九月九日、重陽の節句の日に菊に取り替えるから、五月五日に匂い玉に懸けた菖蒲は、菊の季節までそのままにしておくのだろう。中宮、研子の死後、古ぼけた寝室に菖蒲とくす玉が懸かっていたのを見て、「中宮が生きていた頃は、くす玉に懸けた菖蒲ですが、季節外れの今は涙の玉に懸け換えて、泣きじゃくります」と、弁乳母が詠めば、「菖蒲は今でも匂っているのに、この寝室はもぬけの殻だわ」と、江侍従が返したそうだ。

原文

「祭過ぎぬれば、(のち)の(あふひ)不用なり」とて、(ある)人の、(みす)なるを皆取らせられ(はべ)りしが、色もなく(おぼ)え(はべ)りしを、よき人のし給ふ事なれば、さるべきにやと思ひしかど、(すはうのないし)が、

かくれどもかひなき物はもろともにみすの(あふひ)の(かれは)なりけり

と(よ)めるも、(もや)の(みす)に葵の懸りたる枯葉を(よ)めるよし、(いへ)の(しふ)に書けり。古き歌の(ことばがき)に、「枯れたる葵にさして遣はしける」とも侍り。(まくらのさうし)にも、「(こ)しかた恋しき物、枯れたる葵」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひ寄りたれ。(かものちやうめい)が(しきものがたり)にも、「(たまだれ)に(のち)の(あふひ)は(とま)りけり」とぞ書ける。己れと枯るゝだにこそあるを、(なご)なく、いかゞ取り捨つべき。

(みちやう)に懸れる(くすだま)も、(ながつき)九日、菊に取り替へらるゝといへば、(さうぶ)は菊の(をり)までもあるべきにこそ。(びはのくわうたいこうぐう)かくれ給ひて(のち)、古き(みちやう)の(うち)に、(さうぶ)・(くすだま)などの枯れたるが侍りけるを見て、「折ならぬ(ね)をなほぞかけつる」と(べん)の(めのと)の言へる(かへりごと)に、「あやめの草はありながら」とも、(がうじじゆう)が詠みしぞかし。

第百三十九段 ​

家に植えたい木は、松と桜。五葉の松も良い。桜の花は一重が良い。「いにしえの奈良の都の八重桜」は、最近、世間に増え過ぎた。吉野山、平安京の桜は、みな一重である。八重桜は邪道で、うねうねとねじ曲がった花を咲かせる。わざわざ庭に植えることもないだろう。遅咲きの桜も、咲き間違えたようで白ける。毛虫まみれで花を咲かせるのも気味が悪い。梅は白とピンクが良い。一重の花が足早に咲き、追って八重咲きの花がルージュを引くように咲くのは嬉しい。遅咲きの梅は、桜のシーズンに重なり、適当にあしらわれ、桜に圧倒されて、情けなく悲惨である。「一重の梅が、最初に咲いて、最初に散っていくのは、見ていて潔く気持ちがよい」と、藤原定家が軒先に植えていた。今でも定家の家の南に二本生えている。それから、柳の木もオツなものだ。初春の楓の若葉は、どんな花や紅葉にも負けないほど煌めいている。橘や桂といった木は年代物で大きいのが良い。

草は、ヤマブキ・フジ・カキツバタ・ナデシコ。池に浮かぶのは、ハチス。秋の草なら、オギ・ススキ・キキョウ・ハギ・オミナエシ・フジバカマ・シオン・ワレモコウ・カルカヤ・リンドウ・シラギク、そして黄色いキク。ツタ・クズ・アサガオ。どれも、伸びきらず、塀に絡まらない方が良い。これ以外の植物で、天然記念物や、外来種風の名前の物や、見たこともない花は、まるで愛でる気にもならない。

どんな物でも、珍品で、入手困難な物は、頭の悪い人がコレクションして喜ぶ物である。そんな物は、無いほうが良い。

原文

家にありたき木は、松・桜。松は、(ごえふ)もよし。花は、(ひとえ)なる、よし。八重桜は、奈良の都にのみありけるを、この比ぞ、世に多く成り(はべ)るなる。吉野の花、(さこん)の桜、皆、(ひとえ)にてこそあれ。八重桜は(ことやう)のものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植ゑずともありなん。(おそざくら)またすさまじ。虫の附きたるもむつかし。梅は、白き・(うすこうばい)。(ひとえ)なるが(と)く咲きたるも、重なりたる紅梅の(にほ)ひめでたきも、皆をかし。遅き梅は、桜に咲き合ひて、(おぼ)え(おと)り、(けお)されて、枝に(しぼ)みつきたる、心うし。「一重なるが、まづ咲きて、散りたるは、心(と)く、をかし」とて、(きやうごくのにふだうちゆうなごん)は、なほ、一重梅をなん、軒近く植ゑられたりける。京極の(や)の南(む)きに、今も(ふたもと)侍るめり。柳、またをかし。(うづき)ばかりの(わかかへで)、すべて、(よろづ)の花・(もみぢ)にもまさりてめでたきものなり。(たちばな)・(かつら)、いづれも、木はもの(ふ)り、大きなる、よし。

草は、(やまぶき)・(ふぢ)・(かきつばた)・(なでしこ)。池には、(はちす)。秋の草は、(をぎ)・(すすき)・(きちかう)・(はぎ)・(をみなへし)(ふぢばかま)・(しをに)・(われもかう)・(かるかや)・(りんだう)・菊。黄菊も。(つた)・(くづ)・朝顔。いづれも、いと高からず、さゝやかなる、(かき)に(しげ)からぬ、よし。この(ほか)の、世に(まれ)なるもの、(から)めきたる名の聞きにくゝ、花も見(な)れぬなど、いとなつかしからず。

(おほかた)、何も珍らしく、ありがたき物は、よからぬ人のもて(きよう)ずる物なり。さやうのもの、なくてありなん。

第百四十段 ​

子孫に美田を残すのは、まともな人間のすることではない。下らぬ物を貯め込むのは恥であり、高価な物に心を奪われるのは情けない。何より遺品が多いのは、傍迷惑である。「私が貰っておきましょう」などと名乗り出る者が現れ、醜い骨肉の争いが勃発するだけだ。死後に誰かに譲ろうと思っている物があるならば、生きているうちにくれてやれば良い。

生活必需品を持つだけで、後は何も持たない方が良いのである。

原文

身死して(たから)残る事は、(ちしや)のせざる処なり。よからぬ物蓄へ置きたるもつたなく、よき物は、心を止めけんとはかなし。こちたく(おほ)かる、まして(くちを)し。「我こそ(え)め」など言ふ者どもありて、(あと)に(あらそ)ひたる、(さま)あし。(のち)は(たれ)にと志す物あらば、(い)けらんうちにぞ譲るべき。

(あさゆふ)なくて(かな)はざらん物こそあらめ、その(ほか)は、何も(も)たでぞあらまほしき。

第百四十一段 ​

悲田院の尭蓮上人は、またの名を「三浦何とか」と言い、無敵のサムライだった。ある日、故郷から客が来たので語り合ったところ、「東京者が言ったことは信用できるが、京都の奴らは口先ばかりで信用ならん」という話題になった。尭蓮聖は、「あなたはそう思うかも知れませんが、長く京都に馴染むと、とりわけ都会の人間の心が荒んでいるようには思えません。京都の者は皆、心が優しくて情にもろいから、人からお願いされてしまうと無下に断れないようです。気が弱く言葉に詰まって頼み事を承諾してしまうのです。約束を破ろうとは微塵も思っていないのですが、貧乏で生活もままならないから、自然と思い通りにならないのです。東京の田舎者は、私の故郷の人々ですが、実は、心に血が通ってなく、愛情が軽薄で偏屈頑固だから、最初から嫌だと言って終わりにします。田舎者は財産を貯め込んでいて裕福な人が多いので、カモにされているだけなのです」と説き伏せた。この聖は、話し方に訛りがあり、荒削りで、仏の教えを細部まで理解していないように見えた。しかし、この話を聞いて聖のことが好きになった。大勢いる法師の中で寺を持つことができたのも、このような柔軟な心の持ち主だった結果であろう。

原文

(ひでんゐん)の(げうれんしやうにん)は、(ぞくしやう)は三浦の(なにがし)とかや、(さう)なき(むしや)なり。(ふるさと)の人の(きた)りて、(ものがたり)すとて、「(あづまびと)こそ、言ひつる事は(たの)まるれ、(みやこ)の人は、ことうけのみよくて、(まこと)なし」と言ひしを、(ひじり)、「それはさこそおぼすらめども、己れは都に久しく住みて、(な)れて見(はべ)るに、人の心(おと)れりとは思ひ(はべ)らず。なべて、心(やは)らかに、情ある(ゆゑ)に、人の言ふほどの事、けやけく(いな)び(がた)くて、(よろづ)え言ひ放たず、心弱くことうけしつ。(いつは)りせんとは思はねど、(とも)しく、(かな)はぬ人のみあれば、(おのづか)ら、(ほい)通らぬ事多かるべし。(あづまびと)は、我が方なれど、げには、心の色なく、情おくれ、偏にすぐよかなるものなれば、始めより(いな)と言ひて(や)みぬ。(にぎ)はひ、(ゆた)かなれば、人には(たの)まるゝぞかし」とことわられ(はべ)りしこそ、この(ひじり)、声うち歪み、荒々しくて、(しやうげう)の(こま)やかなる(ことわり)、いと(わきま)へずもやと思ひしに、この(ひとこと)の後、心にくゝ成りて、(おほ)かる(なか)に寺をも(ぢゆうぢ)せらるゝは、かく(やは)らぎたる所ありて、その(やく)もあるにこそと(おぼ)え(はべ)りし。

第百四十二段 ​

心に血が通っていないように見える人でも、たまには超越したことを言うものだ。乱暴者で怖そうな男が同僚に、「子供はいるのか?」と訊ねた。「一人もいないぞ」と答えたので、「ならば世の中に満ちあふれている愛を知らないだろう。お前が冷酷な人間に見えて恐ろしくなってきた。子供がいてこそ真の愛を知ることができるのだ」と言った。もっともである。愛に生きる道を選んだから、こんな乱暴者にも優しい気持ちが芽生えたのだ。親不孝者でも子を持てば、親の気持ちを思い知ることになる。

人生を捨て、身よりも無くなったオッサンがいたとする。そんな分際で、要介護の親やスネを囓る子供達に人生を捧げ、他人に媚びへつらってゴマを擂っている人を馬鹿にすれば、地獄に堕ちるだろう。本人の身になって考えれば、心から愛する親、妻、子供のために、恥を忍び泥棒になるしかないと思う気持ちも分かるはずだ。そんなわけで、泥棒を逮捕してボコボコにしている場合ではなく、人々が餓死・凍死をせぬよう政治の改革をしなくてはならない。人間は最低限の収入が無くなると、ろくな事を考えなくなる。生活が破綻するから泥棒になるのだ。腐った政治の下で、餓死・凍死が絶えないから前科者が増えるのだ。政治が国民を崖っぷちに追いやって犯罪をそそのかすのに、その罪だけを償わせるとは何事か。

ならば救済とは何か? 国を治める人が調子に乗るのを止め、豪遊も止め、国民を慈しみ、農業を奨励すればよい。それが、労働者の希望になることは疑う余地もない。着る物も食べる物も間に合っている境遇で献金活動などをしているとしたら、そいつは本当の悪人だと言ってよろしい。

原文

心なしと見ゆる者も、よき(ひとこと)はいふものなり。ある(あらえびす)の(おそろ)しげなるが、かたへにあひて、「(おこ)はおはすや」と問ひしに、「一人も持ち(はべ)らず」と答へしかば、「さては、もののあはれは知り給はじ。情なき(みこころ)にぞものし給ふらんと、いと恐し。子(ゆゑ)にこそ、万のあはれは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべき事なり。(おんあい)の道ならでは、かゝる者の心に、(じひ)ありなんや。(けうやう)の心なき者も、子持ちてこそ、親の志は思ひ知るなれ。

世を捨てたる人の、(よろづ)にするすみなるが、なべて、ほだし多かる人の、(よろづ)に(へつら)ひ、望み深きを見て、無下に思ひくたすは、(ひがごと)なり。その人の心に成りて思へば、まことに、かなしからん親のため、妻子のためには、恥をも(わす)れ、(ぬす)みもしつべき事なり。されば、(ぬすびと)を(いまし)め、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の(う)ゑず、寒からぬやうに、世をば(おこな)はまほしきなり。人、(つね)の産なき時は、(つね)の心なし。人、(きはま)まりて盗みす。(よ)(をさま)らずして、(とうたい)の苦しみあらば、(とが)の者絶ゆべからず。人を苦しめ、法を(をか)さしめて、それを罪なはん事、(ふびん)のわざなり。

さて、いかゞして人を恵むべきとならば、(かみ)の(おご)り、(つひや)す所を止め、民を(な)で、農を(すす)めば、(しも)に利あらん事、疑ひあるべからず。衣食(よのつね)なる上に(ひがごと)せん人をぞ、真の(ぬすびと)とは言ふべき。

第百四十三段 ​

大往生の話を人が語っているのを聞くと、「ただ、静かに取り乱すこともなく息を引き取りました」と言えば良いものを、つまらない人間が、妙に変わった脚色をして、最後の言葉や動作などを勝手に改竄して誉めたりする。死んだ本人にとっては、とんだ迷惑でしかないだろう。

原文

人の終焉(しゆうえん)の有様のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、たゞ、静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚(おろ)かなる人は、あやしく、異(こと)なる相(さう)を語りつけ、言ひし言葉も振舞も、己(おの)れが好む方(かた)に誉めなすこそ、その人の日来(ひごろ)の本意(ほい)にもあらずやと覚(おぼ)ゆれ。

第百四十四段 ​

明恵上人が散歩をしていると、小川で男が「(あし)、(あし)」と言って、馬の脚を洗おうとしていた。上人は立ち止まり、「有り難や。現世に降臨した神様でしょうか? (あじ)(あじ)と宇宙を創造する言葉を唱えておられます。どのような方のお馬様かお尋ねします。この上なく神聖なことでございます」と言った。男は、「フショウ殿の馬ですよ」と答えた。「なんて嬉しいことでしょう。(あじほんふしょう)。つまり宇宙は永遠に不滅です。未来への悟りが見えてきました」と言って、感動で流れる涙を拭ったそうだ。

原文

(とがのを)の(しやうにん)、道を過ぎ給ひけるに、河にて馬洗ふ男、「あしあし」と言ひければ、(とがのを)の(しやうにん)立ち止りて、「あな尊や。(しゆくしふかいほつ)の人かな。(あじ)(あじ)と(とな)ふるぞや。如何なる人の(おんうま)ぞ。余りに(たふと)く(おぼ)ゆるは」と尋ね給ひければ、「(ふしやうどの)の御馬に(さうら)ふ」と答へけり。「こはめでたき事かな。(あじ)(ほんふしやう)にこそあンなれ。うれしき(けちえん)をもしつるかな」とて、(かんるい)を(のご)はれけるとぞ。

第百四十五段 ​

秦重躬は、上皇のセキュリティ・ポリスだった。御所の警備員、下野入道信願に「落馬の相が出ています。充分に用心なさい」と言った。信願は、「どうせ当たりもしない占いだろう」と内心バカにしていたら、本当に馬から落ちて死んでしまった。人々は、この道何十年の専門家が言うことは神懸かっていると感心した。

そこで、「どんな相が出ていたのですか?」と誰かが聞いた。「安定感のない桃尻のくせに、跳ね癖のある馬が好きでした。それで落馬の相を見つけたのです。何か間違っているでしょうか」と言ったそうだ。

原文

(みずいじん)(はだのしげみ)、(ほくめん)の(しもつけのにふだう)(しんぐわん)を、「(らくば)の(さう)ある人なり。よくよく(つつし)み給へ」と言ひけるを、いと真しからず思ひけるに、信願、馬より落ちて死ににけり。道に長じぬる(ひとこと)、神の如しと人思へり。

さて、「(いか)なる相ぞ」と人の問ひければ、「(きは)めて(ももじり)にして、(はいがい)の馬を好みしかば、この相を(おほ)せ(はべ)りき。何時かは申し誤りたる」とぞ言ひける。

第百四十六段 ​

明雲住職が、人相見に向かって、「私は、もしかして武器関係の災難と関わりがあるだろうか?」と訊ねた。人相見は、「おっしゃるとおり、その相が出ています」と答えた。「どんな相が出ているのだ」と問いつめると、「戦争で怪我の恐れがない身分でありますのに、たとえ妄想でもそのような心配をして訊ねるのですから、これはもう危険な証拠です」と答えた。

やはり、明雲住職は矢に当たって死んだ。

原文

(めいうん)(ざす)、(さうじや)にあひ給ひて、「(おの)れ、もし(ひやうぢやう)の難やある」と尋ね給ひければ、(さうにん)、「まことに、その(さう)おはします」と申す。「(いか)なる相ぞ」と(たづ)ね給ひければ、「(しやうがい)の(おそ)れおはしますまじき御身にて、仮にも、かく思し寄りて、尋ね給ふ、これ、(すで)に、その(あや)ぶみの(きざし)なり」と申しけり。

果して、矢に当りて(う)せ給ひにけり。

第百四十七段 ​

「灸の痕が体中にあるのは穢らわしいので、神に仕える行事を遠慮しなくてはならない」という説は、この頃、誰かが言い出したことである。『いざという時の冠婚葬祭辞典』にも書いてない。

原文

(きうぢ)、あまた所に成りぬれば、(しんじ)に(けが)れありといふ事、近く、人の言ひ(い)だせるなり。(きやくしき)(など)にも見えずとぞ。

第百四十八段 ​

四十過ぎて性懲りもなく身体に灸を据えた後、足の裏を焼かないと、逆上せることがある。必ず足の裏の決まった場所を焼くことだ。

原文

四十以後の人、身に(きう)を加へて、三里を焼かざれば、(じやうき)の事あり。必ず灸すべし。

第百四十九段 ​

精力剤のロクジョウを鼻に当てて匂いを嗅いではいけない。巣喰った小虫が鼻から入り、脳味噌を食べると言われている。

原文

(ろくじよう)を鼻に当てて(か)ぐべからず。小さき虫ありて、鼻より(い)りて、脳を(は)むと言へり。

第百五十段 ​

これから芸を身につけようとする人が、「下手くそなうちは、人に見られたら恥だ。人知れず猛特訓して上達してから芸を披露するのが格好良い」などと、よく勘違いしがちだ。こんな事を言う人が芸を身につけた例しは何一つとしてない。

まだ芸がヘッポコなうちからベテランに交ざって、バカにされたり笑い者になっても苦にすることなく、平常心で頑張っていれば才能や素質などいらない。芸の道を踏み外すことも無く、我流にもならず、時を経て、上手いのか知らないが要領だけよく、訓練をナメている者を超えて達人になるだろう。人間性も向上し、努力が報われ、無双のマイスターの称号が与えられるまでに至るわけだ。

人間国宝も、最初は下手クソだとなじられ、ボロクソなまでに屈辱を味わった。しかし、その人が芸の教えを正しく学び、尊重し、自分勝手にならなかったからこそ、重要無形文化財として称えられ、万人の師匠となった。どんな世界も同じである。

原文

(のう)をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に(し)られじ。うちうちよく習ひ(え)て、さし(い)でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も(なら)ひ(う)ることなし。

(いま)だ(けんご)かたほなるより、上手の(なか)に(まじ)りて、(そし)り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて(たしな)む人、(てんせい)、そ(こつ)なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、(かんのう)の(たしな)まざるよりは、(つひ)に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、(ならび)なき名を(う)る事なり。

(てんが)のものの上手といへども、始めは、(ふかん)の聞えもあり、無下の(かきん)もありき。されども、その人、道の(おきて)(ただ)しく、これを重くして、(はうらつ)せざれば、世の(はかせ)にて、(ばんにん)の師となる事、諸道(かは)るべからず。

第百五十一段 ​

ある人が言っていた。「五十歳になっても熟練しなかった芸など捨ててしまえ」と。その年になれば、頑張って練習する未来もない。老人のすることなので、誰も笑えない。大衆に交わっているのも、デリカシーが無くみっともない。ヨボヨボになったら、何もかも終了して、放心状態で空を見つめているに限る。見た目にも老人ぽくて理想的だ。世俗にまみれて一生を終わるのは、三流の人間がやることである。どうしても知りたい欲求に駆られたら、人に師事し、質問し、だいだいの概要を理解して、疑問点がわかった程度でやめておくのが丁度よい。本当は、はじめから何も知ろうとしないのが一番だ。

原文

(ある)人の云はく、年五十になるまで上手に至らざらん芸をば捨つべきなり。(はげ)み習ふべき(ゆくすゑ)もなし。老人の事をば、人もえ(わら)はず。衆に(まじ)りたるも、あいなく、見ぐるし。大方、万のしわざは(や)めて、(いとま)あるこそ、めやすく、あらまほしけれ。世俗の事に(たづさ)はりて生涯を暮すは、(かぐ)の人なり。ゆかしく(おぼ)えん事は、学び訊くとも、その趣を知りなば、おぼつかなからずして(や)むべし。もとより、望むことなくして(や)まんは、第一の事なり。

第百五十二段 ​

西大寺の静然上人は腰が曲がり眉も真っ白だった。何とも尊いオーラを発散させながら宮中にやって来たので、西園寺実衡内大臣は、「何という尊さだ」と羨望の眼差しを向けた。これを見た日野資朝卿が、「ただ老人でヨボヨボなだけです」と言った。

何日か経って、資朝は毛が抜けてヨレヨレになり、醜く年取った犬を連れてきて、「大変尊い姿でございます」と、内大臣にプレゼントした。

原文

(さいだいじ)(じようねん)(しようにん)、腰(かが)まり、(まゆ)白く、まことに徳たけたる有様にて、(だいり)へ参られたりけるを、(さいをんじの)内大臣殿、「あな尊の(けしき)や」とて、(しんがう)の(きそく)ありければ、(すけとものきやう)、これを見て、「年の寄りたるに候ふ」と申されけり。

(ごにち)に、(むく)犬のあさましく老いさらぼひて、毛剥げたるを曳かせて、「この(けしき)(たふと)く見えて候ふ」とて、(だいふ)へ(まゐ)らせられたりけるとぞ。

第百五十三段 ​

京極為兼が逮捕され、兵隊に取り囲まれながら豚箱に連行された。日野資朝が、羨望の眼差しで見つめながら、「ああ、とても羨ましい。この世に生まれた想い出に、私もあんな目に遭ってみたい」と呟いたそうだ。

原文

(ためかねのだいなごんにふだう)、(め)し(と)られて、武士どもうち囲みて、(ろくはら)へ(ゐ)て行きければ、(すけとものきやう)、一条わたりにてこれを見て、「あな(うらや)まし。世にあらん思い(い)、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。

第百五十四段 ​

この日野資朝という人が、東寺の門で雨宿りをしていた。乞食でごった返しており、彼等の手足はねじ曲がり、反り返り、体中が変形していた。それを見て、「あちこちと珍しく変わった生き物だ。よく観察してみる価値がある」と、つぶらな瞳で観察したが、遂に飽きた。そして、見るのもうんざりし、不機嫌になった。「曲がっているより、普通の真っ直ぐな人間の方が良い」と思った。帰宅してから、大好きだった盆栽を見て「自然に逆らってクネクネ曲がっている木を見て喜ぶのは、あの乞食を見て喜ぶのと同じ事だ」と気がつき、一気に興ざめしたので、鉢に植えた盆栽を全部掘り起こして捨ててしまった。

わかるような気もする。

原文

この人、(とうじ)の門に(あまやど)りせられたりけるに、かたは者どもの集りゐたるが、手も足も(ね)ぢ歪み、うち反りて、いづくも(ふぐ)に(ことやう)なるを見て、とりどりに(たぐひ)なき(くせもの)なり、(もつと)も愛するに(た)れりと思ひて、目守り給ひけるほどに、やがてその(きよう)尽きて、見にくゝ、いぶせく(おぼ)えければ、たゞ素直に(めづら)らしからぬ物には如かずと思ひて、帰りて後、この間、(うゑき)を好みて、(ことやう)に(きよくせつ)あるを求めて、目を喜ばしめつるは、かのかたはを愛するなりけりと、興なく(おぼ)えければ、(はち)に(う)ゑられける木ども、皆(ほ)り捨てられにけり。

さもありぬべき事なり。

第百五十五段 ​

一番の処世術はタイミングを掴むことである。順序を誤れば、反対され、誤解を与え、失敗に終わる。そのタイミングを知っておくべきだ。ただし、病気や出産、死になると、タイミングなど無く、都合が悪くても逃れられない。人は、この世に産み落とされ、死ぬまで変化して生き移ろう。人生の一大事は、運命の大河が氾濫し、流れて止まないのと同じなのだ。少しも留まることなく未来へと真っ直ぐ流れる。だから、俗世間の事でも成し遂げると決めたなら、順序を待っている場合ではない。つまらない心配に、決断を中止してはならない。

春が終わって夏になり、夏が終わって秋になるのではない。春は早くから夏の空気を作り出し、夏には秋の空気が混ざっている。秋にはだんだん寒くなり、冬の十月には小春の天気があって、草が青み、梅の花も蕾む。枯葉が落ちてから芽が息吹くのでもない。地面から芽生える力に押し出され、耐えられず枝が落ちるのである。新しい命が地中で膨らむから、いっせいに枝葉が落ちるのだ。人が年老い、病気になり、死んでいく移ろいは、この自然のスピードよりも速い。季節の移ろいには順序がある。しかし、死の瞬間は順序を待ってくれない。死は未来から向かって来るだけでなく、過去からも追いかけてくるのだ。人は誰でも自分が死ぬ事を知っている。その割には、それほど切迫していないようだ。しかし、忘れた頃にやってくるのが死の瞬間。遙か遠くまで続く浅瀬が、潮で満ちてしまい、消えて磯になるのと似ている。

原文

世に(したが)はん人は、先づ、(きげん)を知るべし。(ついで)(あ)しき事は、人の耳にも(さか)ひ、心にも違ひて、その事(な)らず。さやうの(をりふし)を心(う)べきなり。(ただ)し、(やまひ)を受け、子(う)み、死ぬる事のみ、(きげん)をはからず、(ついで)(あ)しとて(や)む事なし。(しやう)・(ぢゆう)・(い)・(めつ)の移り変る、(まこと)の大事は、(たけ)き河の(みなぎ)り流るゝが如し。(しば)しも(とどこほ)らず、(ただ)ちに(おこな)ひゆくものなり。されば、(しんぞく)につけて、必ず(はた)し(と)げんと思はん事は、(きげん)を言ふべからず。とかくのもよひなく、足を(ふ)み(とど)むまじきなり。

春暮れて(のち)、夏になり、夏(は)てて、秋の(く)るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は(こはる)の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて(め)ぐむにはあらず、(した)より(きざ)しつはるに(た)へずして落つるなり。(むか)ふる気、下に(まう)けたる(ゆゑ)に、待ちとる(ついで)(はなは)だ速し。(しよう)・老・病・死の移り(きた)る事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序あり。(しご)は(ついで)を待たず。死は、前よりしも(きた)らず。かねて(うしろ)に(せま)れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、(おぼ)えずして(きた)る。(おき)の(ひかた)(はる)かなれども、(いそ)より(しほ)の(み)つるが如し。

第百五十六段 ​

大臣昇進のお披露目は、しかるべき会場を用意して開催するのが通例である。頼長左大臣は東三条殿で行った。近衛天皇の皇居だが、会場に申請されたので、天皇は他へ避難した。親しい間柄でなくても、皇室の女性の住まいを借り上げるのが、古来の習わしである。

原文

(だいじん)の(だいきやう)は、さるべき所を申し請けて(おこな)ふ、常の事なり。(うぢのさだいじんどの)は、(とうさんでうどの)にて行はる。内裏にてありけるを、申されけるによりて、(たしよ)へ(ぎやうがう)ありけり。させる事の(よ)せなけれども、(にようゐん)の(ごしよ)など(か)り申す、(こしつ)なりとぞ。

第百五十七段 ​

筆を手に取れば自然と何かを書きはじめ、楽器を手にすれば音を出したくなる。盃を持てば酒のことを考えてしまい、サイコロを転がしていると「入ります」という気分になってくる。心はいつも物に触れると躍り出す。だから冗談でもイケナイ遊びに手を出してはならない。

ほんの少しでも、お経の一節を見ていると、何となく前後の文も目に入ってくる。そして思いがけず長年の(あやま)ちを改心することもあるものだ。もしも、今、この経本を(ひもと)かなかったら、改心しようと思わなかっただろう。触れることのおかげである。信じる心が全く無くとも、仏の前で数珠を手に、経本を取って、ムニャムニャしていれば自然と良い結果が訪れる。浮つく心のまま、縄の腰掛けに陣取って座禅を組めば、気付かぬうちに(げだつ)もしよう。

現象と心は、別々の関係ではないのだ。外見だけでも、それらしくしていれば、必ず心の内面まで伝わってくる。だからハッタリだとバカにしてはならない。むしろ、(あお)いで尊敬しなさい。

原文

筆を(と)れば物(か)かれ、楽器を(と)れば(ね)を立てんと思ふ。盃を取れば酒を思ひ、(さい)を取れば(だ)(う)たん事を思ふ。心は、必ず、事に(ふ)れて(きた)る。仮にも、不善の(たはぶ)れをなすべからず。

あからさまに(しやうげう)の一句を見れば、何となく、前後の(もん)も見ゆ。(そつじ)にして多年の(ひ)を改むる事もあり。仮に、今、この(ふみ)を披げざらましかば、この事を知らんや。これ(すなは)ち、(ふ)るゝ所の(やく)なり。心更に起らずとも、仏前にありて、(ずず)を取り、(きやう)を取らば、(おこた)るうちにも(ぜんこふ)(おのづか)ら(しゆ)せられ、(さんらん)の心ながらも(じようしやう)に座せば、(おぼ)えずして(ぜんちやう)(な)るべし。

(じ)・(り)もとより二つならず。(げさう)もし(そむ)かざれば、(ないしよう)必ず(じゆく)す。(し)ひて不信を言ふべからず。(あふ)ぎてこれを(たふと)むべし。

第百五十八段 ​

「盃の底に残ったお酒を捨てるのはどうしてか知っているか?」と、ある人が訊ねた。「凝当と申しますから、底に溜まっている酒を捨てるという意味でしょうか」と答えた。すると「それは違う。魚道と言って、魚が生まれた川に帰るように、口をつけた部分を洗い流すことだ」と教えてくれた。

原文

「(さかづき)の底を(す)つる事は、いかゞ心(え)たる」と、或人の尋ねさせ給ひしに、「(ぎようたう)と申し(はべ)れば、底に(こ)りたるを捨つるにや(さうら)ふらん」と申し侍りしかば、「さにはあらず。(ぎよたう)なり。流れを残して、口の附きたる所を滌ぐなり」とぞ(おほ)せられし。

第百五十九段 ​

「みな結びという組紐は、二本の糸を組んで結び、それを重ねて垂らした姿が蜷という巻き貝に似ているから、そう呼ぶのだ」と、ある人格者が言っていた。しかし、「にな」と言うのは間違いである。

原文

「みな結びと言ふは、糸を結び(かさ)ねたるが、(みな)といふ貝に似たれば言ふ」と、(ある)やんごとなき人(おほ)せられき。「にな」といふは(あやま)りなり。

第百六十段 ​

門に額縁を懸けるのを「打つ」と言うのは、よい言い方ではないのだろうか。勘解由小路二品禅門は、「額を懸ける」と言っていた。「祭り見物の桟敷を打つ」と言うのも、討つや、撃つのようで、よくない言い方なのだろうか。「テントの土台を打つ」と言うのは、普通に使う言葉だ。しかし、「桟敷を構える」と言った方が良いのかも知れない。「護摩の火を焚く」と言うのも、「護摩」という言葉に焚くという意味が含まれているので良くない。「修行する」とか「護摩をする」と言うのである。「行法も、清音でギョウホウと言うのは、良くない。ギョウボウと濁音で言うのだ」と、清閑寺僧正が言っていた。普段使う言葉にも、こんな言い方が色々とある。

原文

(もん)に(がく)(か)くるを「打つ」と言ふは、よからぬにや。(かでのこうぢの)(にほんぜんもん)は、「額懸くる」とのたまひき。「見物の(さじき)打つ」も、よからぬにや。「(ひらばり)打つ」などは、常の事なり。「(さじき)(かま)ふる」など言ふべし。「(ごま)(た)く」と言ふも、わろし。「(しゆ)する」「(ごま)する」など言ふなり。「(ぎやうぽふ)も、法の字を(す)みて言ふ、わろし。濁りて言ふ」と、(せいかんじの)(そうじやう)仰せられき。常に言ふ事に、かゝる事のみ多し。

第百六十一段 ​

サクラの花の盛りは、一年中で日照時間が一番短い冬至から百五十日目とも、春分の九日後とも言われているが、立春の七十五日後が、おおよそ適当である。

原文

花の盛りは、(とうじ)より百五十日とも、(じしやう)の後、七日とも言へど、立春より七十五日、(おほやう)(たが)はず。

第百六十二段 ​

遍照寺の雑務坊主は、日頃から池の鳥を餌付けして飼い慣らしていた。鳥小屋の中まで餌を撒き、扉を一つ開けておくと、夥しいほどの鳥が誘き寄せられた。その後、自分も鳥小屋に入って鳥を閉じ込めると、捕獲しては殺し、殺しては捕獲した。その悲鳴がただ事では無いので、草むしりをする少年が、大人に言いつけた。村の男達がやって来て、鳥小屋の中に突入すると、大きな雁が翼をバタバタと必死に最後の抵抗をし合っていた。この中に坊主がいて、雁を地面に叩きつけ、首を捻って虐殺していたので、現行犯で逮捕された。判決が下りると、坊主は殺した鳥を首からぶら下げられて、豚箱にぶち込まれた。

久我基俊が、警視庁長官だった頃の話である。

原文

(へんぜうじ)の(しようじ)(ほふし)、池の鳥を(ひごろ)(か)ひつけて、堂の内まで(ゑ)を(ま)きて、戸(ひと)つ(あ)けたれば、数も知らず(い)り(こも)りける(のち)、(おのれ)れも(い)りて、たて(こ)めて、(とら)へつゝ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞えけるを、草(か)る(わらは)聞きて、人に告げければ、村の男どもおこりて、入りて見るに、(おほがり)どもふためき合へる中に、法師交りて、打ち伏せ、(ね)ぢ殺しければ、この法師を捕へて、所より(しちやう)へ(い)だしたりけり。殺す所の鳥を(くび)に(か)けさせて、(きんごく)せられにけり。

(もととしの)(だいなごん)、(べつたう)の時になん(はべ)りける。

第百六十三段 ​

陰陽道で言う、陰暦九月の「太衝」は、「太」の字に点を打つべきか、打たぬべきか、専門家の間で論争になったことがある。盛親入道が言うには、「阿部吉平の直筆占い本の裏に書かれた記録が近衛家に残っています。そこには点が打ってありました」とのことだ。

原文

(たいしよう)の「太」の字、点打つ・打たずといふ事、(おんみやう)の(ともがら)、(さうろん)の事ありけり。(もりちか)(にふだう)申し(はべ)りしは、「(よしひら)が自筆の(せんもん)の裏に書かれたる(ぎよき)、(このゑくわんぱくどの)にあり。点打ちたるを書きたり」と申しき。

第百六十四段 ​

街中の人は、人と会えば少しの間も黙っていることができないらしい。必ず何かを話す。聞き耳を立てると、多くは与太話である。浮ついた話。他人の悪口。そんな与太話は、他人を陥れ、自分の品格を下げるだけでクソの足しにもならない。

そして、与太話は、心に悪影響を与えるのに気がついていないから、尚更たちが悪い。

原文

世の人(あひ)(あ)ふ時、(しばら)くも(もだ)する事なし。必ず言葉あり。その事を聞くに、多くは(むやく)の談なり。(せけん)の(ふせつ)、人の(ぜひ)、自他のために、(しつ)多く、(とく)少し。

これを語る時、互ひの心に、(むやく)の事なりといふ事を知らず。

第百六十五段 ​

東京の田舎者が京都の人にまみれたり、京都の人が関東の片田舎で立身出世したり、所属している寺や本山を飛び出した天台宗・真言宗の僧侶が、自分のテリトリーではない世界で、俗世にまみれているのは、みっともないだけだ。

原文

(あづま)の人の、(みやこ)の人に(まじ)はり、都の人の、吾妻に行きて身を立て、また、本寺・本山を離れぬる、(けんみつ)の僧、すべて、我が俗にあらずして人に(まじ)はれる、見ぐるし。

第百六十六段 ​

世間の営みを見ると、ある晴れた春の日に雪だるまを作り、金銀パールで飾って、安置する堂を建てるようなものだ。堂の完成を待って、無事に安置できるだろうか。今、生きていると思っても、足下から溶ける雪のような命である。それでも、人は努力が報われることを期待しているようだ。

原文

人間の、(いとな)み(あ)へるわざを見るに、春の日に(ゆきほとけ)を作りて、そのために金銀・珠玉の飾りを(いとな)み、堂を建てんとするに似たり。その(かま)へを待ちて、よく(あんち)してんや。人の命ありと見るほども、(した)より消ゆること雪の如くなるうちに、(いとな)み(ま)つこと(はなは)だ多し。

第百六十七段 ​

ある専門家が、違う分野の宴会に参加すると、「もし、これが自分の専門だったら、こうやって大人しくしていることも無かっただろう」と悔しがり、勘違いすることがよくある。何ともせこい心構えだ。知らないことが羨ましかったら、「羨ましい。勉強しておけば良かった」と、素直に言えばいい。自分の知恵を使って誰かと競うのは、角を持つ獣が角を突き出し、牙のある獣が牙をむき出すのと一緒である。

人間は、自分の能力を自慢せず、競わないのを美徳とする。人より優れた能力は、欠点なのだ。家柄が良く、知能指数が高く、血筋が良く、「自分は選ばれた人間だ」と思っている人は、たとえ言葉にしなくても嫌なオーラを無意識に発散させている。改心して、この奢りを忘れるがよい。端から見ると馬鹿にも見え、世間から陰口を叩かれ、ピンチを招くのが、この図々しい気持ちなのである。

真のプロフェッショナルは、自分の欠点を正確に知っているから、いつも向上心が満たされず、背中を丸めているのだ。

原文

(いちだう)に(たづさ)はる人、あらぬ道の(むしろ)に(のぞ)みて、「あはれ、我が道ならましかば、かくよそに見(はべ)らじものを」と言ひ、心にも思へる事、(つね)のことなれど、よに(わろ)く(おぼ)ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし。などか習はざりけん」と言ひてありなん。我が智を取り出でて人に争ふは、(つの)ある物の、角を傾け、(きば)ある物の、牙を(か)み(い)だす(たぐひ)なり。

人としては、善に伐らず、物と(あらそ)はざるを徳とす。他に(まさ)ることのあるは、大きなる(しつ)なり。(しな)の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の(ほま)れにても、人に(まさ)れりと思へる人は、たとひ言葉に(い)でてこそ言はねども、内心にそこばくの咎あり。慎みて、これを忘るべし。痴にも見え、人にも言ひ(け)たれ、(わさはひ)をも招くは、たゞ、この(まんしん)なり。

一道にもまことに(ちやう)じぬる人は、自ら、明らかにその非を知る(ゆゑ)に、志常に(み)たずして、(つひ)に、物に(ほこ)る事なし。

第百六十八段 ​

一芸に秀でた老人がいて、「この人が死んだら、この事を誰に聞いたらよいものか」と、言われるまでになれば、年寄り冥利に尽き、生きてきた甲斐もある。しかし、才能を持て余し続けたとしたら、一生を芸に費やしたようで、みみっちくも感じる。隠居して「呆けてしまった」と、とぼけていればよい。

おおよそ、詳しく知る事でも、ベラベラと言い散らせば小者にしか見えず、時には間違えることもあるだろう。「詳しくは知らないのです」とか何とか謙虚に言っておけば本物らしく、その道のオーソリティにも思われるはずだ。ところが、何も知らないくせに、得意顔で出鱈目を話す人もいる。老人が言うことだけに誰も反撃できず、聞く人が、「嘘をつけ」と思いながらも耐えているのには、恐怖すら覚える。

原文

年老いたる人の、一事すぐれたる(ざえ)のありて、「この人の後には、(たれ)にか問はん」など言はるゝは、(おい)の(かたうど)にて、生けるも徒らならず。さはあれど、それも廃れたる所のなきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙く見ゆ。「今は忘れにけり」と言ひてありなん。

大方は、知りたりとも、すゞろに言ひ散らすは、さばかりの(ざえ)にはあらぬにやと聞え、おのづから(あやま)りもありぬべし。「さだかにも(わきま)へ知らず」など言ひたるは、なほ、まことに、道の(あるじ)とも覚えぬべし。まして、知らぬ事、したり顔に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、「さもあらず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。

第百六十九段 ​

「何々のしきたり、という言葉は、後嵯峨天皇の時代までは言わなかった。最近派生した単語のようだ」と、ある人が言っていた。しかし、建礼門院の右京大夫が後鳥羽天皇の即位の後、再び宮仕えして、「世の中のしきたりは何も変わっていない」と書いていた。

原文

「(なにごと)の(しき)といふ事は、(ごさが)の(みよ)までは言はざりけるを、近きほどより言ふ(ことば)なり」と人の申し(はべ)りしに、(けんれいもんゐん)の(うきやうのだいぶ)、(ごとばゐん)の(みくらゐ)の(のち)、また(うち)(ず)みしたる事を言ふに、「世の式も変りたる事はなきにも」と書きたり。

第百七十段 ​

たいした用事もなく人の所へ行くのはよくない。用事があったとしても長居は禁物だ。とっとと帰ろう。ずるずる居るのは鬱陶しい。

人が対面すれば自然と会話が多くなり疲れる。落ち着かないまま、全てを後回しにして、互いに無駄な時間を過ごす羽目になる。内心「早く帰れ」と思いながら客に接するのも良くない。嫌なら嫌と、はっきり言えばいいのである。いつまでも向かい合っていたい心の友が、何となく、「しばらく、今日はゆっくりしよう」と言うのは、この限りではない。阮籍が、気に食わない客を三白眼で睨み、嬉しい客を青い目で見つめたと言う話も、もっともなことだ。

特に用事が無い人が来て、何となく話して帰るのは、とても良い。手紙でも、「長いことご無沙汰しておりました」とだけ書いてあれば、それで喜ばしい。

原文

さしたる事なくて人のがり(ゆ)くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、その事果てなば、(と)く帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。

人と(むか)ひたれば、(ことば)多く、身もくたびれ、心も(しづ)かならず、万の事障りて時を移す、(たが)ひのため(やく)なし。(いと)はしげに言はんもわろし。心づきなき事あらん折は、なかなか、その由をも言ひてん。同じ心に(むか)はまほしく思はん人の、つれづれにて、「今(しば)し。(けふ)は心(しづ)かに」など言はんは、この限りにはあらざるべし。(げんせき)が青き(まなこ)、(たれ)にもあるべきことなり。

そのこととなきに、人の(きた)りて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。また、(ふみ)も、「久しく聞えさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。

第百七十一段 ​

神経衰弱をする人が、目の前のカードをなおざりにして、よそ見をし、他人の袖の影や膝の下を見渡していると、目の前のカードを取られてしまう。上手な人は、他人の近くを無理矢理に取るように見えず、近くのカードばかり取っているようだが、結局、多くのカードを取る。ビリヤードでも台のカドに球を置いて、一番遠くの球をめがけて突いたら空振りだ。自分の手元に注意して、近くにある球へ筋道を定めれば、ナインボールもポケットに落ちる。

全ての事は、外側に向かって求めると駄目になる。ただ、身の回りを固めるだけでよい。清献公の言葉にも、「今の瞬間を最善に過ごし、未来のことを人に聞くな」とある。政治も同じ事だ。政府が、政治を疎かにし、軽はずみな態度で、身勝手で、堕落していたら、地方は必ず反逆に出る。そうなってから緊急対策を練っても手遅れだ。「自堕落な生活をし、自ら進んで病気になってから、神に病気を治してくれと願うのは、バカでしかない」と医学書にも書いてある。目の前の人の苦しみを取り除き、餓えを満たし、正しく導けば、その教えが広がって、少しずつ世界を変えるムーブメントになっていくのを知らないのだ。禹は、苗族を滅ぼそうとしたが失敗した。その後、軍隊を引き上げて自国を良く治めたから、自然と苗族も見習い、感化されたのだろう。

原文

貝を(おほ)ふ人の、我が前なるをば措きて、余所を見渡して、人の(そで)のかげ、(ひざ)の下まで目を配る(ま)に、前なるをば人に覆はれぬ。よく覆ふ人は、余所までわりなく取るとは見えずして、近きばかり覆ふやうなれど、多く覆ふなり。(ごばん)の(すみ)に石を立てて(はじ)くに、向ひなる石を目守りて(はじ)くは、(あた)らず、我が手許をよく見て、こゝなる(ひじりめ)を(すぐ)に(はじ)けば、立てたる石、必ず(あた)る。

(よろづ)の事、(ほか)に向きて求むべからず。たゞ、こゝもとを正しくすべし。(せいけんこう)が言葉に、「(かうじ)を(ぎやう)じて、(ぜんてい)を問ふことなかれ」と言へり。世を保たん道も、かくや(はべ)らん。内を慎まず、軽く、ほしきまゝにして、濫りなれば、遠き国必ず(そむ)く時、初めて(はかりごと)を求む。「風に当り、(しつ)に(ふ)して、病を(しんれい)に(うた)ふるは、(おろ)かなる人なり」と医書に言へるが如し。目の前なる人の(うれ)へを(や)め、恵みを施し、道を正しくせば、その(くわ)遠く流れん事を知らざるなり。(う)の行きて(さんべう)を征せしも、(いくさ)を(かへ)して徳を敷くには及かざりき。

第百七十二段 ​

若者は血の気が多く、心がモヤモヤしていて、何にでも発情する。危険な遊びを好み、いつ壊れてもおかしくないのは、転がっていく卵のようだ。綺麗な姉ちゃんに狂って、貯金を使い果たしたかと思えば、それも捨て、托鉢の真似事などをしだす。有り余った体力の捌け口に喧嘩ばかりして、プライドだけは高く、羨んだり、好んだり、気まぐれで、浮気ばかりしている。そして、性愛に溺れ、人情に脆い。好き勝手に人生を歩み、犬死にした英雄の伝説に憧れて、自分もギリギリの人生を送りたいと思うのだが、結局は、世の末まで恥ずべき汚点を残す。このように進路を誤るのは、若気の至りである。

一方、老人は、やる気がなく、気持ちも淡泊で細かいことを気にせず、いちいち動揺しない。心が平坦だから、意味の無い事もしない。健康に気を遣い、病院が大好きで、面倒な事に関わらないように注意している。年寄りの知恵が若造に秀でているのは、若造の見てくれが老人よりマシなのと同じである。

原文

若き時は、(けつき)(うち)に余り、心、物に動きて、情欲多し。身を(あやぶ)めて、(くだ)け(やす)き事、(たま)を走らしむるに似たり。(びれい)を好みて宝を(つひや)し、これを捨てて(こけ)の(たもと)に(やつ)れ、勇める心盛りにして、物と争ひ、心に恥ぢ羨み、好む所日々に定まらず、色に耽り、情にめで、行ひを潔くして、(ももとせ)の身を誤り、命を失へる例願はしくして、身の(また)く、久しからん事をば思はず、(す)ける(かた)に心ひきて、永き世語りともなる。身を(あやま)つ事は、若き時のしわざなり。

老いぬる人は、(せいしん)(おとろ)へ、(あは)く(おろそ)かにして、感じ動く所なし。心(おのづか)ら静かなれば、(むやく)のわざを為さず、身を助けて(うれ)へなく、人の(わづら)ひなからん事を思ふ。老いて、智の、若きにまされる事、若くして、かたちの、老いたるにまされるが如し。

第百七十三段 ​

小野小町の生涯は、極めて謎である。没落した姿は『玉造小町壮衰書』という文献に見られる。この文献は三善清行の手によるという説もあるが、弘法大師の著作リストにも記されている。大師は西暦八百三十五年に他界した。小町が男どもを夢中にさせたのは、その後の時代の出来事だ。謎は深まるばかりである。

原文

(をののこまち)が事、(きは)めて(さだ)かならず。衰へたる様は、「(たまつくり)」と言ふ(ふみ)に見えたり。この文、(きよゆき)が書けりといふ説あれど、(かうやのたいし)の(ごさく)の目録に(い)れり。大師は(じようわ)の初めにかくれ給へり。小町が盛りなる事、その後の事にや。なほおぼつかなし。

第百七十四段 ​

スズメ狩りに向いている犬をキジ狩りに使うと、再びスズメ狩りに使えなくなると言う。大物を知ってしまうと小物に目もくれなくなるという摂理は、もっともだ。世間には、やることが沢山あるが、仏の道に身をゆだねることよりも心が満たされることはない。これは、一生で一番大切なことである。いったん仏の道に足を踏み入れたら、この道を歩く人は、何もかも捨てることができ、何かを始めることもない。どんな阿呆だとしても、賢いワンちゃんの志に劣ることがあろうか。

原文

(こたか)によき犬、(おほたか)に使ひぬれば、小鷹にわろくなるといふ。大に(つ)き小を捨つる(ことわり)、まことにしかなり。(にんじ)多かる中に、道を楽しぶより(きみ)深きはなし。これ、(まこと)の大事なり。一度、道を聞きて、これに志さん人、いづれのわざか(すた)れざらん、何事をか営まん。愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らんや。

第百七十五段 ​

世間には、理解に苦しむことが多い。何かある度に、「まずは一杯」と、無理に酒を飲ませて喜ぶ風習は、どういう事か理解できない。飲まされる側は、嫌そうにしかめ面をし、人目を見計らって盃の中身を捨てて逃げる予定だ。それを捕まえて引き止め、むやみに飲ませると、育ちの良い人でも、たちまち乱暴者に変身して暴れ出す。健康な人でも、目の前で瀕死の重体になり、前後不覚に倒れる。これが祝いの席だったら大惨事だ。翌日は二日酔いで、食欲が無くなり、うめき声を上げながら寝込む。生きた心地もせず、記憶は断片的に無い。大切な予定も全てキャンセルし、生活にも支障をきたす。こんなに非道い目に遭わせるのは、思いやりが無く、無礼でもある。辛い目に遭わされた本人も、恨みと妬みでいっぱいだろう。もし、これが余所の国の風習で、人づてに聞いたとしたら、異文化の不気味さに驚くに違いない。

他人事だとしても、酔っぱらいは見ていて嫌になる。用心深く、真面目そうな人でも、酔えば、馬鹿のように笑い出し、大声で喋り散らす。カツラを乱し、ネクタイを弛め、靴下を脱いでスネ毛を風にそよがせる。普段の本人からは想像できない醜態だ。女が酔えば、前髪をバサリとかき上げ、恥じらいもなく大口で笑い、男の盃を持つ手にまとわりつく。もっと非道くなると、男に食べ物をくわえさせ、自分もそれを食うのだから、汚らわしい。そして、声が潰れるまで歌い、踊るうちに、ヨボヨボな坊主が呼び出され、黒くて汚らしい肩をはだけて、ヨロヨロと身体をよじって踊る。この見るに堪えない余興を喜ぶ人達が、鬱陶しく憎たらしい。それから、自分がいかに人格者であるか、端から聞きけば失笑も辞さない話を演説し、仕舞いには泣き出す始末である。家来達は罵倒し合い、小競り合いを始め出す。恐ろしさに呆然となる。酔えば恥を晒し、迷惑をかける。挙げ句の果てには、いけないものを取ろうとして窓から落ちたり、車やプラットフォームから転げ落ちて大怪我をする。乗り物に乗らない人は、大通りを千鳥足で歩き、塀や門の下に吐瀉物を撒き散らす。年を取った坊さんがヨレヨレの袈裟を身にまとい、子供に意味不明な話をしてよろめく姿は、悲惨でもある。こんな涙ぐましい行為が死後の世界に役立つのであれば仕方ない。しかし、この世の酒は、事故を招き、財産を奪い、身体を貪るのである。「酒は百薬の長」と言うが、多くの病気は酒が原因だ。また、「酔うと嫌なことを忘れる」と言うが、ただ単に悪酔いしているだけにも見られる。酒は脳味噌を溶かし、気化したアルコールは業火となる。邪悪な心が広がって、法を犯し、死後には地獄に堕ちる。「酒を手にして人に飲ませれば、ミミズやムカデに五百度生まれ変わる」と、仏は説いている。

以上、酒を飲むとろくな事がないのだが、やっぱり酒を捨てるのは、もったいない。月見酒、雪見酒、花見酒。思う存分語り合って盃をやりとりするのは、至高の喜びだ。何もすることがない日に、友が現れ一席を設けるのも楽しみの一つだ。馴れ馴れしくできない人が簾の向こうから、果物と一緒にお酒を優雅に振る舞ってくれたとしたら感激物だ。冬の狭い場所で、火を囲み差し向かいで熱燗をやるのも一興だ。旅先で「何かつまむ物があったら」と言いながら飲むのも、さっぱりしている。無礼講で、「もっと飲みなさい。お酒が減っていませんね」と言ってくれるのは、ありがたい。気になる人が酒好きで飲み明かせるのは、楽しい。

ともあれ、酒飲みに罪はない。ヘベレケに酔っぱらって野営した朝、家主が引き戸を開けると、寝ぼけ眼で飛び起きる。髪を乱したまま、着衣を正す間もなく逃げる。裾をまくった後ろ姿や、細い足のスネ毛など、見ていて楽しく、いかにも酔っぱらいだ。

原文

世には、心(え)ぬ事の多きなり。ともある毎には、まづ、酒を(すす)めて、(し)ひ飲ませたるを(きよう)とする事、如何なる故とも心得ず。飲む人の、顔いと(た)へ難げに(まゆ)を(ひそ)め、人目を測りて捨てんとし、(にげ)げんとするを、(とら)へて引き(とど)めて、すゞろに飲ませつれば、うるはしき人も、忽ちに(きやうじん)となりてをこがましく、(そくさい)なる人も、目の前に大事の(びやうじや)となりて、前後も(し)らず(たふ)れ伏す。(いは)ふべき日などは、あさましかりぬべし。(あ)くる日まで(かしらいた)く、物(く)はず、によひ(ふ)し、(しやう)を(へだ)てたるやうにして、(きのふ)の事(おぼ)えず、(おほやけ)・(わたくし)の大事を欠きて、(わづら)ひとなる。人をしてかゝる目を見する事、慈悲もなく、礼儀にも(そむ)けり。かく(から)き目に(あ)ひたらん人、ねたく、(くちを)しと思はざらんや。人の国にかゝる習ひあンなりと、これらになき(ひとごと)にて伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬべし。

人の上にて見たるだに、心(う)し。思ひ入りたるさまに、心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひのゝしり、(ことば)多く、(えぼし)歪み、(ひも)(はず)し、(はぎ)高く掲げて、用意なき(けしき)、日来の人とも覚えず。女は、(ひたひがみ)(は)れらかに掻きやり、まばゆからず、顔うちさゝげてうち笑ひ、(さかづき)持てる手に取り付き、よからぬ人は、(さかな)取りて、口にさし当て、自らも食ひたる、(さま)あし。声の限り(い)して、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し(い)されて、黒く穢き身を肩抜ぎて、目も当てられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましく、憎し。(ある)はまた、我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、或は(ゑ)ひ泣きし、(しも)ざまの人は、(の)り合ひ、(いさか)ひて、あさましく、恐ろし。恥ぢがましく、心憂き事のみありて、果は、許さぬ物ども押し取りて、(えん)より落ち、馬・車より落ちて、過しつ。物にも乗らぬ際は、(おほち)をよろぼひ行きて、築泥・門の下などに向きて、えも言はぬ事どもし散らし、年老い、(けさ)掛けたる(ほふし)の、(こわらは)の(かた)を(おさ)へて、聞えぬ事ども言ひつゝよろめきたる、いとかはゆし。かゝる事をしても、この世も(のち)の世も(やく)あるべきわざならば、いかゞはせん、この世には過ち多く、(たから)を失ひ、病をまうく。百薬の(ちよう)とはいへど、(よろづ)の病は酒よりこそ起れ。(うれ)へ忘るといへど、(ゑ)ひたる人ぞ、過ぎにし憂さをも思ひ(い)でて泣くめる。後の世は、人の智恵を失ひ、(ぜんこん)を焼くこと火の如くして、悪を増し、万の(かい)を破りて、地獄に堕つべし。「酒をとりて人に飲ませたる人、(ごひやくしやう)が間、手なき者に生る」とこそ、仏は説き給ふなれ。

かくうとましと思ふものなれど、おのづから、捨て難き折もあるべし。月の夜、雪の(あした)、花の本にても、心(のどか)に物語して、(さかづき)(い)だしたる、万の興を添ふるわざなり。つれづれなる日、思ひの(ほか)に友の(い)り来て、とり(おこな)ひたるも、心慰む。馴れ馴れしからぬあたりの(みす)の(うち)より、御(くだもの)・(みき)など、よきやうなる気はひしてさし(い)だされたる、いとよし。冬、(せば)き所にて、火にて物(い)りなどして、(へだ)てなきどちさし向ひて、多く飲みたる、いとをかし。旅の(かりや)、野山などにて、「(みさかな)何がな」など言ひて、芝の上にて飲みたるも、をかし。いたう痛む人の、(し)ひられて少し飲みたるも、いとよし。よき人の、とり分きて、「今ひとつ。(うへ)少し」などのたまはせたるも、うれし。近づかまほしき人の、(じやうご)にて、ひしひしと(な)れぬる、またうれし。

さは言へど、(じやうご)は、をかしく、罪許さるゝ者なり。(ゑ)ひくたびれて(あさい)したる所を、(あるじ)の引き(あ)けたるに、(まど)ひて、惚れたる顔ながら、細き(もとどり)差し(い)だし、物も着あへず(いだ)き(も)ち、ひきしろひて(に)ぐる、(かいとり)姿の後ろ手、毛(お)ひたる(ほそはぎ)のほど、をかしく、つきづきし。

第百七十六段 ​

清涼殿の黒戸御所は、光孝天皇が即位した後、かって一般人だった時の自炊生活を忘れないように、いつでも炊事ができるようにした場所である。薪で煤けていたので、黒戸御所と呼ぶのである。

原文

(くろど)は、(こまつのみかど)、位に即かせ給ひて、昔、たゞ(ひと)にておはしましし時、まさな事せさせ給ひしを忘れ給はで、常に(いとな)ませ給ひける(ま)なり。(みかまき)に(すす)けたれば、黒戸と言ふとぞ。

第百七十七段 ​

宗尊親王の御所で蹴鞠があったが、雨上がりで、庭が乾いていなかった。一同が、「どうしようか」と頭を抱えていると、佐々木何とかという坊主が、大量のおが屑をトラックに積んで持ってきた。庭一面に敷き詰めると、泥濘が気にならなくなった。人々は「こんな時のためにおが屑を用意していたのだから、素晴らしい心がけだ」と感心し合った。

この話を吉田中納言が聞いて、「乾いた砂の用意は無かったのか?」と質問したので、佐々木という坊主の栄光も失墜した。素晴らしい心がけと絶賛されたおが屑も、乾いた砂に比べてみれば、汚らしく、敷き詰められた庭の光景も異様である。屋外イベントの責任者が、乾いた砂の準備をするのは常識なのだ。

原文

(かまくらのちゆうしよわう)にて(おんまり)ありけるに、雨(ふ)りて(のち)、(いま)だ庭の(かわ)かざりければ、いかゞせんと(さた)ありけるに、(ささきの)(おきのにふだう)、(のこぎり)の(くづ)を車に積みて、多く奉りたりければ、(ひとには)に(しか)かれて、(でいど)の(わづら)ひなかりけり。「取り(た)めけん用意、有難し」と、人感じ合へりけり。

この事を或者の語り(い)でたりしに、(よしだのちゆうなごん)の、「乾き(すなご)の用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、(は)かしかりき。いみじと思ひける(のこぎり)の(くづ)、(いや)しく、(ことやう)の事なり。庭の(ぎ)を(ふぎやう)する人、乾き砂子を(まう)くるは、(こしつ)なりとぞ。

第百七十八段 ​

あるところのサムライ達が、女官の宮殿に神楽を見に行った。後日、その様子を人に話した。「宝剣を、誰彼が持っていた」と話しているのを、女官が聞いて、御簾の中から、「天皇が別宅に行く際には、御座所にある剣を持って行くのだ」と小声で言った。慎みのある教養だ。その女官は長い間、天皇に使えた人であった。

原文

(ある)所の(さぶらひ)ども、(ないしどころ)の(みかぐら)を見て、人に語るとて、「宝剣をばその人ぞ持ち給ひつる」など言ふを聞きて、(うち)なる女房の中に、「別殿の(ぎやうがう)には、(ひのござ)の(ぎよけん)にてこそあれ」と忍びやかに言ひたりし、心にくかりき。その人、古き(ないしのすけ)なりけるとかや。

第百七十九段 ​

中国に留学した道眼和尚は、仏教聖典を持ち帰った。六波羅の側にあるヤケノという場所に祭壇を造って保管した。特に座禅の集中講義を行ったので、その寺を「ナーランダ」と名付けた。

その上人が、「インドのナーランダの門は北向きだと、大江匡房の説が伝えられている。しかし、玄奘や法顕のルポには書かれていない。その他にも書いてある物を読んだことがない。大江匡房は、何を根拠にしたのだろうか。信用ならん。中国にある西明寺の門は、もちろん北向きだ」と言っていた。

原文

(につそう)の(しやもん)、(だうげんしやうにん)、(いつさいきやう)を(ぢらい)して、(ろくはら)のあたり、やけ野といふ所に(あんぢ)して、(こと)に(しゆれうごんぎやう)を講じて、(ならんだじ)と(かう)す。

その(ひじり)の申されしは、那蘭陀寺は、大門北向きなりと、(がうそち)の説として言ひ伝えたれど、(さいゐきでん)・(ほつけんでん)などにも見えず、更に所見なし。江帥は如何なる才学にてか申されけん、おぼつかなし。(たうど)の(さいみようじ)は、北向き(もちろん)なり」と申しき。

第百八十段 ​

左義長は、正月に毬を打った棒を宮中の真言院から神泉苑に持って行き焼くことである。「修行が成功したよ」と囃すのは、神泉苑にある池で弘法大師が雨乞いに成功したことを称えているのだ。

原文

さぎちやうは、正月に打ちたる(ぎちやう)を、(しんごんゐん)より(しんぜんゑん)へ出して、焼き上ぐるなり。「(ほふじやうじゆ)の池にこそ」と(はや)すは、神泉苑の池をいふなり。

第百八十一段 ​

「『ふれふれこ雪、たんばのこ雪』という童謡の歌詞がある。米を挽いてふるいにかけた粉が、雪に似ているから、粉雪と言うのだ。『丹波のこ雪』ではなく、『貯まれこ雪』と歌うのが正しいが、間違って『丹波の』と歌っているのだ。その後に『垣根や木の枝に』と続けて歌うのである」と、物知りな人が言っていた。

昔から、こう歌われていたようだ。鳥羽院が幼かった頃、雪が降ると歌っていたと『讃岐典侍日記』にも書いてある。

原文

「『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』といふ事、(よね)(つ)き(ふる)ひたるに似たれば、(こゆき)といふ。『たンまれ粉雪』と言ふべきを、(あやま)りて『たんばの』とは言ふなり。『(かき)や木の(また)に』と(うた)ふべし」と、(ある)物知り申しき。

昔より言ひける事にや。(とばゐん)幼くおはしまして、雪の降るにかく仰せられける由、(さぬきのすけ)が(にき)に書きたり。

第百八十二段 ​

藤原隆親が、鮭トバを天皇の食卓に出したことがある。「このような得体の知れない物を陛下に食べさせるつもりか」と、ケチをつける人がいた。隆親は、「鮭という魚を、差し上げてはならないのであれば問題でもあるが、鮭を乾燥させて何が悪いのだ。鮎も天日干しにして差し上げるではないか」と反論したそうだ。

原文

(しでうのだいなごん)(たかちかのきやう)、(からざけ)と言ふものを(くご)に参らせられたりけるを、「かくあやしき物、(まゐ)る(やう)あらじ」と人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ(うを)、参らぬ事にてあらんにこそあれ、鮭の(しらぼ)し、(なでふ)事かあらん。(あゆ)の白乾しは参らぬかは」と申されけり。

第百八十三段 ​

人に突撃する牛は角を切り、人に噛みつく馬は耳を切り取って目印にする。その目印をつけないでおいて、人に怪我をさせたら飼い主の罪になる。人に噛み付く犬も飼ってはいけない。これは全て犯罪になる。法律でも禁止されているのだ。

原文

人(つ)く牛をば(つの)を(き)り、人(く)ふ馬をば耳を(き)りて、その(しるし)とす。標を附けずして人を(やぶ)らせぬるは、(ぬし)の(とが)なり。人喰ふ犬をば養ひ飼ふべからず。これ皆、咎あり。律の(いましめ)なり。

第百八十四段 ​

北条時頼の母は、松下禅尼と言った。ある日、息子の時頼を招待することがあった。古くなった障子の破れている所を、僧尼が自ら小刀をクルクル回して切り貼りしていた。それを見た兄の義景が「私に任せなさい。某という男がいるので、奴に貼らせましょう。手先が器用な男なのです」と言った。「その男だって、私の手際には敵わないでしょう」と、僧尼は、障子を一マスずつ張り替え続けた。義景は、「ならば全部張り替えた方が、よっぽど楽でしょう。このままだとマダラ模様で見苦しい」と付け加えた。僧尼は、「後で綺麗に張り替えるつもりですが、今日だけは、わざとこのようにするのです。物は壊れた部分を修繕して使うのだと、若い時頼に注意するのです」と答えた。なんと殊勝なことであろう。

政治の道は倹約が基本だ。禅尼は、女性ではあるが、聖人と同じ心を持つ人である。天下を統治するまでの子を持つ親は、一般人とは違う。

原文

(さがみのかみ)(ときより)の母は、(まつしたのぜんに)とぞ申しける。(かみ)を(い)れ申さるゝ事ありけるに、煤けたる(あか)り(さうじ)の破ればかりを、禅尼、手づから、(こがたな)して切り廻しつゝ張られければ、(せうと)の(じようのすけ)(よしかげ)、その日のけいめいして候ひけるが、「給はりて、(なにがし)(をのこ)に(は)らせ候はん。さやうの事に心(え)たる者に候ふ」と申されければ、「その男、尼が細工によも勝り侍らじ」とて、なほ、(ひとま)づゝ(は)られけるを、義景、「皆を張り替へ候はんは、遥かにたやすく候ふべし。斑らに候ふも見苦しくや」と重ねて申されければ、「尼も、(のち)は、さはさはと張り替へんと思へども、今日ばかりは、わざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを(しゆり)して用ゐる事ぞと、若き人に見習はせて、心づけんためなり」と申されける、いと有難かりけり。

世を(をさ)むる道、倹約を(もと)とす。(によしやう)なれども、聖人の心に(かよ)へり。天下を(たも)つほどの人を子にて(も)たれける、まことに、たゞ人にはあらざりけるとぞ。

第百八十五段 ​

安達泰盛は無双の名ジョッキーだった。厩舎から引かれる馬が障害物をひらりと飛び越えるのを見ると、「この馬は気性が荒い」と言って、鞍を他の馬に載せ換えた。また、脚を伸ばして障害物につまずく馬がいると、「この馬は運動神経が鈍い。事故が起こる」と言い、乗ることはなかった。

乗馬を知らない人は、ここまで用心しないだろう。

原文

(じやうのむつのかみ)(やすもり)は、(さう)なき馬乗りなりけり。馬を引き出させけるに、足を(そろ)へて(しきみ)をゆらりと越ゆるを見ては、「これは勇める馬なり」とて、(くら)を置き換へさせけり。また、足を伸べて閾に(け)当てぬれば、「これは(にぶ)くして、(あやま)ちあるべし」とて、乗らざりけり。

道を知らざらん人、かばかり恐れなんや。

第百八十六段 ​

吉田と名乗るジョッキーが、「馬はどれも人間の手に余る。人間の力では敵わないと知っておくべきだ。始めに、これから乗る馬をよく観察し、強い部分と弱い部分を知る必要がある。次に轡や鞍などの馬具に心配な点があって、気になるようなら、その馬を走らせてはならない。この用心を忘れない人をジョッキーと呼ぶ。重要な秘訣である」と言っていた。

原文

吉田と申す馬乗りの申し侍りしは、「馬毎にこはきものなり。人の力(あらそ)ふべからずと知るべし。乗るべき馬をば、先づよく見て、強き所、弱き所を知るべし。次に、(くつわ)・(くら)の(ぐ)に危き事やあると見て、心に(かか)る事あらば、その馬を(は)すべからず。この用意を忘れざるを馬乗りとは申すなり。これ、(ひさう)の事なり」と申しき。

第百八十七段 ​

プロフェッショナルは、例えヘッポコでも、器用なアマチュアと比べれば、絶対に優れている。油断せず、万全に備え、対象を軽く見ることはない。我流とは違うのだ。

アートやビジネスに限らず、日常生活や気配りは、不器用でも控えめなら問題ない。反対に、器用でも、気ままだと、失敗を招く。

原文

(よろづ)の道の人、たとひ(ふかん)なりといへども、(かんのう)の(ひか)の人に並ぶ時、必ず勝る事は、(たゆ)みなく慎みて(かるがる)しくせぬと、偏へに自由なるとの等しからぬなり。

芸能・(しよさ)のみにあらず、(おほかた)の(ふるまひ)・心(づか)ひも、(おろ)かにして慎めるは、(とく)の(もと)なり。(たく)みにして欲しきまゝなるは、失の(もと)なり。

第百八十八段 ​

ある人が息子を坊さんにさせようと思い、「勉強をして世を理解し、有り難い話の語り部にでもなって、ご飯を食べなさい」と言った。息子は言われたとおり、有り難い話の語り部になるべく、最初に乗馬スクールへ通った。「車や運転手を持つことができない身分で、講演を依頼され、馬で迎えが来た時に、尻が桃のようにフラフラしていたら恥かしい」と思ったからだ。次に「講演の二次会で、酒を勧められた際に、坊主が何の芸もできなかったら、高い金を払っているパトロンも情けない気持ちになるだろう」と思って、カラオケ教室に通った。この二つの芸が熟練の域に達すると、もっと極めたくなり、ますます修行に勤しんだ。そのうちに、有り難い話の勉強をする時間もなくなって、定年を迎えることになった。

この坊さんだけでなく、世の中の人は、だいたいこんなものである。若い頃は様々な分野に精力旺盛で、「立派になって未来を切り開き、芸達者でもありたい」と、輝かしいビジョンを描いている。けれども、理想を掲げるばかりで、実際は目先の事を片付けるのに精一杯になり、時間だけは容赦なく過ぎていく。結局、何もできないまま、気がついた頃には老人になっていたりする。何かの名人にもなれず、思い描いた未来は瓦解し、後悔をしても取り返しようもない年齢だ。衰弱とは、坂道を滑り降りる自転車と同じである。

だから、一生のうちにすべきことを見つけ、よく考え、一番大切だと思うことを決め、他は全部捨ててしまおう。一つに没頭するのだ。一日、一時間の間に、仕事はいくらでも増えてくる。少しでも役立ちそうなものにだけ手を付けて、他は捨てるしかない。大事なことだけ急いでやるに越したことはない。どれもこれもと溜め込めば、八方塞がりになるだけだ。

例えば、オセロをする人が、一手でも有利になるよう、相手の先手を取り、利益の少ない場所は捨て、大きな利益を得るのと同じ事だ。三つのコマを捨て、十のコマを増やすのは簡単なことである。しかし、十のコマを捨てて十一の利益を拾うことは至難の業だ。一コマでも有利な場所に力を注がなくてはならないのだが、十コマまで増えてしまうと惜しく感じて、もっと多く増やせる場所へと切り替えられなくなる。「これも捨てないで、あれも取ろう」などと思っているうちに、あれもこれも無くなってしまうのが世の常だ。

京都の住人が、東山に急用があり、すでに到着していたとしても、西山に行った方が利益があると気がついたら、さっさと門を出て西山に行くべきだ。「折角ここまで来たのだから、用事を済ませ、あれを言っておこう。日取りも決まってないから、西山のことは帰ってから考えよう」と考えるから、一時の面倒が、一生の怠惰となるのだ。しっかり用心すべし。

一つの事を追及しようと思ったら、他が駄目でも悩む必要は無い。他人に馬鹿にされても気にするな。全てを犠牲にしないと、一つの事をやり遂げられないのだ。ある集会で、「ますほの薄・まそほの薄というのがある。渡辺橋に住む聖人が、このことをよく知っている」と言う話題になった。その場にいた登蓮法師が聞いて、雨が降るにも関わらず、「雨合羽や傘はありませんか? 貸して下さい。その薄のことを聞くために渡辺橋の聖人の所へ行ってきます」と言った。「随分せっかちですな。雨が止んでからにすればよいではないか」と、皆で説得したところ、登蓮法師は、「とんでもないことを言いなさるな。人の命は雨上がりを待たない。私が死に、聖人が亡くなったら、薄のことを聞けなくなってしまう」と言ったきり、一目散に飛び出して、薄の話を伝授された。あり得ないぐらいに貴重な話だ。「出前迅速、商売繁盛」と『論語』にも書いてある。この薄の話を知りたいように、ある人の息子も、世を理解することだけを考えねばならなかったのだ。

原文

(ある)者、子を法師になして、「学問して(いんぐわ)の(ことわり)をも知り、(せつきやう)などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教のまゝに、説経師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。(こし)・車は持たぬ身の、(だうし)に(しやう)ぜられん時、馬など(むか)へにおこせたらんに、(ももじり)にて落ちなんは、心(う)かるべしと思ひけり。次に、仏事の(のち)、酒など(すす)むる事あらんに、法師の(むげ)に(のう)なきは、(だんな)すさまじく思ふべしとて、(はやうた)といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう(さかひ)に(い)りければ、いよいよよくしたく覚えて(たしな)みけるほどに、説経習うべき隙なくて、年寄りにけり。

この法師のみにもあらず、(せけん)の人、なべて、この事あり。若きほどは、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも(じやう)じ、(のう)をも(つ)き、学問をもせんと、行末久しくあらます事ども心には懸けながら、世を(のどか)に思ひて打ち怠りつゝ、先づ、差し当りたる、目の前の事のみに紛れて、月日を送れば、事々(な)す事なくして、身は老いぬ。終に、物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、(く)ゆれども取り返さるゝ(よはひ)ならねば、走りて坂を下る(わ)の如くに衰へ行く。

されば、一生の中、むねとあらまほしからん事の中に、いづれか勝るとよく思ひ(くら)べて、第一の事を案じ定めて、その(ほか)は思ひ捨てて、(いちじ)を励むべし。一日の(うち)、一時の中にも、(あまた)の事の(きた)らん中に、少しも(やく)の勝らん事を営みて、その(ほか)をば打ち捨てて、大事を急ぐべきなり。(いづかた)をも捨てじと心に取り持ちては、一事も(な)るべからず。

例へば、(ご)を打つ人、(ひとて)も(いたづ)らにせず、人に先立ちて、小を捨て大に就くが如し。それにとりて、三つの石を捨てて、十の石に就くことは(やす)し。十を捨てて、十一に就くことは難し。一つなりとも勝らん(かた)へこそ就くべきを、十まで(な)りぬれば、惜しく覚えて、多く勝らぬ石には換へ難し。これをも捨てず、かれをも取らんと思ふ心に、かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。

京に住む人、急ぎて(ひがしやま)に用ありて、既に行き着きたりとも、(にしやま)に行きてその(やく)勝るべき事を思ひ得たらば、(かど)より帰りて西山へ行くべきなり。「此所まで来着きぬれば、この事をば先づ言ひてん。日を指さぬ事なれば、西山の事は帰りてまたこそ思ひ立ため」と思ふ故に、一時の(けだい)、即ち一生の懈怠となる。これを恐るべし。

一事を必ず(な)さんと思はば、他の事の破るゝをも傷むべからず、人の(あざけ)りをも(は)づべからず。万事に換へずしては、(いつ)の大事成るべからず。人の数多ありける中にて、或者、「ますほの(すすき)、まそほの薄など言ふ事あり。(わたのべ)の(ひじり)、この事を伝へ知りたり」と語りけるを、(とうれんほふし)、その座に(はべ)りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「(みの)・(かさ)やある。貸し給へ。かの(すすき)の事(なら)ひに、渡辺の(ひじり)のがり(たづ)ね(まか)らん」と言ひけるを、「余りに物騒がし。雨止みてこそ」と人の言ひければ、「(むげ)の事をも(おほ)せらるゝものかな。人の命は雨の晴れ(ま)をも待つものかは。我も死に、聖も(う)せなば、尋ね聞きてんや」とて、走り(い)でて行きつゝ、習ひ(はべ)りにけりと申し伝へたるこそ、ゆゝしく、有難う(おぼ)ゆれ。「(と)き(とき)は、(すなは)ち功あり」とぞ、論語と云ふ(ふみ)にも(はべ)るなる。この(すすき)をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の(いんねん)をぞ思ふべかりける。

第百八十九段 ​

今日はあれをやろうと思っても、思いがけない急用ができて、そのまま時間を費やしてしまう。待ち人は都合が悪く来ず、当てにしていなかった人が、ひょっこり顔を出したりする。期待通りに物事が運ばないと思っていたら、意外なことが成功したりする。「言うは易く行うは難し」だと思っていたら「案ずるより産むが易し」だったり、日々の移ろいとは予想不可能だ。一年単位でも同じであり、一生もまた同じである。

原文

今日はその事をなさんと思(おも)へど、あらぬ急(いそ)ぎ先づ出(い)で来(き)て紛れ暮し、待つ人は障りありて、頼(たの)めぬ人は来(きた)たり。頼みたる方(かた)の事は違(たが)ひて、思ひ寄らぬ道ばかりは叶ひぬ。煩はしかりつる事はことなくて、易かるべき事はいと心苦し。日々に過ぎ行くさま、予て思ひつるには似ず。一年(ひととせ)の中(うち)もかくの如し。一生の間もしかなり。

第百九十段 ​

男は妻を持ってはいけない。「いつでも一人住まいです」と聞けば清々しい。「誰々の婿になった」とか「何とかという女を連れ込んで同棲している」という話を聞けば、ひどく軽蔑の対象になる。「恋の病気を患って、たいしたことの無い女に夢中になっているのだろう」と思えば、男の品格も下がる。万が一、いい女だったとすれば、「猫可愛がりをして、神棚にでも祀っているのだろう」と思ってしまうものだ。ましてや家事を切り盛りする女は情けなく見えて仕方がない。子供ができてしまって可愛がる姿を想像すれば、うんざりする。男の死後、女が尼になって老け込むと、男の亡き後までも恥を晒す羽目になる。

どんな女でも、朝から晩まで一緒にいれば、気に入らなくなり、嫌になるだろう。女にしても、どっちつかずの状態で可哀想だ。だから、男女は別居して、時々通うのが良いのである。いつまでも心のときめきが持続するだろう。不意に男がやって来て泊まったりしたら、不思議な感じがするはずだ。

原文

(め)といふものこそ、(をのこ)の持つまじきものなれ。「いつも独り(ず)みにて」など聞くこそ、心にくけれ、「(たれ)がしが(むこ)に成りぬ」とも、また、「如何なる女を取り据ゑて、(あひ)住む」など聞きつれば、(むげ)に心(おと)りせらるゝわざなり。(こと)なる事なき女をよしと思ひ定めてこそ添ひゐたらめと、(いや)しくも推し測られ、よき女ならば、らうたくしてぞ、あが仏と守りゐたらむ。たとへば、さばかりにこそと覚えぬべし。まして、家の(うち)を(おこな)ひ(おさ)めたる女、いと(くちを)し。子など(い)で来て、かしづき愛したる、心(う)し。(おとこ)なくなりて後、尼になりて年(よ)りたるありさま、亡き(あと)まであさまし。

いかなる女なりとも、明(あけ)(そ)ひ見んには、いと心づきなく、(にく)かりなん。女のためも、(なかぞら)にこそならめ。よそながら時々(かよ)ひ住まんこそ、年月(へ)ても絶えぬ仲らひともならめ。あからさまに来て、(とま)り(ゐ)などせんは、珍らしかりぬべし。

第百九十一段 ​

「夜になると、暗くてよく見えない」などと言っている人は、馬鹿に違いない。様々な物の煌めき、飾り、色合いなどは、夜だから輝く。昼は簡単で地味な姿でも問題ない。だけど夜には、キラキラと華やかな服装がよく似合う。人の容姿も、夜灯りで一層美しくなる。話す声も暗闇から聞こえれば、その思いやりが身に染みてくる。香りや楽器の音も、夜になると際立ってくる。

どうでもよい夜更けに、行き交う人が清潔な姿をしているのは、この上もない。若い人は、いつ見られているか分からないのだから、特にくつろいでいる時などには、普段着と晴れ着の区別なく、身だしなみに気をつけよう。美男子が日が暮れてから髪を整え、美少女が夜更けに抜け出して、こっそりと洗面所の鏡の前で化粧を直すのは、素敵なことだ。

原文

「夜に(い)りて、物の(は)えなし」といふ人、いと口をし。(よろづ)のものの(きら)・飾り・色ふしも、夜のみこそめでたけれ。昼は、ことそぎ、およすけたる姿にてもありなん。夜は、きらゝかに、花やかなる(さうぞく)、いとよし。人の(けしき)も、夜の(ほかげ)ぞ、よきはよく、物言ひたる声も、暗くて聞きたる、用意ある、心にくし。匂ひも、ものの(ね)も、たゞ、夜ぞひときはめでたき。

さして(こと)なる事なき夜、うち(ふ)けて(まゐ)れる人の、清げなるさましたる、いとよし。若きどち、心止めて見る人は、時をも分かぬものならば、(こと)に、うち(と)けぬべき(をりふし)ぞ、(け)・(はれ)なくひきつくろはまほしき。よき男の、日暮れてゆするし、女も、(よふ)くる程に、すべりつゝ、鏡取りて、顔などつくろひて(い)づるこそ、をかしけれ。

第百九十二段 ​

神様や仏様のへ参拝は、誰もお参りしないような日の夜がよい。

原文

神・仏にも、人の(まう)でぬ日、夜(まゐ)りたる、よし。

第百九十三段 ​

知識の乏しい人が、他人を観察して、その人の知能の程度を分かったつもりでいたとしたら、全て見当違いである。

一般人で、碁しか取り柄の無い者が、碁が苦手な賢人を見つけ出し、「自分の才能には及ばない」と決めつけたり、各種の専門家が、自分の専門分野に詳しくないことを知り、「私は天才だ」と思い込むことは、どう考えても間違っている。経ばかり唱えている法師と、座禅ばかりしている法師が、お互いに牽制し合い、「私の修行の方が徳が深い」と思い合っているのは、どちらも正しくない。

自分とは関係ない世界にいる人と張り合うべきでなく、批判をしてはならない。

原文

くらき人の、人を(はか)りて、その(ち)を(し)れりと思はん、さらに当るべからず。

(つた)き人の、(ご)打つ事ばかりにさとく、巧みなるは、賢き人の、この芸におろかなるを見て、(おのれ)が智に及ばずと定めて、(よろづ)の道の(たくみ)、我が道を人の知らざるを見て、(おのれ)すぐれたりと思はん事、大きなる誤りなるべし。(もんじ)の法師、(あんじよう)の(ぜんじ)、(たが)ひに(はか)りて、(おのれ)に如かずと思へる、共に当らず。

(おのれ)が(きやうがい)にあらざるものをば、争ふべからず、(ぜひ)すべからず。

第百九十四段 ​

世界の道理を知る人が、人を見る目は、寸分の狂いもない。

例えば、ある嘘つきが出任せをでっち上げ、世に広め、人を騙そうとしたとする。ある人は、素直に真実だと思い、馬鹿正直に騙される。ある人は、洗脳までされて、話に尾鰭と背鰭をつけ、ますます面倒にする。ある人は、話を聞いても上の空。ある人は、少しおかしいと思って、信じるでもなく、信じないでもなく、曖昧にしておく。ある人は、あり得ない話だが、人の言うことだから、そんなこともあるかも知れないと思考を停止する。ある人は、知ったか振りをして得意げに頷き、笑うのだけど、実は何も理解していない。ある人は、嘘を見破るのだが、「なるほど、こんなことか」と思い、自信がなくなる。ある人は、嘘だと知りながら「別にどうでもよい」と手を叩いて笑う。ある人は、嘘だと知っているが、何も言わず、知らん振りを決め込み、知らない人と同じ態度でいる。ある人は、嘘だと知りながら、何も追及せず、自らが嘘つきに成り代わって、人を騙す。

嘘つきが人を騙す事でさえ、それが嘘だと知る人には、答える言葉や顔つきで、話の理解具合が分かってしまう。まして、世界の道理を知る人が見れば、我々みたいな悩める子羊は、手のひらを転がっているようなものだろう。しかし、戯れ言の推察のようなことを、仏の教えに応用してはいけない。

原文

達人の、人を見る(まなこ)は、少しも(あやま)る所あるべからず。

例へば、或人の、世に(そらごと)を(かま)へ(い)して、人を(はか)る事あらんに、素直に、(まこと)と思ひて、言ふまゝに(はか)らるゝ人あり。余りに深く信を起して、なほ煩はしく、虚言を(こころえ)添ふる人あり。また、何としも思はで、心をつけぬ人あり。また、いさゝかおぼつかなく(おぼ)えて、(たの)むにもあらず、頼まずもあらで、案じゐたる人あり。また、(まこと)しくは覚えねども、人の言ふ事なれば、さもあらんとて止みぬる人もあり。また、さまざまに(すい)し、心得たるよしして、(かしこ)げにうちうなづき、ほゝ笑みてゐたれど、つやつや知らぬ人あり。また、(すい)し(い)だして、「あはれ、さるめり」と思ひながら、なほ、誤りもこそあれと怪しむ人あり。また、「異なるやうもなかりけり」と、手を拍ちて笑ふ人あり。また、心得たれども、知れりとも言はず、おぼつかなからぬは、とかくの事なく、知らぬ人と同じやうにて過ぐる人あり。また、この(そらごと)の(ほい)を、初めより心得て、少しもあざむかず、(かま)へ(い)だしたる人と同じ心になりて、力を合はする人あり。

愚者の中の(たはぶ)れだに、知りたる人の前にては、このさまざまの(え)たる所、(ことば)にても、顔にても、隠れなく知られぬべし。まして、明らかならん人の、(まど)へる(われら)を見んこと、(たなごころ)の上の物を見んが如し。(ただ)し、かやうの(お)し(はか)りにて、仏法までをなずらへ言ふべきにはあらず。

第百九十五段 ​

ある人が久我の畦道を真っ直ぐ歩いていると、下着姿に袴という出で立ちのオッサンが、木製の地蔵を田んぼの水に浸して、せっせと洗っていた。何事かと思い見ていると、貴族の身なりをした男が二三人やって来た。「こんな所にいたのですか」と言い、この人を引っ張って行った。この人とは、なんと久我の内大臣、通基公であらせられた。

意識がこちら側にあった頃は、優しい立派な人だった。

原文

(ある)人、(こがなはて)を通りけるに、(こそで)に(おおくち)着たる人、木造りの地蔵を田の中の水におし浸して、ねんごろに洗ひけり。心得難く見るほどに、(かりぎぬ)の男(ふたりみたり)(い)で(き)て、「こゝにおはしましけり」とて、この人を(ぐ)して去にけり。(こがのないだいじんどの)にてぞおはしける。

(よのつね)におはしましける時は、(しんべう)に、やんごとなき人にておはしけり。

第百九十六段 ​

東大寺の御輿が、東寺に新設した八幡宮から奈良に戻されることになった。八幡宮を氏神とする源氏の公家が御輿の警護に駆けつけた。キャラバンの隊長は、かの内大臣、久我通基公である。出発にあたって、警備の者が野次馬を追い払うと、太政大臣の源定実が、「宮の御前で、人を追っ払うのはいかがなものでしょうか」と咎めた。通基は、「セキュリティポリスの振る舞いは、私たち武家の者が心得ているのでございます」とだけ答えた。

その後、通基は、「あの太政大臣は、『北山抄』に記された作法だけ読んで、『西宮記』に書いてある作法を知らないようだ。八幡宮の手下である鬼神の災いを恐れ、神社の前では、必ず人払いをしなくてはならない」と言った。

原文

東大寺の(しんよ)、(とうじ)の若宮より(きざ)の時、源氏の(くぎやう)(まゐ)られけるに、この(との)、大将にて先を追はれけるを、(つちみかどのしやうこく)、「社頭にて、(けいひつ)いかゞ(はべ)るべからん」と申されければ、「(ずいじん)の(ふるまひ)は、(ひやうぢやう)の家が知る事に候」とばかり答へ給ひけり。

さて、後に仰せられけるは、「この相国、(ほくざんせう)を見て、(せいきゆう)の説をこそ知られざりけれ。(けんぞく)の(あくき)・(あくじん)を恐るゝ(ゆゑ)に、神社にて、(こと)に先を追ふべき(ことわり)あり」とぞ(おほ)せられける。

第百九十七段 ​

各地の寺の僧だけでなく、宮中の下級女官まで定員がある。これは『延喜式』に書いてあることだ。「定額」とは、定員が決まっている役人の肩書きである。

原文

諸寺の僧のみにもあらず、(ぢやうがく)の(によじゆ)といふ事、(えんぎしき)に見えたり。すべて、数(さだ)まりたる(くにん)の(つうがう)にこそ。

第百九十八段 ​

名誉会長に限らず、名誉顧問なんていう役職もある。どうでもよいことだ。

原文

(やうめいのすけ)に限らず、(やうめいのさくわん)といふものあり。(せいじ)(えうりやく)にあり。

第百九十九段 ​

横川で修行した(ぎやうせんほふいん)が、「中国は音階でいうと長調の国で、短調の音がない。倭国は変短調で、長調の音がない」と言っていた。

原文

(よかは)の(ぎやうせんほふいん)が申し(はべ)りしは、「(とうど)は(りよ)の国なり。(りつ)の(おん)なし。(わこく)は、(たんりつ)の国にて、(りよ)の音なし」と申しき。

第二百段 ​

呉竹は葉が細く、河竹は葉が広い。帝の御座所の池にあるのが河竹で、宴会場に寄せて植えられたのが呉竹である。

原文

(くれたけ)は葉細く、(かはたけ)は葉広し。(みかわ)に近きは河竹、(じじゆうでん)の方に寄りて植ゑられたるは(くれたけ)なり。

第二百一段 ​

インドの霊鷲山には「関係者以外立ち入り禁止」と「車両乗り入れ禁止」の標識があった。山の外側に「車両乗り入れ禁止」の標識がある。山の内側に入ると「関係者以外立ち入り禁止」の標識が立っているので一般人は入山できない。

原文

(たいぼん)・(げじよう)の(そとば)、(そと)なるは下乗、(うち)なるは退凡なり。

第二百二段 ​

十月は「神の居ない月」と呼び、祭事を慎まなければならない、と書いてある文献はない。参考になる文章も見つからない。もしかしたら、十月はどの神社にも祭事がないので、こう呼ばれるのだろうか。

この月には、神々が伊勢の皇大神宮に集まるという説もあるが、それも根拠がない。事実ならば、伊勢では特別な祭でもありそうだが、それもない。十月は天皇が神社に出かけることが多くなる。しかし、ほとんどは不幸がらみである。

原文

(じふぐわつ)を(かみなづき)と言ひて、(しんじ)に(はばか)るべきよしは、(しる)したる物なし。(もとふみ)も見えず。(ただ)し、(たうげつ)、諸社の(まつり)なき(ゆゑ)に、この名あるか。

この月、(よろづ)の(かみたち)、(だいじんぐう)に集り給ふなど言ふ説あれども、その(ほんぜつ)なし。さる事ならば、伊勢には(こと)に(さいげつ)とすべきに、その例もなし。十月、諸社の(ぎやうがう)、その例も(おほ)し。(ただ)し、(おほ)くは不吉の例なり。

第二百三段 ​

朝廷から法によって裁かれる罪人の門に、矢を入れる靫を取り付ける習わしも、今ではなくなり、知る人もいない。天皇が病気の際や、世間に疫病が蔓延した際にも、五条天神に靫をかける。鞍馬寺の境内にある靫の明神も、靫をかける神である。判決の執行係が背負う靫を罪人の家にかけると、立ち入り禁止になる。この風習がなくなり、今では門に封をするようになった。

原文

(ちよくかん)の所に(ゆき)(か)くる作法、今は絶えて、知れる人なし。(しゆしやう)の(ごなう)、(おほかた)、世中の騒がしき時は、五条の(てんじん)に(ゆき)を懸けらる。(くらま)に(ゆき)の(みやうじん)といふも、(ゆき)(か)けられたりける神なり。(かどのをさ)の負ひたる(ゆき)をその家に懸けられぬれば、人(い)で(い)らず。この事絶えて後、今の世には、(ふう)を著くることになりにけり。

第二百四段 ​

変態をムチで打つ時には、拷問道具に緊縛する。ムチの打ち方は今でも伝えられているが、拷問道具の形状や緊縛の作法について、今は知る人もいない。

原文

(はんにん)を(しもと)にて打つ時は、(がうき)に寄せて(ゆ)ひ附くるなり。拷器の(やう)も、寄する(さはふ)も、今は、わきまへ知れる人なしとぞ。

第二百五段 ​

比叡山の「大師最澄との誓約」というのは、良源僧正が書き始めたものである。「誓約書」は法律では取り扱わないものである。昔、聖徳太子の時代には、全て「誓約書」に基づいて行う政治はなかった。近年になり、宗教臭い政治が蔓延するようになった。

また、憲法では火や水にたいしては穢れを認めていない。容器に穢れがあるからだ。

原文

(ひえのやま)に、(たいしくわんじやう)の(きしやう)といふ事は、(じゑそうじやう)書き始め給ひけるなり。(きしやうもん)といふ事、(はふさう)にはその(さた)なし。(いにしへ)の(せいだい)、すべて、起請文につきて行はるゝ(まつりごと)はなきを、近代、この事(るふ)したるなり。

また、(ほふりやう)には、(すいくわ)に(けが)れを立てず。(いれもの)には(けが)れあるべし。

第二百六段 ​

藤原公孝が警視庁官だった時の話である。「ああでもない。こうでもない」と話し合い、決議を取っていると、ノンキャリア官僚、中原章兼の車を牽く牛が逃げ出した。牛は役所の中に入り、公孝が座る台座によじ登り、口をモゴモゴさせながらひっくり返った。その場に居た官僚どもは、「とても不吉である。牛を占い師に見せてお祓いしなさい」と言った。それを聞いた、公孝の父君である大臣の実基が、「牛には善悪の区別がない。脚があるのだから、どこにでも登るだろう。貧乏公務員が通勤に使う痩せ牛を取り上げても仕方がない」と言って、持ち主の章兼に引き渡した。牛がいた場所の畳を張り替えて終わりにしたが、取り立てて縁起の悪いことも無かった。

「不吉なことがあっても、気にしなければ、凶事は成り立たない」と古い本に書いてある。

原文

(とくだいじのうだいじんどの)、(けんびゐし)の(べつたう)の時、(ちゆもん)にて使庁の(ひやうぢやう)行はれける程に、(くわにんあきかね)が牛放れて、庁の内へ入りて、(だいり)の座の(はまゆか)の上に登りて、にれうちかみて(ふ)したりけり。重き(けい)なりとて、牛を(おんやうじ)の許へ遣すべきよし、各々申しけるを、父の(しようこく)聞き給ひて、「牛に(ふんべつ)なし。足あれば、いづくへか登らざらん。わう(じやく)の官人、たまたま出仕の(びぎう)を取らるべきやうなし」とて、牛をば(ぬし)に返して、臥したりける畳をば換へられにけり。あへて凶事なかりけるとなん。

「(あや)しみを見て(あや)しまざる時は、(あや)しみかへりて破る」と言へり。

第二百七段 ​

後嵯峨上皇が亀山御所を建築する際の話である。基礎工事に着手すると、数え切れないほどの大蛇が塚の上でとぐろを巻いていた。「ここの主でしょう」と、現場監督が報告すれば、上皇は「どうしたものか」と、役人達に尋ねるのだった。人々は「昔からここに陣取っていた蛇なので、むやみに掘り出して捨てるわけにもいかない」と、口を揃えて言い合う。この、実基大臣だけは、「皇帝の領地に巣くう爬虫類が、皇帝の住居を建てると言って、どうして悪さをするものか。蛇の道と邪の道は違うのだ。何も心配する必要は無い。掘り起こして捨てなさい」と言った。その通り、塚を壊して蛇は大井河に流した。

当然、祟りなど無かった。

原文

(かめやまどの)(た)てられんとて地を引かれけるに、大きなる(くちなは)、数も知らず(こ)り集りたる塚ありけり。「この所の神なり」と言ひて、事の由を申しければ、「いかゞあるべき」と勅問ありけるに、「古くよりこの地を(し)めたる物ならば、さうなく(ほ)り捨てられ難し」と(みなびと)申されけるに、この(おとど)、一人、「王土にをらん虫、皇居を建てられんに、何の祟りをかなすべき。(きじん)はよこしまなし。咎むべからず。たゞ、皆掘り捨つべし」と申されたりければ、塚を崩して、(くちなは)をば大井河に流してンげり。

さらに祟りなかりけり。

第二百八段 ​

お経など、巻物の紐を結ぶのに、上と下からタスキのように交差させて二本の間から紐の先を横に引き出すのは、よくやる方法である。そう巻いてある巻物を、華厳院の弘舜僧正は巻き直させた。「最近流行の嫌な巻き方だ。ぐるぐる巻きにして、上から下へ紐の先を挟んでおけばよい」と、おっしゃる。

年寄りで、こんな事をよく知っている人だった。

原文

(きやうもん)などの(ひも)を(ゆ)ふに、(かみしも)よりたすきに交へて、二(すぢ)の中よりわなの(かしら)を(よこさま)に引き(い)だす事は、常の事なり。さやうにしたるをば、(けごんゐんの)(こうしゆんそうじやう)、(と)きて(なほ)させけり。「これは、この比様の事なり。いとにくし。うるはしくは、たゞ、くるくると巻きて、(かみ)より(しも)へ、わなの(さき)を挟むべし」と申されけり。

古き人にて、かやうの事知れる人になん(はべ)りける。

第二百九段 ​

他人の田んぼの所有権を求めて訴えていた人が、裁判に負けた。悔しさ余って、「その田を収穫前に全部刈り取れ」と、召使いに命令した。召使いは、手当たり次第、通り道にある田を刈りながら進むので、「ここは、訴訟で負けた田では無いのに、どうして、こんなに無茶をするのだ」と、問われた。田を刈る召使いは、「起訴して負けた田であっても、刈り取って良いという理由はありませんが、どうせ悪事を働きに来たのだから、手当たり次第、刈り取るのです」と言った。

その屁理屈も一理ある。

原文

人の田を論ずる者、(うた)へに負けて、ねたさに、「その田を(か)りて取れ」とて、人を遣しけるに、先づ、道すがらの田をさへ(か)りもて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、(か)る者ども、「その所とても(か)るべき(ことわり)なけれども、(ひがごと)せんとて罷る者なれば、いづくをか(か)らざらん」とぞ言ひける。

(ことわり)、いとをかしかりけり。

第二百十段 ​

「カッコウは、春の鳥だ」と言うけれど、どんな鳥か詳しく書いてある本はない。ある真言宗の書物に、カッコウが鳴く夜に幽体離脱を逃れる方法が記されている。この鳥はトラツグミのことだ。万葉の長歌には、「霞が立つ春の夜長に」とあって、続けてトラツグミが歌われている。カッコウとトラツグミは似ているのだろう。

原文

「(よぶこどり)は春のものなり」とばかり言ひて、(いか)なる鳥ともさだかに(しる)せる物なし。(ある)(しんごんしよ)の中に、喚子鳥鳴く時、(せうこん)の法をば行ふ次第あり。これは(ぬえ)なり。万葉集の(ながうた)に、「霞立つ、長き(はるひ)の」など続けたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまに(かよ)いて聞ゆ。

第二百十一段 ​

何事も期待してはならない。愚か者は他力本願だから、恨んだり怒ったりするのだ。権力者だからと言って、頼ってはならない。血の気が多い人が、最初に没落するのだ。金持ちだからと言って、お願いしてはならない。時間が経てば貧乏になる。才能があるからと言って、期待してはならない。孔子だって、生まれた時代が悪かった。人格者だからと言って、あてにしてはならない。(がんかい)も、不遇の人生だった。君主に可愛がられても、安心してはならない。怒らせれば、その場で闇に葬られるから。家来がいても、安堵してはならない。裏切って逃げることがよくある。人の優しさを、真に受けてはならない。必ず心変わりする。約束も、信じてはならない。守られることは希である。

自分にも他人にも期待しないことだ。ラッキーな時は、ただ喜び、失敗しても、人を恨まずに済む。心を左右に広く持てば動じず、前後に奥行きを持てば行き詰まることもない。狭い心は衝突ばかりして、傷つきやすい。少ない気配りしか出来ない人は、何事にも反抗的で、争って自爆する。穏やかな心でいれば、身の毛、一本も損なわない。

人間は現世を彷徨う妖精だ。世界はブラックホールのように留まることを知らない。人の心も、また同じである。穏やかな気持ちを解放していれば、一喜一憂することなく、人に苦しめられることもないのだ。

原文

(よろづ)の事は(たの)むべからず。(おろ)かなる人は、深く物を(たの)む(ゆゑ)に、恨み、怒る事あり。勢ひありとて、頼むべからず。こはき者先づ滅ぶ。(たから)多しとて、頼むべからず。時の(ま)に失ひ易し。(ざえ)ありとて、頼むべからず。孔子も時に遇はず。徳ありとて、頼むべからず。(がんくわい)も不幸なりき。君の(ちよう)をも頼むべからず。(ちゆう)を受くる事(すみ)やかなり。(やつこ)従へりとて、頼むべからず。背き走る事あり。人の志をも頼むべからず。必ず変ず。約をも頼むべからず。信ある事少し。

身をも人をも頼まざれば、(ぜ)なる時は喜び、非なる時は恨みず。(さう)広ければ、(さは)らず、前後遠ければ、(ふさ)がらず。(せば)き時は拉げ砕く。心を用ゐる事少しきにして厳しき時は、物に(さか)ひ、争ひて破る。緩くして柔かなる時は、(いちまう)も損せず。

人は天地の霊なり。天地は(かぎ)る所なし。人の(しやう)、何ぞ(こと)ならん。寛大にして(きは)まらざる時は、喜怒これに(さは)らずして、物のために(わづら)はず。

第二百十二段 ​

秋の月は、信じられないほど美しい。いつでも月は同じ物が浮かんでいると思って、区別をしない人は、何を考えているのだろうか。

原文

秋の月は、(かぎ)りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ(わ)かざらん人は、(むげ)に心うかるべき事なり。

第二百十三段 ​

天皇の御前に火を入れる時は、種火を火箸で挟んではならない。素焼きの器から、直接移すのである。その際、炭が転がらないように、用心のため炭俵を積んでおく。

天皇が石清水八幡宮を参拝した時に、お供が白い礼服を着て、いつものように手で炭を注いでいた。それを見た物知りの者が、「白装束の日は、火箸を使っても問題ない」と言った。

原文

(ごぜん)の(くわろ)に火を置く時は、(ひばし)して挟む事なし。(かはらけ)より直ちに移すべし。されば、転び落ちぬやうに心得て、炭を積むべきなり。

(やはた)の(ごかう)に、(ぐふ)の人、(じやうえ)を着て、手にて炭をさゝれければ、(ある)(いうそく)の人、「白き物を着たる日は、(ひばし)を用ゐる、苦しからず」と申されけり。

第二百十四段 ​

(そうふれん)という楽曲は、女が男に恋い焦がれるという意味ではない。元は「(そうふれん)」という。つまり当て字である。晋の王倹が大臣だった時、家に蓮を植えて愛でながら、鼻歌交じりに歌った曲なのである。以後、中国の大臣は「府蓮」と呼ばれるようになった。

「(かいこつ)」という楽曲も、本来は「(かいこつ)」だった。廻鶻国という、強力な蛮族の国があった。その国の人が、中国に征服された後に、ふるさとの音楽として演奏していたのだ。

原文

(さうぶれん)といふ(がく)は、女、(をとこ)を(こ)ふる(ゆゑ)の名にはあらず、(もと)は(さうふれん)、文字の(かよ)へるなり。(しん)の(わうけん)、大臣として、家に(はちす)を植ゑて愛せし時の(がく)なり。これより、大臣を(れんぷ)といふ。

(くわいこつ)も(くわいこつ)なり。廻鶻国とて、(えびす)のこはき国あり。その夷、漢に(ふく)して(のち)に、(きた)りて、己れが国の(がく)を奏せしなり。

第二百十五段 ​

宣時の朝臣が、老後に、問わず語りをしたことがあった。「ある晩、北条時頼様から、お誘いがありました。『すぐ伺います』と答えたものの、上着が見つからずあたふたしていると、また使いの者が来て、『上着でも探しているのか。もう夜なのでパジャマで構わない。すぐに参られよ』と、言います。仕方なくヨレヨレの背広を着てノーネクタイのまま伺いました。時頼様が、お銚子とお猪口を持って現れて、「この酒を一人で飲むのは淋しいから呼び出したのだよ。酒の肴も無いのだが……。皆、寝静まってしまっただろう。何かつまむ物でもないか探してきてくれ」とおっしゃいます。懐中電灯を持って、隅々まで探してみるとキッチンの棚に味噌が少し付いた小皿を見つけました。『こんな物がありました』と言うと、時頼様は『これで充分』と、ご機嫌で、何杯も飲んで酔っぱらいました。こんな時代もあったのですよ」と語ってくれた。

原文

(たひらののぶときあそん)、(おい)の(のち)、(むかしがた)りに、「(さいみやうじのにふだう)、(ある)(よひ)の(ま)に(よ)ばるゝ事ありしに、『やがて』と申しながら、(ひたたれ)のなくてとかくせしほどに、また、使(きた)りて、『直垂などの(さうら)はぬにや。夜なれば、(ことやう)なりとも、(と)く』とありしかば、萎えたる直垂、うちうちのまゝにて罷りたりしに、(てうし)に(かはらけ)取り添へて持て(い)でて、『この酒を独りたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。(さかな)こそなけれ、人は静まりぬらん、さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、(しそく)さして、隈々を求めし程に、台所の(たな)に、(こがはらけ)に(みそ)の少し附きたるを見(い)でて、『これぞ求め(え)て候ふ』と申ししかば、『事足りなん』とて、心よく(すこん)に及びて、興に(い)られ(はべ)りき。その世には、かくこそ(はべ)りしか」と申されき。

第二百十六段 ​

北条時頼が鶴岡八幡宮へ参拝したついでに、足利義氏のところへ、「これから伺います」と使いを出して立ち寄った。主の義氏が用意した献立は、お銚子一本目に、アワビ、お銚子二本目に、エビ、お銚子三本目に、蕎麦がきだった。この宴席には、主人夫婦の他に、隆弁僧正が出席して座っていた。宴もたけなわになると、時頼は、「毎年頂く、足利地方の染め物が待ち遠しくて仕方ありません」と言うのだった。義氏は「用意してあります」と、百花繚乱に染め上がった三十巻の反物を広げ、その場で女官に、シャツに仕立てさせて、後で送り届けたそうだ。

それを見ていた人が最近まで生きていて、その話をしてくれた。

原文

(さいみやうじのにふだう)、(つるがをか)の(しやさん)の(ついで)に、(あしかがのさまのにふだう)の(もと)へ、先づ使を遣して、立ち(い)られたりけるに、あるじまうけられたりける(やう)、(いつこん)に打ち(あはび)、二献に海老、三献にかいもちひにて止みぬ。その座には、亭主夫婦、(りゆうべんそうじやう)、主(がた)の人にて座せられけり。さて、「年毎に給はる(あしかが)の染物、心もとなく(さうら)ふ」と申されければ、「用意し(さうら)ふ」とて、色々の染物三十、前にて、(にようぼう)どもに(こそで)に(てう)ぜさせて、後に(つか)はされけり。

その時見たる人の、近くまで(はべ)りしが、語り侍りしなり。

第二百十七段 ​

ある大金持ちが言うには、「人は何を後回しにしても、ひたすら金儲けに徹するしかない。貧乏人は生きていても仕方がないからだ。金持ち以外は人間ではない。富豪になりたいと思ったら、何はさておき、金持ちの心構えを修行しよう。その心構えは、何も難しいことではない。人生は長く、間違っても、「世界は刻々と変化している」なんて、つまらん事を考えるな。これが第一のポイントだ。次に、いつでも欲求を満たすな。生きていれば、自分にも他人にも欲求は果てしない。欲望の(おもむ)くまま生きれば、百億円あっても、手元には少しも残らない。欲望は無限にあり、貯金は底を尽きる。限度のある貯金で、無限の欲望に振り回されるのは不可能だ。ということで、心に欲望が芽生えだしたら、自分を滅ぼす悪魔が来たのだと注意して、爪に火を灯せ。その次は、お金を奴隷か何かと勘違いしていたら、貧乏を一生辞められないと思え。お金は、主人や神のように恐れ敬うもので、思い通りに使うものではない。その次に、恥をかいてもプライドを捨てろ。そして、正直に生きて約束を守ることだ。この心がけで金を稼ごうと思えば、乾いた物がすぐ燃えて、水が低いところに流れるように、ジャブジャブ金が転がってくる。金が貯まって増え出すと、宴会や女遊びなどはくだらなくなり、住む場所も簡素になる。欲望を追求することなく、心穏やかで、毎日がバラ色だ」と宣わった。

そもそも、人は欲望を満たすために金を欲しがるのだ。金に執着するのは、あると願いが叶うからだ。欲望を我慢し、金があっても使わないのなら、これは貧乏人と同じである。いったい何が楽しいのだろうか。しかし、この大金持ちの教えは、欲望を捨て去り、貧乏を恐れるなという戒めに置き換えられそうだ。金で「願い」を叶えて満足するよりも、むしろ「願い」がない方が優れている。インキンの人が、水で洗って「気持ちいい」と思うより、もともとそんな病気にかからない方がよいのと一緒である。こうやって考えれば、貧乏人と金持ちは同じ人間で、悟りと迷いも一緒で、(ごうよく)は無欲なのと似ている。

原文

(ある)(だいふくちやうじや)の云はく、「人は、万をさしおきて、ひたふるに徳をつくべきなり。(まづ)しくては、(い)けるかひなし。(と)めるのみを人とす。徳をつかんと思はば、すべからく、先づ、その心遣ひを修行すべし。その心と云ふは、他の事にあらず。人間(じやうじゆう)の思ひに(ぢゆう)して、仮にも無常を(くわん)ずる事なかれ。これ、第一の用心なり。次に、万事の用を叶ふべからず。人の世にある、自他につけて(しよぐわん)無量なり。欲に(したが)ひて志を(と)げんと思はば、百万の(ぜに)ありといふとも、(しばらく)くも住すべからず。所願は(や)む時なし。(たから)は(つ)くる(ご)あり。限りある財をもちて、限りなき願ひに(したが)ふ事、(う)べからず。所願心に萌す事あらば、我を滅すべき悪念(きた)れりと固く(つつし)み恐れて、(せうえう)をも為すべからず。次に、銭を(やつこ)の如くして使ひ(もち)ゐる物と知らば、永く貧苦を免るべからず。君の如く、神の如く(おそ)れ(たふと)みて、(したが)へ用ゐる事なかれ。次に、恥に(のぞ)むといふとも、怒り(うら)むる事なかれ。次に、正直にして、約を固くすべし。この義を守りて利を求めん人は、富の(きた)る事、火の燥けるに(つ)き、水の下れるに(したが)ふが如くなるべし。銭積りて尽きざる時は、(えんいん)・(せいしよく)を(こと)とせず、(きよしよ)を飾らず、所願を(じやう)ぜざれども、心とこしなへに(やす)く、楽し」と申しき。

そもそも、人は、所願を(じやう)ぜんがために、(たから)を求む。(ぜに)を財とする事は、願ひを叶ふるが故なり。所願あれども叶へず、銭あれども用ゐざらんは、(まつた)く貧者と同じ。何をか楽しびとせん。この掟は、たゞ、人間の望みを(た)ちて、貧を(うれ)ふべからずと聞えたり。欲を(じやう)じて楽しびとせんよりは、如かじ、(たから)なからんには。(よう)・(そ)を病む者、水に洗ひて楽しびとせんよりは、病まざらんには如かじ。こゝに至りては、貧・富(わ)く所なし。(くきやう)は(りそく)に等し。大欲は無欲に似たり。

第二百十八段 ​

狐は化けるだけでなく人に噛み付くものだ。久我大納言の屋敷では、寝ている召使いが足を噛まれた。仁和寺の本道では、夜道を歩く小坊主が、飛びかかる三匹に噛み殺されそうになった。刀を抜いてこれを避け、二匹を刺した。一匹を突き刺して殺したが、二匹に逃げられた。法師は散々噛まれたが、命に別状は無かった。

原文

(きつね)は人に食ひつくものなり。(ほりかはどの)にて、(とねり)が寝たる足を狐に食はる。(にんわじ)にて、夜、(ほんじ)の前を(とほ)る(しもほふし)に、狐三つ飛びかゝりて(く)ひつきければ、刀を抜きてこれを(ふせ)ぐ間、狐二(ひき)を突く。一つは突き殺しぬ。二つは逃げぬ。法師は、数多所食はれながら、(ことゆゑ)なかりけり。

第二百十九段 ​

四条大納言が「豊原竜秋という奴は、管楽器の分野においては神様のような存在だ。奴が先日、こんなことを言った。『浅はかで、口にするのも恥ずかしいのですが、横笛の五番の穴は、いささか信用ならないと秘かに思っているのです。何故かと申せば、六番目の穴は、ミカンのミに近い音で、その上の五番目の穴は、変ト調です。その二つの穴の中間に、ファイトのファがあります。その上にある穴はアオイソラのソで、次の穴の中間がシアワセのシ、二番目の中の穴と一番目の六の穴の間は神聖な音です。このように、どの穴も、穴と穴の間に半音階を潜ませているのに、五番目の穴だけは上の穴との間に半音がありません。それでいて、他の穴と同じ間隔で並んでいるのです。ですから、五番目の穴からは、不自然な音が出ます。この穴を吹く時は、必ず口をリードから離して吹かなければならないのです。それが上手くできないと、楽器が言うことを聞いてくれません。この五番目の穴を吹きこなせる人は滅多いないのです』などと。さすがであり、勉強になった。先輩は後輩を畏れよとは、このことであるな」と、おっしゃった。

後日、大神景茂が「笙の笛は調律済みの物を手にするのだから、適当に吹いていれば音が出る。笛はブレスで音を調整する。どの穴にも吹き方があり、しかも、演奏者は自分の癖を考えて調整するのだ。用心して吹くのは、五番目の穴だけではない。竜秋のように、ただ単に口を離して吹けば済むなどという簡単なことではないのだ。適当に吹けば、どの穴も変梃な音が出るに決まっている。音の調子が、他の楽器と合わないのは、楽器に欠陥があるのではなく、演奏者に問題があるのだ」と、言った。

原文

(しでうのくわうもん)命ぜられて云はく、「(たつあき)は、道にとりては、やんごとなき者なり。先日(きた)りて云はく、『短慮の至り、極めて(くわうりやう)の事なれども、横笛の五の穴は、聊かいぶかしき所の侍るかと、ひそかにこれを存ず。その(ゆゑ)は、(かん)の穴は(ひやうでう)、五の穴は(しもむでう)なり。その(あひだ)に、(しようぜつでう)を隔てたり。(しやう)の穴、(さうでう)。次に、(ふしようでう)を置きて、(さく)の穴、(わうしきでう)なり。その次に(らんけいでう)を置きて、(ちゆう)の穴、(ばんしきでう)、中と六とのあはひに、(しんぜんでう)あり。かやうに、(まま)に皆(いちりつ)をぬすめるに、五の穴のみ、(しよう)の(あひだ)に調子を持たずして、しかも、(ま)を(くば)る事等しき故に、その声不快なり。されば、この穴を吹く時は、必ずのく。のけあへぬ時は、物に合はず。吹き(う)る人難し』と申しき。(れうけん)の至り、まことに興あり。(せんだつ)、(こうせい)を(おそ)ると云ふこと、この事なり」と侍りき。

他日に、(かげもち)が申し侍りしは、「(しやう)は調べおほせて、持ちたれば、たゞ吹くばかりなり。笛は、吹きながら、息のうちにて、かつ調べもてゆく物なれば、穴毎に、(くでん)の上に(しやうこつ)を加へて、心を(い)るゝこと、五の穴のみに限らず。偏に、のくとばかりも定むべからず。あしく吹けば、いづれの穴も心よからず。(じやうず)はいづれをも吹き合はす。(りよりつ)の、物に適はざるは、人の(とが)なり。(うつはもの)の(しつ)にあらず」と申しき。

第二百二十段 ​

「何事も、辺鄙な片田舎は下品で見苦しいが、天王寺の舞楽だけは、都に勝るとも劣らない」と言う。天王寺の奏者が、「我が寺の楽器は、正確にチューニングされている。だから響きが美しく、他の舞楽よりも優れているのだ。聖徳太子の時代から伝わる調律の教えを今日まで守ってきたおかげである。六時堂の前に鐘がある。その音色と完全に一致した黄鐘調の音だ。暑さ寒さで鐘の音は変わるから、釈迦入滅の二月十五日から、聖徳太子没日の二月二十日の五日間を音の基準とする。門外不出の伝統である。この一音を基準に、全ての楽器の音色をチューニングするのだ」と、言っていた。

鐘の音の基本は黄鐘調だ。永遠を否定する無常の音色である。そして、祇園精舎にある無常院から聞こえる鐘の音なのだ。西園寺に吊す鐘を黄鐘調にするべく何度も鋳造したのだが、結局は失敗に終わり、遠くから取り寄せる羽目になった。亀山殿の浄金剛院の鐘の音も、諸行無常の響きである。

原文

「何事も、(へんど)は(いや)しく、かたくななれども、(てんわうじ)の舞楽のみ都に恥ぢず」と云ふ。天王寺の(れいじん)の申し侍りしは、「当寺の楽は、よく図を調べ合はせて、ものの(ね)のめでたく調り侍る事、(ほか)よりもすぐれたり。(ゆゑ)は、太子の御時の図、今に侍るを博士とす。いはゆる(ろくじだう)の前の鐘なり。その声、(わうしきでう)の(もなか)なり。寒・暑に(したが)ひて(あが)り・(さが)りあるべき故に、二月(ねはんゑ)より(しようりやうゑ)までの(ちゆうげん)を(しなん)とす。(ひさう)の事なり。この(いつてうし)をもちて、いづれの声をも調へ(はべ)るなり」と申しき。

凡そ、鐘の声は(わうしきでう)なるべし。これ、無常の調子、(ぎをんしやうじや)の無常院の声なり。(さいをんじ)の鐘、黄鐘調に(い)らるべしとて、数多度鋳かへられけれども、叶はざりけるを、(をんごく)より尋ね(い)だされけり。(じやうこんがうゐん)の鐘の声、また黄鐘調なり。

第二百二十一段 ​

「後宇多天皇の時代には、葵祭りの警備をする放免人が持つ槍に、変梃な飾りを付けていた。紺色の布を、着物にして四・五着ぶん使って馬を作り、尾や鬣はランプの芯を使い、蜘蛛の巣を書いた衣装などを付け、短歌の解釈などを言いながら練り歩いた姿をよく見た。面白いことを考えたものだ」と、隠居した役人達が、今でも昔話する。

近頃では、年々贅沢になり、この飾りも行き過ぎになったようだ。色々と重たい物を、いっぱい槍にぶらさげて、両脇を支えられながら、本人は槍さえ持てずに息を切らせて苦しがっている。とても見るに堪えない。

原文

「(けんぢ)・(こうあん)の(ころ)は、祭の日の(はうべん)の(つけもの)に、(ことやう)なる(こん)の布四五(たん)にて馬を作りて、(を)・(かみ)には(とうじみ)をして、(くも)の(い)書きたる(すいかん)に附けて、歌の心など言ひて渡りし事、常に見及び(はべ)りしなども、興ありてしたる心地にてこそ侍りしか」と、老いたる(だうし)どもの、今日も語り侍るなり。

この比は、附物、年を送りて、(くわさ)殊の外になりて、万の重き物を多く附けて、(さう)の(そで)を人に持たせて、自らは(ほこ)をだに持たず、息づき、苦しむ有様、いと見苦し。

第二百二十二段 ​

山科の乗願房が、東二乗院の元へ参上したときのことである。東二乗院が、「死んだ人に何かをしてあげたいのですが、どうすれば喜ばれるでしょうか」と質問された。乗願房は、「こうみょうしんごん、ほうきょういんだらに、と唱えなさい」と答えた。弟子達が、「どうしてあんなことを言ったのですか。なぜ念仏が一番尊いと言わないのですか」と責め立てる。乗願房は、「自分の宗派の事だから、軽々しいことを言えなかったのだ。正しく、なむあみだぶつ、と唱えれば、死者に通じて利益があると書いた文献を読んだことがない。万が一、根拠を問われたら困ると思って、一応、経にも書いてある、この呪文を申したのだ」と答えた。

原文

(たけだにのじようがんぼう)、(とうにでうのゐん)へ(まゐ)られたりけるに、「(まうじや)の(ついぜん)には、何事か勝利多き」と尋ねさせ給ひければ、「(くわうみやうしんごん)・(ほうけふいんだらに)」と申されたりけるを、弟子ども、「いかにかくは申し給ひけるぞ。念仏に(まさ)る事(さうら)ふまじとは、など申し給はぬぞ」と申しければ、「我が(しゆう)なれば、さこそ申さまほしかりつれども、正しく、(しようみやう)を(ついふく)に(しゆ)して(こやく)あるべしと(と)ける(きやうもん)を見及ばねば、何に(み)えたるぞと重ねて問はせ給はば、いかゞ申さんと思ひて、(ほんぎやう)の確かなるにつきて、この(しんごん)・(だらに)をば申しつるなり」とぞ申されける。

第二百二十三段 ​

九条基家が、鶴の大臣と呼ばれるのは、幼少の頃に「鶴ちゃん」と呼ばれていたからだ。鶴を飼っていたからという話は、でまかせだ。

原文

(たず)の(おほいどの)は、(わらはな)、たづ君なり。(つる)を飼ひ給ひける故にと申すは、(ひがこと)なり。

第二百二十四段 ​

占い師の安倍有宗が、鎌倉から上京し訪ねて来た。門に足を踏み入れると、まず一言「この庭は無駄に広い。何の工夫もなく、けしからぬ。少し頭を使えば、何かを栽培できるだろうに。小径を一本残して、あとは畑に作りかえろ」と説教した。

もっともな話である。少しの土地でも荒れ地にしておくのはもったいない。食べ物や薬でも植えた方がましだ。

原文

(おんようじ)(ありむねのにふだう)、鎌倉より上りて、尋ねまうで(きた)りしが、先づさし(い)りて、「この庭のいたすらに広きこと、あさましく、あるべからぬ事なり。道を知る者は、(う)うる事を努む。細道一つ残して、皆、(はたけ)に作り給へ」と諌め侍りき。

まことに、少しの地をもいたづらに置かんことは、(やく)なき事なり。食ふ物・(やくしゆ)など植ゑ置くべし。

第二百二十五段 ​

舞踏家の多久資が言っていた。「藤原信西入道が、数ある舞の中から好きな物を選んで、磯の禅師という芸妓に教えて舞わせた。白装束に匕首、黒烏帽子という出で立ちだったので、男舞と呼んだ。その芸妓の娘が静御前である。母の舞を伝承したのだ。これが白拍子の始まりである。当時は、太古の神話を歌っていたが、のちに、源光行が多くの台本を手がけた。後鳥羽院の手なる作品もあり、愛人の亀菊という芸妓に舞わせた」と。

原文

(おほのひさすけ)が申しけるは、(みちのりのにふだう)、舞の手の中に興ある事どもを選びて、(いそ)の(ぜんじ)といひける女に教へて舞はせけり。白き(すいかん)に、(さうまき)を差させ、(えぼし)を引き入れたりければ、(をとこまひ)とぞ言ひける。禅師が娘、(しづか)と言ひける、この芸を継げり。これ、(しらびやうし)の(こんげん)なり。仏神の本縁を歌ふ。その後、(みなもとのみつゆき)、多くの事を作れり。(ごとばのゐん)の(ごさく)もあり、(かめぎく)に教へさせ給ひけるとぞ。

第二百二十六段 ​

後鳥羽院の時代のことである。地方官の行長は古典の研究に優れ、評判が高かった。しかし、漢詩の勉強会で、白楽天の新楽府を論じた際に「七徳の舞」のうち、二つを忘れてしまい、天皇の前で恥をかいだけでなく「五徳のお兄さん」という不名誉なあだ名まで額に烙印されてしまった。羞恥心に悶絶した行長は、勉強を辞めて、人生も捨ててみることにした。慈円僧正という人は、一つの芸に秀でた者ならば奴隷でも可愛がったので、この行長の面倒をみた。

『平家物語』の作者は、この行長なのだ。性仏という盲目の坊主に教えて、語り部にさせた。比叡山での事を特に緻密に書き、義経にも詳しい。範頼の事は詳しく知らなかったのか、適当に書いている。武士や武芸については関東者の性仏が仲間に聞いて行長に教えた。今の琵琶法師は、この郢曲で名高い性仏の地声を真似しているのだ。

原文

(ごとばのゐん)の御時、(しなののぜんじゆきなが)、(けいこ)の(ほま)れありけるが、(がふ)の(みろんぎ)の(ばん)に(め)されて、(しちとく)の舞を二つ忘れたりければ、(ごとく)の(くわんじや)と(いみやう)を附きにけるを、心(う)き事にして、学問を捨てて(とんせい)したりけるを、(じちんくわしやう)、一芸ある者をば、(しもべ)までも(め)し置きて、(ふびん)にせさせ給ひければ、この(しなのの)入道を(ふち)し給ひけり。

この行長入道、(へいけのものがたり)を作りて、(しやうぶつ)といひける(まうもく)に教へて(かた)らせけり。さて、山門の事を殊にゆゝしく書けり。(くらうはうぐわん)の事は委しく知りて書き載せたり。(かばのくわんじや)の事はよく知らざりけるにや、多くの事どもを記し洩らせり。武士の事、(きゆうば)の(わざ)は、(しやうぶつ)、(とうごく)の(もの)にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。かの生仏が生れつきの声を、今の(びはほふし)は学びたるなり。

第二百二十七段 ​

六時の礼賛は、法然の弟子の安楽という僧が経文を集めて作り、日々の修行にしていたのが起源である。のちに、太秦の善観房という僧がアクシデンタルを追加して楽譜にした。これが一発で昇天できるという「一念の念仏」の始まりである。後嵯峨天皇の時代のことだ。「法事讃」を楽譜にしたのも善観房である。

原文

(ろくじらいさん)は、(ほふねんしやうにん)の弟子、(あんらく)といひける僧、(きやうもん)を集めて作りて、(つと)めにしけり。その後、(うづまさ)の(ぜんくわんぼう)といふ僧、(ふしはかせ)を定めて、(しやうみやう)になせり。一念の念仏の最初なり。(ごさがのゐん)の御代より始まれり。(ほふじさん)も、同じく、善観房始めたるなり。

第二百二十八段 ​

千本釈迦堂で「南無釈迦牟尼仏」と念仏を唱える仏事は、亀山天皇の時代に如輪上人が始めたのだ。

原文

(せんぼん)の(しやか)念仏は、(ぶんえい)の(ころ)、(によりんしやうにん)、これを始められけり。

第二百二十九段 ​

名匠は少々切れ味の悪い小刀を使うという。妙観が観音を彫った小刀は切れ味が鈍い。

原文

よき(さいく)は、少し(にぶ)き刀を使ふと言ふ。(めいくわん)が刀はいたく立たず。

第二百三十段 ​

五条の皇居には妖怪が巣くっていた。二条為世が話すには、皇居に上がることを許された男たちが黒戸の間で碁に耽っていると、簾を上げて覗き込む者がある。「誰だ」と眼光鋭く振り向けば、狐が人間を真似て、立て膝で覗いていた。「あれは狐だ」と騒がれて、あわてて逃げ去ったそうだ。

未熟な狐が化け損なったのだろう。

原文

(ごでうのだいり)には、(ばけもの)ありけり。(とうのだいなごんどの)語られ(はべ)りしは、(てんじやうびと)ども、(くろど)にて(ご)を打ちけるに、(みす)を(かか)げて見るものあり。「(た)そ」と見(む)きたれば、(きつね)、人のやうについゐて、さし(のぞ)きたるを、「あれ狐よ」とどよまれて、(まど)ひ逃げにけり。

(みれん)の狐、化け損じけるにこそ。

第二百三十一段 ​

園の別当入道は、二人といない料理人である。ある人の家で見事な鯉が出てきたので、誰もが皆、別当入道の包丁さばきを見たいと思ったが、軽々しくお願いするのもどうかと逡巡していた。別当入道は察しの良い人物なので、「この頃、百日連続で鯉をさばいて料理の腕を磨いております。今日だけ休むわけにもいきません。是非、その鯉を調理しましょう」と言ってさばいたそうだ。場の雰囲気に馴染み、当意即妙だと、ある人が北山太政入道に言った。北山太政入道は、「こんな事は、厭味にしか聞こえない。『さばく人がいないなら下さい。切ります』とだけ言えばいいのだ。どうして百日の鯉などと、わけの分からないことを言うのだろうか」と、おっしゃったので、納得したという話に、私も納得した。

わざとらしい小細工で人を喜ばせるよりも、何もしない方がよいのだ。口実を作って接待をするのも良いが、突然にご馳走する方が、ずっと良い。プレゼントも、記念日などではなく、ただ「これをあげよう」と言って差し出すのが、本物の好意なのだ。もったいぶって、相手を焦らしたり、ギャンブルの景品にするのは興ざめである。

原文

(その)の(べつたう)入道は、さうなき(はうちやうじや)なり。(ある)人の(もと)にて、いみじき(こひ)を(い)だしたりければ、(みなひと)、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち(い)でんもいかゞとためらひけるを、別当入道、さる人にて、「この程、(ひやくにち)の鯉を切り(はべ)るを、今日(か)き(はべ)るべきにあらず。枉げて申し(う)けん」とて切られける、いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へりけると、或人、(きたやまのだいじやうにふだうどの)に語り申されたりければ、「かやうの事、己れはよにうるさく覚ゆるなり。『切りぬべき人なくは、(た)べ。切らん』と言ひたらんは、なほよかりなん。(なんでふ)、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひたりし、をかしく覚えしと人の語り給ひける、いとをかし。

(おほかた)、(ふるま)ひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、勝りたる事なり。(まれびと)の(きやうおう)なども、ついでをかしきやうにとりなしたるも、まことによけれども、たゞ、その事となくてとり出でたる、いとよし。人に物を取らせたるも、ついでなくて、「これを(たてまつ)らん」と云ひたる、まことの志なり。(お)しむ(よし)して(こ)はれんと思ひ、勝負の負けわざにことづけなどしたる、むつかし。

第二百三十二段 ​

人間は何事も知らず、出来ず、馬鹿のふりをしたほうが良い。ある賢そうな子供がいた。父親がいる前で人と話すので中国の史書から話題を引いていた。利口には見えたが、目上の人の前だといっても、そこまで背伸びすることもなかろうと思われた。また、ある人の家で琵琶法師の物語を聞こうと琵琶を取り寄せたら柱が一つ取れていた。「柱を作って付けなさい」と言うと、会場にいた人格者にも見えなくはない男が、「使わない柄杓の柄はないか」と立ち上がった。爪を伸ばしているから、この男も琵琶を弾くのだろう。だが、盲目の法師が弾く琵琶に、そこまで気を遣うこともない。琵琶を心得たつもりでいるのだろうと思えば、片腹痛くなった。「柄杓の柄は、わっぱ細工だから琵琶の柱になどにできる物ではない」という説もある。

若者は、わずかなことで、よく見え、悪くも見える。

原文

すべて、人は、無智・無能なるべきものなり。(あるひと)の子の、見ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人と物言ふとて、史書の(もん)を引きたりし、(さか)しくは聞えしかども、(そんじや)の前にてはさらずともと(おぼ)えしなり。また、(あるひと)の許にて、(びはほふし)の(ものがたり)を聞かんとて琵琶を召し寄せたるに、(ぢう)の一つ落ちたりしかば、「作りて附けよ」と言ふに、ある男の中に、悪しからずと見ゆるが、「古き(ひさく)の(え)ありや」など言ふを見れば、(つめ)を(お)ふしたり。琵琶など弾くにこそ。(めくら)の琵琶、その(さた)にも及ばぬことなり。道に心得たる(よし)にやと、かたはらいたかりき。「(ひさく)の(え)は、(ひものぎ)とかやいひて、よからぬ物に」とぞ(あるひと)(おほ)せられし。

若き人は、少しの事も、よく見え、わろく見ゆるなり。

第二百三十三段 ​

何事でも失敗を避けるためには、いつでも誠実の二文字を忘れずに、人を差別せず、礼儀正しく、口数は控え目でいるに越したことはない。男でも女でも、老人でも青二才でも同じ事である。ことさら美男子で言葉遣いが綺麗なら、忘れがたい魅力になろう。

様々な過失は、熟練した気で得意になったり、出世した気で調子に乗って人をおちょくるから犯すのだ。

原文

(よろづ)の(とが)あらじと思はば、何事にもまことありて、人を(わ)かず、うやうやしく、言葉少からんには如かじ。(なんによ)・老少、皆、さる人こそよけれども、(こと)に、若く、かたちよき人の、(こと)うるはしきは、忘れ難く、思ひつかるゝものなり。

(よろづ)の(とが)は、(な)れたるさまに(じやうず)めき、(ところえ)たる(けしき)して、人をないがしろにするにあり。

第二百三十四段 ​

何かを尋ねる人に、「まさか知らないわけがない、真に受けて本当のことを言うのも馬鹿馬鹿しい」と思うからだろうか、相手を惑わす答え方をするのは悪いことだ。相手は、知っていることでも、もっと知りたいと思って尋ねているのかも知れない。また、本当に知らない人がいないとは断言できない。だから、屁理屈をこねずに正確に答えれば、信頼を得られるであろう。

まだ誰も知らない事件を自分だけ聞きつけて、「あの人は、あきれた人だ」などと省略して言うのも良くない。相手は何の事だかさっぱり分からないから、「何の事ですか?」と、聞き返す羽目になる。有名な話だとしても、偶然に聞き漏らすこともあるのだから、正確に物事を伝えて何が悪いのか。

このような言葉足らずは、頭も足りない人がすることだ。

原文

人の、物を問ひたるに、(し)らずしもあらじ、ありのまゝに言はんはをこがましとにや、心(まど)はすやうに(かへりごと)したる、よからぬ事なり。知りたる事も、なほさだかにと思ひてや問ふらん。また、まことに知らぬ人も、などかなからん。うらゝかに言ひ聞かせたらんは、おとなしく聞えなまし。

人は(いま)だ聞き及ばぬ事を、我が知りたるまゝに、「さても、その人の事のあさましさ」などばかり言ひ遣りたれば、「(いか)なる事のあるにか」と、押し返し問ひに(や)るこそ、心づきなけれ。世に(ふ)りぬる事をも、おのづから聞き洩すあたりもあれば、おぼつかなからぬやうに(つ)げ遣りたらん、(あ)しかるべきことかは。

かやうの事は、(ものな)れぬ人のある事なり。

第二百三十五段 ​

主人がある家には、他人が勝手に入って来ない。主人のない家には通りすがりの人がドカドカ押し入る。また、人の気配が無いので、狐や梟のような野生動物も我が物顔で棲み着く。「こだま」などという「もののけ」が出現するのも当然だろう。

同じく、鏡には色や形がないから、全ての物体を映像にする。もし鏡に色や形があれば、何も反射しないだろう。

大気は空っぽで、何でも吸い取る。我々の心も、幾つもの妄想が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。もしかしたら、心の中身は空っぽなのかも知れない。家に主人がいるように、心にも主人がいたら、妄想が入り込む余地もないだろう。

原文

主ある家には、すゞろなる人、心のまゝに(い)り来る事なし。主なき所には、(みちいきびと)(みだ)りに立ち入り、(きつね)・(ふくろふ)やうの物も、(ひとげ)に(せ)かれねば、(ところえ)に入り(す)み、(こだま)など云ふ、けしからぬ形も(あら)はるゝものなり。

また、鏡には、色・(かたち)なき(ゆゑ)に、(よろづ)の(かげ)(きた)りて映る。鏡に色・像あらましかば、映らざらまし。

(こくう)よく物を(い)る。我等が心に念々のほしきまゝに(きた)り浮ぶも、心といふもののなきにやあらん。心に主あらましかば、胸の(うち)に、(そこばく)の事は(い)り(きた)らざらまし。

第二百三十六段 ​

京都の亀岡にも出雲がある。出雲大社の分霊を祀った立派な神社だ。志田の何とかという人の領土で、秋になると、「出雲にお参り下さい。そばがきをご馳走します」と言って、聖海上人の他、大勢を連れ出して、めいめい拝み、その信仰心は相当なものだった。

神前にある魔除けの獅子と狛犬が後ろを向いて背中合わせに立っていたので、聖海上人は非常に感動した。「何と素晴らしいお姿か。この獅子の立ち方は尋常ではない。何か深い由縁があるのでしょう」と、ボロボロ泣き出した。「皆さん、この恍惚たるお姿を見て鳥肌が立ちませんか。何も感じないのは非道いです」と言うので、一同も不審に思い、「本当に不思議な獅子狛犬だ」とか、「都に帰って土産話にしよう」などと言い出した。上人は、この獅子狛犬についてもっと詳しく知りたくなった。そこで、年配のいかにも詳しく知っていそうな神主を呼んで、「この神社の獅子の立ち方は、私などには計り知れない由縁があるとお見受けしました。是非教えて下さい」と質問した。神主は、「あの獅子狛犬ですか。近所の悪ガキが悪戯したのですよ。困ったガキどもだ」と言いながら、もとの向きに戻して立ち去った。果たして、聖海上人の涙は蒸発したのだった。

原文

(たんば)に(いづも)と云ふ所あり。(おほやしろ)を移して、めでたく(つく)れり。しだの(なにがし)とかやしる所なれば、秋の(ころ)、(しやうかいしやうにん)、その他も人(あまた)(さそ)ひて、「いざ給へ、出雲(をが)みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、各々拝みて、ゆゝしく信起したり。

(おまへ)なる(しし)・(こまいぬ)、(そむ)きて、(うし)ろさまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き(ゆゑ)あらん」と涙ぐみて、「いかに(とのばら)、(しゆしよう)の事は御覧じ(とが)めずや。(むげ)なり」と言へば、各々(あや)しみて、「まことに他に(こと)なりけり」、「(みやこ)のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる(じんぐわん)を呼びて、「この(みやしろ)の(しし)の立てられ様、定めて習ひある事に(はべ)らん。ちと(うけたまは)らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童どもの(つかまつ)りける、(きくわい)に候う事なり」とて、さし寄りて、(す)ゑ(なほ)して、(い)にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。

第二百三十七段 ​

道具箱の蓋の上に物を置く際には、縦に向けたり横に向けたり、物によってそれぞれだ。巻物は、溝に向かって縦に置き、組木の間から紐を通して結ぶ。硯も縦に置くと筆が転がらなくて良い」と三条実重が言っていた。

勘解由小路家の歴代の能書家達は、間違っても硯を縦置きにしなかった。決まって横置きにしていた。

原文

(やないばこ)に(す)うる物は、(たてさま)・(よこさま)、物によるべきにや。「(まきもの)などは、縦様に置きて、木の(あはひ)より紙ひねりを通して、(ゆ)い附く。(すずり)も、縦様に置きたる、筆転ばず、よし」と、(さんでうの)右大臣殿仰せられき。

(かでのこうぢ)の家の(のうじよ)の人々は、仮にも縦様に置かるゝ事なし。必ず、横様に(す)ゑられ(はべ)りき。

第二百三十八段 ​

随身の中原近友が自慢話だと断って書いた、七つの箇条書きがある。全て馬術の事で、くだらない話だ。そう言えば、私にも自慢話が七つある。

一つ。大勢で花見に行ったときの事である。最勝光院の近くで馬に乗る男がいた。それを見て、「もう一度馬を走らせたら、馬が転んで落馬するでしょう。見てご覧なさい」と言って立ち止まった。再び馬が走ると、やはり引き倒してしまい、騎手は泥濘に墜落した。私の予言が的中したので、連中は、たまげていた。

一つ。後醍醐天皇が皇太子だった頃の話である。万里小路の東宮御所に堀川大納言がご機嫌伺いにやって来て、待合室で待っていた。用事があって待合室に入ると、大納言は『論語』の四、五、六巻を広げて、「皇太子様が『世間では紫色ばかり重宝され、朱色を軽く見ているのが憎い』という話を読みたいと言うのだが、本を探しても見つからない。『もっとよく探してみろ』と言われて困っているところだ」と言った。私が「九巻の、そこにありますよ」と教えてあげたら、「とても助かった。ありがとう」と言って、その本を持って皇太子様のもとへと飛んで行った。子供でも知っているような事だけど、昔の人は、こんな些細な事も大げさに自慢したものだ。後鳥羽院が、「短歌に袖という単語と、袂という単語を一首の中に折り込むのは悪いことでしょうか」と、藤原定家に質問したことがあった。定家は、「古今集に『秋の草 薄が袂に見えてくる稲穂は手招きする袖のよう』という和歌が古今集にございますので、何ら問題はないでしょう」と、答えたそうだ。わざわざ「大切な場面で記憶していた短歌が役に立った。歌の専門家として名誉なことであり、神がかった幸運である」と、物々しく書き残している。藤原伊通も、嘆願書に、どうでも良い経歴を書きつけて自画自賛していた。

一つ。東山、常在光院にある鐘突の鐘は菅原在兼が草案を作った。藤原行房が清書した文字を、鋳型にかたどる時に、現場監督が草案を取りだして、私に見せた。「花の外に夕を送れば、声百里に聞ゆ」と書いてある。「韻を踏んでいますので、この百里というのは誤りでしょう」と言ってみた。監督は、「吉田先生にお見せして良かった。私の大手柄です」と、筆者である在兼の所へ伝えた。すると、「私の間違いだ。百里を数行に修正したい」と返事が返ってきた。しかし、数行というのもどうだろうか。数歩という意味だろうか。覚束ない。

一つ。大勢で比叡山の東塔、西塔、横川の三塔をお参りしたときの事である。横川のお堂の中に『竜華院』と書かれた古い額があった。「書道の名人、藤原佐理が書いたものか、藤原行成が書いたものか、どちらかが書いたものだと言われているのですが、はっきりしません」と、下っ端坊主がもったいぶって言うので、反射的に「行成が書いたものであれば、裏に説明書きがあるだろう。佐理が書いたものなら、裏は空白だ」と言ってやった。裏面はホコリまみれで蜘蛛の巣が張っていた。綺麗に掃除して、みんなで確認すると、「行成がいついつに書きました」と書いてあったので、その場にいた人は感心していた。

一つ。日本のナーランダで、道眼上人がありがたい話をしたときの事である。人の心を煩わせる八つの災いという話をしたのだが、その八つの災いを忘れたようで、「誰かこれを覚えている奴はいないか?」と言った。しかし、ここの弟子の中に覚えている奴はいなかった。草葉の陰から「かくかくしかじかのことですよ」と言ってやったら、上人に褒められた。

一つ。賢助僧正のお供として香水を聖なる玉に注ぐ儀式を見学していたときの事である。まだ儀式が終わっていないのに僧正は帰ってしまった。塀の外にも見あたらず、弟子の坊主たちを引き返らせて探させたけれども、「みんな同じような坊主の格好をしているので、探しても見つけられませんでした」と、かなり時間がかかった。「ああ、困ったことだ。あなたが探してきなさいと」言われて、私が引き返して、僧正をつれてきたのだった。

一つ。二月十五日の釈迦が入滅した日の事である。月の明るい夜更けに、千本釈迦堂にお参りに行き、裏口から入って、顔を隠してお経を聴いていた。いい匂いのする美少女が人を押しよけて入ってきて、私の膝に寄りかかって座るので、移り香があったらマズイと思って、よけてみた。それでも少女は私の方に寄り添ってくるので、仕方なく脱出した。そんなことがあった後に、昔からあるところで家政婦をしている女が、世間話のついでに、「あなたは色気の無いつまらない男ね。少しがっかりしました。あなたの冷たさに恨みを持っている女性がいるのですよ」などと言い出すので、「何のことだかさっぱりわかりません」とだけ答えておいて、そのままにしておいた。後で聞いたところ、あのお参りの夜、私の姿を草葉の陰から見て気になった人がいたらしく、お付きの女を変装させ、接近させたらしい。「タイミングを見計らって、言葉などをかけなさい。その様子を後で教えて。面白くなるわ」と言いつけて、私を試したのらしいのだ。

原文

(みずいじんちかとも)が自讃とて、七箇条書き止めたる事あり。皆、馬芸、させることなき事どもなり。その(ためし)を思ひて、自賛の事七つあり。

一、人あまた連れて花見ありきしに、(さいしようくわうゐん)の辺にて、男の、馬を走らしむるを見て、「今一度馬を(は)するものならば、馬(たふ)れて、落つべし。暫し見給へ」とて立ち止りたるに、また、馬を(は)す。止むる所にて、馬を引き倒して、乗る人、(でいど)の中に転び入る。その(ことば)の誤らざる事を人皆感ず。

一、当代未だ(ぼう)におはしましし比、(までのこうぢ)殿御所なりしに、(ほりかはのだいなごん)殿(しこう)し給ひし(みざうし)へ用ありて参りたりしに、論語の四・五・六の巻をくりひろげ給ひて、「たゞ今、御所にて、『紫の、(あけ)奪ふことを(にく)む』と云ふ(もん)を御覧ぜられたき事ありて、(ごほん)を御覧ずれども、御覧じ(い)だされぬなり。『なほよく引き見よ』と仰せ事にて、求むるなり」と仰せらるゝに、「九の巻のそこそこの程に侍る」と申したりしかば、「あな嬉し」とて、もて参らせ給ひき。かほどの事は、(ちご)どもも常の事なれど、昔の人はいさゝかの事をもいみじく自賛したるなり。(ごとばのゐん)の、(みうた)に、「(そで)と(たもと)と、一首の中に(あ)しかりなんや」と、(ていかのきやう)に尋ね仰せられたるに、「『秋の野の草の袂か花薄穂に出でて招く袖と見ゆらん』と(はべ)れば、何事か候ふべき」と申されたる事も、「時に当りて(ほんか)を覚悟す。道の(みやうが)なり、高運なり」など、ことことしく記し置かれ侍るなり。(くでうのしやうこくこれみち)公の(くわんじやう)にも、殊なる事なき題目をも書き載せて、自賛せられたり。

一、(じやうざいくわうゐん)の(つ)き鐘の銘は、(ありかねのきやう)の(さう)なり。(ゆきふさのあそん)清書して、(いかた)に模さんとせしに、(ふぎやう)の(にふだう)、かの(さう)を取り出でて見せ侍りしに、「花の(ほか)に(ゆふべ)を送れば、声(はくり)に(きこ)ゆ」と云ふ句あり。「(やうたう)の韻と見ゆるに、百里誤りか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉りける。己れが(かうみやう)なり」とて、筆者の(もと)へ言ひ遣りたるに、「誤り(はべ)りけり。数行と直さるべし」と(かへりこと)侍りき。(すかう)も如何なるべきにか。若し(すほ)の心か。おぼつかなし。

一、人あまた伴ひて、三塔巡礼の事(はべ)りしに、(よこかは)の(じやうぎやうだう)の中、(りやうげゐん)と書ける、古き(がく)あり。「(さり)・(かうぜい)の間疑ひありて、未だ決せずと申し伝へたり」と、堂僧ことことしく申し侍りしを、「(かうぜい)ならば、裏書あるべし。(さり)ならば、裏書あるべからず」と言ひたりしに、裏は(ちり)積り、虫の巣にていぶせげなるを、よく掃き拭ひて、各々見侍りしに、(かうぜい)(ゐしよ)・(みやうじ)・年号、さだかに見え侍りしかば、人皆興に(い)る。

一、(ならんだじ)にて、(だうげんひじりだんぎ)せしに、(はちさい)と云ふ事を忘れて、「これや覚え給ふ」と言ひしを、(しよけ)皆覚えざりしに、(つぼね)の内より、「これこれにや」と言ひ出(い)したれば、いみじく感じ(はべ)りき。

一、(けんじよそうじやう)に伴ひて、(かぢかうすい)を見(はべ)りしに、未だ果てぬ程に、僧正帰り(い)で侍りしに、(ぢん)の(と)まで(そうづ)見えず。法師どもを返して求めさするに、「同じ様なる(だいしゆ)多くて、え求め逢はず」と言ひて、いと久しくて(い)でたりしを、「あなわびし。それ、求めておはせよ」と言はれしに、帰り(い)りて、やがて(ぐ)して(い)でぬ。

一、(きさらぎ)十五日、月(あか)き(よ)、うち更けて、(せんぼん)の寺に(まう)でて、(うし)ろより(い)りて、独り顔深く隠して(ちやうもん)し(はべ)りしに、(いう)なる女の、姿・(にほ)ひ、人より殊なるが、分け(い)りて、(ひざ)に居かゝれば、匂ひなども移るばかりなれば、(びん)あしと思ひて、(す)り(の)きたるに、なほ(ゐ)寄りて、同じ(さま)なれば、立ちぬ。その後、ある御所様の古き女房の、そゞろごと言はれしついでに、「無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉る事なんありし。情なしと恨み奉る人なんある」とのたまひ出したるに、「更にこそ心得侍れね」と申して止みぬ。この事、後に聞き侍りしは、かの(ちやうもん)の夜、(みつぼね)の内より、人の御覧じ知りて、候ふ女房を作り立てて(い)だし給ひて、「(びん)よくは、言葉などかけんものぞ。その有様参りて申せ。興あらん」とて、(はか)り給ひけるとぞ。

第二百三十九段 ​

十五夜と十三夜は牡羊座が輝いている。その頃は空気が澄んでいるから月を観賞するのにもってこいだ。

原文

(はつき)十五日・(ながづき)十三日は、(ろうしゆく)なり。この(しゆく)、(せいめい)なる(ゆゑ)に、月を(もてあそ)ぶに(りやうや)とす。

第二百四十段 ​

人目を避けて恋路を走り、仕掛けられたトラップを突破し、暗闇の中、逢瀬を求めて性懲りもなく恋人のもとへと馳せ参じてこそ、男の恋心は本物になり、忘れられない想い出にも昇華する。反対に、家族公認の見合い結婚をしたら、ただ間が悪いだけだ。

生活に行き詰まった貧乏人の娘が、親の年ほど離れた老人僧侶や、得体の知れない田舎者の財産に目がくらみ、「貰ってくださるのなら」と呟けば、いつだって世話焼き役が登場する。「大変お似合いで」などと言って、結婚させてしまうのは悪い冗談としか思えない。こういうお二方は、ご結婚後、いったい何を話すのだろうか。長く辛い日々を過ごし、嶮しい困難を乗り越えてこそ、問わず語りも尽きないだろう。

通常、見合い結婚は不満ばかりがつのる。美女と結婚しても、男の方に品がなく、みすぼらしく、しかも中年だったら、「自分のような男のために、この女は一生を棒に振るのか」と、かえってくだらない女に見えてくる。そんな女と向き合えば、自分の醜さをしみじみと思い知らされて、死にたくなるのであった。

光源氏は、満開の梅の夜、小麦粉をまぶしたような月に誘われて、女の家の周りを彷徨った。恋人の家から帰る朝、垣根の露をはらって消えそうな月を見た。こんな話にドキドキしない男は、恋愛などしてはいけないのだ。

原文

しのぶの浦の(あま)の見る目も所せく、くらぶの山も(も)る人繁からんに、わりなく(かよ)はん心の色こそ、浅からず、あはれと思ふ、節々の忘れ難き事も(おほ)からめ、親・はらから許して、ひたふるに迎へ(す)ゑたらん、いとまばゆかりぬべし。

世にありわぶる女の、(に)げなき(おいほふし)、あやしの(あづまびと)なりとも、賑はゝしきにつきて、「(さそ)う水あらば」など云ふを、(なかうど)、(いづかた)も心にくき様に(い)ひなして、知られず、知らぬ人を迎へもて来たらんあいなさよ。何事をか打ち(い)づる(こと)の(は)にせん。年月のつらさをも、「(わ)け(こ)し(はやま)の」なども相語らはんこそ、(つ)きせぬ言の葉にてもあらめ。

すべて、余所の人の取りまかなひたらん、うたて心づきなき事、多かるべし。よき女ならんにつけても、(しな)下り、見にくゝ、年も長けなん男は、かくあやしき身のために、あたら身をいたづらになさんやはと、人も心(おと)りせられ、我が身は、向ひゐたらんも、影恥かしく覚えなん。いとこそあいなからめ。

梅の花かうばしき夜の(おぼろづき)に(たたず)み、(みかき)が原の露分け出でん(ありあけ)の空も、我が身様に偲ばるべくもなからん人は、たゞ、色好まざらんには如かじ。

第二百四十一段 ​

月が円を描くのは一瞬である。この欠けること光の如し。気にしない人は、一晩でこれ程までに変化する月の姿に気がつかないだろう。病気もまた満月と同じである。今の病状が続くのではない、死の瞬間が近づいてくるのだ。しかし、まだ病気の進行が遅く死にそうもない頃は、「こんな日がいつまでも続けばいい」と思いながら暮らしている。そして、元気なうちに多くのことを成し遂げて、落ち着いてから死に向かい合おうと考えていたりする。そうしているうちに、病気が悪化し臨終の間際で、何も成し遂げていないことに気がつく。死ぬのだから、何を言っても仕方ない。今までの堕落を後悔して、「もし一命を取り留めることができたら、昼夜を惜しまず、あれもこれも成し遂げよう」と反省するのだが、結局は危篤になり、取り乱しながら死ぬのである。世に生きる人は、大抵がこんなものだ。人はいつでも死を心に思わなければならない。

やるべきことを成し遂げてから、静かな気持ちで死に向かい合おうと思えば、いつまでも願望が尽きない。一度しかない使い捨ての人生で、いったい何を成し遂げるのか。願望はすべて妄想である。「何かを成し遂げたい」と思ったら、妄想に取り憑かれているだけだと思い直して、全てを中止しなさい。人生を捨てて死に向かい合えば、煩わしさや、ノルマもなくなり、心身に平穏が訪れる。

原文

(もちづき)の(まど)かなる事は、(しばら)くも(じゆう)せず、やがて欠けぬ。心止めぬ人は、(ひとよ)の(うち)にさまで変る様の見えぬにやあらん。(やまひ)の(おも)るも、住する(ひま)なくして、(しご)既に近し。されども、未だ病(きふ)ならず、死に赴かざる程は、(じようじゆう)(へいぜい)の念に習ひて、(しやう)の中に多くの事を(じやう)じて後、閑かに道を(しゆ)せんと思ふ程に、病を受けて死門に(のぞ)む時、(しよぐわんいちじ)も(じよう)せず。言ふかひなくて、(としつき)の(けだい)を(く)いて、この(たび)、若し立ち直りて命を(また)くせば、(よ)を(ひ)に継ぎて、この事、かの事、(おこた)らず(じやう)じてんと願ひを(おこ)すらめど、やがて(おも)りぬれば、我にもあらず取り乱して(は)てぬ。この類のみこそあらめ。この事、先づ、人々、急ぎ心に置くべし。

所願を(じやう)じて後、(いとま)ありて道に向はんとせば、所願尽くべからず。(によげん)の(しやう)の(うち)に、何事をかなさん。すべて、所願皆(まうざう)なり。所願心に来たらば、(まうじんめいらん)すと知りて、一事をもなすべからず。直に万事を(はうげ)して道に向ふ時、障りなく、(しよさ)なくて、(しんじん)永く閑かなり。

第二百四十二段 ​

人が性懲りもなく苦楽の間を逡巡するのは、ひとえに苦しいことから逃れて楽をしたいからである。楽とは何かを求め執着することだ。執着への欲求はきりがない。その欲求は第一に名誉である。名誉には二種類ある。一つは社会的名誉で、もう一つは学問や芸術の誉れである。二つ目は性欲で、三つ目に食欲がある。他にも欲求はあるが、この三つに比べればたかが知れている。こうした欲求は自然の摂理と逆さまで、多くは大失態を招く。欲求など追求しないに限る。

原文

とこしなへに(ゐじゆん)に使はるゝ事は、ひとへに(くらく)のためなり。楽と言ふは、好み愛する事なり。これを求むること、止む時なし。(げうよく)する所、一つには名なり。名に二種あり。(かうせき)と才芸との(ほま)れなり。二つには(しきよく)、三つには(あぢは)ひなり。(よろづ)の願ひ、この三つには如かず。これ、(てんだう)の(さう)より起りて、(そこばく)の(わづら)ひあり。求めざらんにには(し)かじ。

第二百四十三段 ​

八歳の私は父に、「お父ちゃん。仏様とはどんなものなの」と聞いた。父は、「人間が仏になったのだよ」と答えた。続けて私は、「どんな方法で人は仏になるの」と聞いた。父は、「仏の教え学んでなるんだ」と答えた。続けて私は、「その仏に教えた仏は、誰から仏の教えを学んだんですか」と聞いた。父は、「前の仏の教えを学んで仏になったのだよ」と答えた。続けて私は、「それでは最初に教えた仏は、どんな仏だったのですか」と聞いてみた。父は、「空から降ってきたか、土から生えてきたのだろう」と答えて笑った。後日、父は、「息子に問い詰められて、答えに窮したよ」と、大勢に語って喜んでいた。

原文

(や)つになりし年、父に問ひて云はく、「(ほとけ)は(いか)なるものにか(そうら)ふらん」と云ふ。父が云はく、「仏には、人の(な)りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教によりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と云ふ時、父、「空よりや(ふ)りけん。土よりや(わ)きけん」と言ひて笑ふ。「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」と、(しよにん)に語りて興じき。